43 魔王城の火、その正体
ポトフの人気ぶりに戸惑うイフリートさん。
ヴェノメノンさんの持ってきたトレイには、ひとつだけ手付かずのポトフがあった。
イフリートさんはそのポトフの存在に気付くと、
「ぼ……僕にも食べさせてくれ!」
しかし寸前で、毒手によって遮られてしまう。
「おっと、コイツはリミリアの分だ」
「どうぞ、イフリートさんに差し上げてください」
わたしはすぐに言い添えたけど、ヴェノメノンさんは「そうはいくかよ」と意地悪な顔つきのまま。
「リミリアはああ言っているが、このポトフを作ったのこの俺だ。
おいメラメラ野郎、コイツを食いたければちゃんとお願いするんだ」
「ぐっ……誰がっ!」
イフリートさんは火花が出るほどに歯を食いしばって拒否。
しかしそばにいる仲間たちがあまりに美味しそうに食べているものだから、ついに折れてしまった。
「た、頼む、ヴェノメノン……! 僕にもポトフを食べさせてくれ……!」
「ぜんぜん気持ちが込もってねぇなぁ。そんなだから、ネコにしかモテねぇんだぜ。
わかったら、ちゃんと土下座して……」
「ヴェノメノンさん!」
わたしが叱るような口調で言うと、ヴェノメノンさんは「わーったよ」と肩をすくめてポトフを明け渡す。
イフリートさんは両手でポトフの皿を掴むと、まるでおおきな盃でイッキするみたいに、一気にあおった。
次の瞬間、
「マズくなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーいっ!?!?」
……ずどぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんっ!!!!
絶叫と爆音のハーモニーとともに、全身から炎を噴出させていた。
周囲に爆風を放ち、噴き上がった炎は天井を突き抜け、大きな穴を開けていた。
ヴェノメノンさんや審査員のみんなは吹っ飛ばされ、壁に叩きつけられている。
わたしは空中で回転して受け身を取ったのでなんともなかったけど、料理勝負の会場は、まるで地下火山が噴火したような光景に様変わりしていた。
「マズくないっ!? マズくないっ! マズくなぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?
まさかポトフがこんなに、マズくない食べ物だったなんてぇーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
イフリートさんはもう人の姿をしておらず、炎の柱となっていた。
柱には感極まった顔が浮かび上がっていて、その中には飴細工のようにドロドロに溶けた皿が。
わたしは思わず目を剥く。
さ……皿が溶けるだなんて……!?
あの皿は陶器でできているから、それを溶かすということは……。
イフリートさんの体温はいま、1200度以上あるってこと……!?
気がつくとあたりは焼き窯のような高温になっていて、肌が焦げるみたいにヒリヒリした。
わたしは、興奮した人間や動物を鎮める技術をお稽古ごとで身に付けている。
しかし1200度になった精霊を落ち着かせるのって、どうすればいいのっ……!?
このままだと服に火が付くんじゃないかと慌てたが、イフリートさんは炎の柱から人の姿に戻る。
真っ赤なブーメランパンツ一枚で、ガックリと膝をついていた。
「な……なんだ、これ……なんなんだよ、これぇ……。
こんなにマズくない食べ物が、この世にあっただなんて……!」
「それを、『おいしい』って言うんだよ」
「お……おいしい……?」
イフリートさんが見上げた先には、顔が黒焦げになったヴェノメノンさんが。
彼はほぼ爆心地に近いところにいたというのに、爆発コントみたいな被害だけですんだようだ。
「そうだ、『マズい』の反対だ。
俺もリミリアのポトフを食べるまでは、知らなかった言葉だ」
「『おいしい』……。すごくいい言葉だ……」
「その『おいしい』をもっと知りたいだろう?
だったらつまらねぇ意地悪はやめて、厨房に送る炎を元通りの強さにするんだ。
そうしたらきっと、リミリアがポトフ以外にももっと作り出しくれるぜ
……『おいしい』をな」
「ううっ……ヴェノメノン……! こ、この僕が、間違ってた……!」
長きに渡った確執が氷塊したかのように、ふたりは手をとりあう。
それは、とてもキレイだった。
たとえ、まわりが熱で歪みきり、世紀末的な光景だったとしても。
終末の世界に取り残されたような、黒焦げの男とパンツ一枚の男だったとしても。
ふたりの新たなる友情は、アダムとイヴのように、美しかった……!
わたしは思わずもらい泣きしそうになったけど、次の瞬間ブチ壊しになった。
「それはそれとして、勝負は俺の勝ちだぁーーーーーーっ!
ざまぁみやがれ、この変態パンツ野郎!
リミリアとのデート権は、この俺のもんだぁーーーーーーーーっ!
いやっほぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
ヴェノメノンさんは狂喜乱舞して、イフリートさんを煽るように踊りまくる。
「ヴェノメノンさん!」とわたしが注意しても、まるで耳に入っていないかのように。
イフリートさんはそれがよほどショックだったのか、足の裏から炎を噴射すると、料理勝負会場から飛び去っていった。
わたしはなんだか不安になったので、彼の後を追う。
「ほっとけよ、リミリア!」と背後から声が追いすがったけど、振り払うようにして走った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
まるで太陽を追う子供のように走り、わたしは製鉄場の敷地の隅っこのほうまで来ていた。
ぐらぐらと沸き立つ炉の上にある鎖につかまり、イフリートさんはブランコを漕ぐ子供のように揺れている。
「あの……イフリートさん」
わたしが声をかけると、イフリートさんは顔をあげる。
その顔は、いじめられた後みたいに悲しそうだった。
「なんだ、リミリアちゃんか」
「ヴェノメノンさんにはあとで、わたしから言っておきます。ですから戻ってきて……」
「いや、そういうわけにはいかないよ。僕はこれから、厨房に送るための火を作らなくちゃいけないんだ」
「えっ、それってどういう……」
ヴェノメノンさんは答えるかわりに、親指をクイッと下に向ける。
すると彼が掴まっていた鎖がガラガラと音をたてて下がりはじめた。
「火を作るって、まさか……」
「そうだよ。火を作るためには、僕がこの溶鉱炉の中に入らなくちゃいけないんだ」
その切羽詰まったようなものの言い方に、わたしはなんだか引っかかった。
「そんなことをして、平気なんですか?」
「しょうがないんだよ。
魔王軍の規模が縮小して、ここにいる炎の精霊の数も減らされちゃったんだ。
だから厨房の火力を強くするためには、こうするしか手がないんだ。
他の子たちにやらせるわけにはいかないしね」
フッと笑むイフリートさん。
その顔にはもう、軽薄さは微塵も感じられない。
それでわたしは察した。
いくら炎の精霊だといっても、溶鉱炉の中に入ったたら、タダではすまないのだと。
わたしは炉の手すりから飛び出さんばかりに手を伸ばして叫んだ。
「や……やめてくださいっ、イフリートさん! パンを焼くのは諦めます!
だから、戻ってきてくださいっ! イフリートさん!
イフリートさぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーんっ!!」




