42 料理勝負開始
わたしの人生初の『お姫様抱っこ』は、思わぬ瞬間にやってきた。
しかもイケメンふたりのダブルで。
これは例えるなら、生まれて初めて食べたアイスクリームがフルーツパフェのようなものだ。
贅沢すぎる、あまりにも……!
わたしはもちろん味わっているどころではなく、これからお風呂に浸けられる猫みたいに暴れる。
しかしサンドイッチ状態なので、ぜんぜん抜け出せなかった。
しばらくしてすとんと落とされた先は、鋼鉄の椅子の上。
鉄製の長テーブルのお誕生日席だった。
テーブルの両脇には、審査員として選ばれたオークさんとイフリートさんが着席し、睨み合っている。
どうやらヴェノメノンさんとイフリートさんだけでなく、部下の人たちも仲良しではないようだ。
床は金網になっていて、その下の方では溶けた鉄がぐろぐろと流れている。
足元からは絶え間なく熱が立ち上り、テーブルの上の景色を蜃気楼のように揺らめかせていた。
そう、料理勝負の会場は製鉄場……じゃなかった地下の調理場の一角。
例によってものすごく熱いので、これからあったかいスープなんて出てきたら、料理勝負というよりもガマン大会になりそうだ。
わたしは少し後悔する。
冷製スープのレシピを、ヴェノメノンさんに教えておけばよかった、と。
わたしはヴェノメノンさんどんなスープを出すのか、もう予想がついていた。
そしてイフリートさんが出すであろうスープも。
それどころか、料理勝負の結果ももうわかっていた。
でも、どっちが勝ったところでわたしは構わない。
だって、元々はふたりのケンカを止めさせるために始めたことだから。
ふたりがこの勝負を通じて、いがみ合いをやめてくれさえすればそれでいい。
男の人は河原で殴り合いのケンカをして、仲良くなるという。
理解できない心理ではあるけど、明快で少しうらやましくもある。
なんてことを考えているうちに、最初の料理が運ばれてきた。
その匂いだけで、イフリートさんが先攻なのだというのがすぐにわかる。
「みんな大好き『メラ・ゾーマス』だよ~んっ!
この調理場は閉鎖になっちゃったけど、このスープを作るのはやめなかったんだよねぇ!
ささっ、食べてみて、食べてみて!」
まだ『メラ・ゾーマス』を食べ続けているのであろう、炎の精霊さんたちは特にためらう様子もなく手を付ける。
しかし表情はやっぱり、苦虫を丸呑みしたかのよう。
「うぅっ、まっずぅ……」
「しょうがないだろ、メラ・ゾーマスってのは……いや、食べ物ってのはこういうもんなんだから」
「このあとに出てくるヴェノメノンのスープも同じようにマズいんでしょ?
だったらもう食べる必要なんてなくない?」
「そうだよなぁ。どーせ俺たち炎の精霊は、イフリートさんに投票しないわけにはいかないし……」
若者の姿をした炎の精霊たちは、文句たらたら。
しかし対面側に座っているオークたちはもっとひどかった。
「ぶひいっ! やっぱりダメだっ!」
「ぶひいっ! 昔は毎日のように食ってたけど、もう食えねぇ!」
「ぶひぃっ! こんなもの食うぐらいだったら、死んだほうがマシだっ!」
「ぶひいっ! マズ過ぎる! 身体全体が飲み込むのを拒否しちまった!」
彼らはひと口食べただけで吐き出し、さじを投げ捨てる始末。
無理もない。彼らはもう、普段からポトフを食べているのだから。
しかしその態度が、炎の精霊たちのカンに触ったようだ。
「この豚ども、なに言ってやがる!」
「スープってのはマズくて当たり前なんだよ!」
「それでもお前たちが作ってる豚のエサより、よっぽどマシだっ!」
「わかったぞ、イフリートさんを貶めるために、大袈裟にマズがってるんだろう!」
「だったらこっちもやってやろうぜ! ヴェノメノンのスープをみんなで吐き出そう!」
審査員である炎の精霊たちは、もはや中立のフリすらもかなぐり捨てていた。
しかし漂ってきた匂いに気付くと、鼻をヒクヒクさせる。
「あれ? なんだこの匂い……」
「嗅いだことのない匂いだな……」
「なんでだろう? 初めて嗅ぐはずなのに、なんだかすごく魅力的というか……」
そこに、大きなトレイを持ったヴェノメノンさんが現れる。
「おら、できたぞ! リミリア直伝のポトフだ!
お前らみたいな暑苦しいヤツらに食わせるのは勿体ねぇが、今日だけは特別だ!
さっさと食って死ね!」
とても料理人とは思えない態度で、トレイをズダンとテーブルに置くヴェノメノンさん。
カウンターの上を滑らせてグラスを客に渡すバーテンのように、ポトフの入った皿を滑らせて審査員たちに配る。
オークたちは口直しができると喜んで食べ始めていたが、炎の精霊たちは、わざとらしいほどの渋面を作っていた。
「な……なんだよ、メラ・ゾーマスかと思ったら、ぜんぜん違うスープじゃないか」
「う……うわぁ、なんか変なのがいっぱい浮いてるぅ」
「こ……こんな見るからにマズそうなの、食いたくないよぉ」
態度と言葉では拒絶しているものの、誰もがスプーンを握りしめている。
そのまま見えない糸に操られるようにポトフをすくい、口に運んでいた。
さっそく「マズッ!」と言って吐き出そうとしていたが、彼らの口から飛び出したのは、
「マズくなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーいっ!?!?」
「なっ、なにこのスープ! マズッ! マズくて食えたもんじゃない!」
「いやアンタ、そう言いながらバクバク食べてるし!」
「お前だって! 俺は残すのはもったいないから食べてるんだよ!」
「残すんだったら俺にくれ! 全部食べてやるから!」
「いやよ! これは私のポトフよ!」
「ああもう、スプーンで食べるだなんてもどかしい!」
若者たちはオークたちがしたのと同じように、さじを投げ捨てる。
ポトフの皿に顔を突っ込んで、犬のようにむしゃぶりつきはじめた。
それは魔王軍の者たちが、初めてポトフを食べたときの標準的なリアクション。
わたしやヴェノメノンさん、そしてオークさんたちはさんざん見てきたので驚きはしなかった。
しかし、初見のイフリートさんはうろたえるばかり。
「えっ……な、なにそれっ……!?
まるで僕のクラブで踊ってるときみたいな……いや、それ以上のリアクションじゃん……!?」




