38 魔王城の火
厨房に着くと、ちょうど注文しておいた食材が運び込まれているところだった。
わたしはその中から、麻袋をいくつか取りだして調理台に並べる。
その最中、後ろからいきなり抱きすくめられた。
コック長のヴェノメノンさんだ。
不意に抱きつかれるのにはまだ慣れてなくて、わたしは背中に氷を入れられたみたいに「ひゃうっ」となる。
ヴェノメノンさんはそんなわたしのリアクションにもお構いなし。
わたしの腰に手を回し、わたしの頭にアゴを乗せながら、調理台をしげしげと覗き込んできた。
「なんだその粉みたいなの」
「もう、ヴェノメノンさんったら……。これは、パン作りに必要なものです」
「パン? なんだそりゃ?」
「以前から話していた、新しいメニュー候補ですよ」
これまでの魔王軍の常食であった、『メラ・ゾーマス』と『アイアンプレート』。
そのうち『メラ・ゾーマス』はわたしの作る『ポトフ』に置き換わった。
でも『アイアンプレート』のほうはずっと空席になっていたので、わたしはずっと代替となるメニューを考えていた。
『アイアンプレート』はいちおう『ハードブレッド』、ようは『堅いパン』の部類に入る。
だから新しいメニューもそれに類するものにしてみようと思ったんだ。
パンとスープって、黄金の組み合わせだしね。
というわけで、わたしはパン作りに必要な粉を取り寄せていた。
そのメインとなるのは小麦粉だけど、普通の麦じゃなくてライ麦を挽いたものを選択した。
ボウルに小麦粉と生イースト、砂糖と塩、さらにお湯を加えて混ぜ合わせて生地を作る。
ボウルの中でこねこねしたあと、調理台の上においてさらに練る。
わたしの頭上から「おお、粉がスライムみたいに固まったぞ」とヴェノメノンさんの声が。
ずっと抱きしめられているので作業しづらかったけど、見ていてくれたほうが後で作り方を教えるのに手間が省ける。
もしここでヴェノメノンを剥がしたら、いじけてどこかへ行ってしまいそうなので、わたしはその体勢のまま作業を続けた。
生地がまとまってつるんとしてきたらバターを加え、ボウルに戻して発酵させる。
発酵は、あらかじめコックのオークさんたちに作っておいてもらった焼き窯を使った。
焼き窯をゆるく熱し、その中に生地を入れて30分ほど待つ。
すると2倍くらいに膨らんでいた。
「すげー! 粉だったのがこんなにデカくなったぞ! まるで魔法みてぇだな!」といちいち驚いてくれるヴェノメノンさん。
「しかしリミリア、お前の髪ってすげーいい匂いがするな。ずっとこうして嗅いでたいぜ」
気付くとヴェノメノンさんは、わたしのつむじに鼻を押し当ててくんかくんかしていた。
「このパンが焼けたら、わたしの髪よりもずっといい匂いがしますよ」
それからわたしはパン作りの工程である、ガス抜きと発酵の工程を繰り返す。
しっかり膨らんだ生地をちぎって丸め、小さめの丸パンに成形した。
あとはこれを焼き窯に入れて、今度は高温で15分くらい焼けば完成。
……のはずだったんだけど、ここでトラブル発生。
温度調整のレバーを倒しても、焼き窯の温度がぜんぜん上がらなかった。
「ヴェノメノンさん、焼き窯の温度が上がらないんですけど……」
すると、舌打ちが降ってきた。
「あの野郎、サボってやがんな。最近、ずっとそうなんだよ」
「あの野郎って?」
「この城で使ってる『火』を管理してる野郎さ。アイツ、わざと厨房だけ火を弱めてやがるんだ」
「どうしてそんなことを?」
「さーな、あんなイカレ野郎の考えてることなんざ知らねぇよ」
ヴェノメノンさんも結構アレな気がするけど、そんな彼が『イカレ野郎』呼ばわりするだなんて、いったいどんな人なんだろう。
「とにかく、その人に火を強くしてもらえるように言ってもらえませんか?」
「やだよ、あんなヤツに頼むなんてごめんだね」
「じゃあ、どこにいるのか教えてくれませんか? わたしがお願いしてきますので」
「あのイカレ野郎の所に行くだって? やめとけやめとけ、行ったらなにされるかわかったもんじゃねぇぞ」
ヴェノメノンさんがここまで嫌がるだなんて、よっぽどの相手のようだ。
でもわたしはどうしてもパンが焼きたかった。
それにいくら危険な相手でも、話せばわかってくれると思う。
なんたってわたしは、地獄の番犬とも仲良くなったんだから。
しかしヴェノメノンさんは、わたしがいくら食い下がっても『イカレ野郎』の居場所を教えてくれなかった。
わたしはしょうがなく、コックであるオークさんたちに尋ねたんだけど……。
彼らはヴェノメノンさんに「言ったらブチ殺す」と脅され、口をつぐんでしまった。
オークさんたちは困った顔をしながら、ときおり厨房の一角をチラ見している。
その視線の先を追ってみると、床下収納みたいなハッチがあるのを見つけた。
わたしは直感する。
この下に、あの『イカレ野郎』がいるのだと。
わたしはバールを持ち出して、ヴェノメノンさんが止めるのも聞かずにその床下収納をこじ開けた。
すると、むわっとした熱気が吹き出してくる。
覗き込んでみると、下には細い橋のような通路があって、さらにその下にはマグマの海が広がっていた。
厨房の下に、こんな地下火山のような場所があっただなんて……!
わたしは確信する。
この下に、あの『イカレ野郎』がいるのだと。
わたしはヴェノメノンさんの抱擁を振り切り、床下収納にあるハシゴを下りる。
するとヴェノメノンさんも観念したようで、
「ったく、しょーがねぇなあ……。リミリアひとりで行かせるわけにはいかねぇから、俺もついていってやるよ」
わたしは床下収納からひょっこり顔を覗かせたまま、ヴェノメノンさんに返事をする。
「ありがとうございます。そうしていただけると助かり……まっ!?」
不意にわたしの身体が、強い力によって引きずり込まれる。
そして気が付くと、マグマの海に向かって真っ逆さまに転落していた。




