34 いたずらピクシー
わたしはいつものように城の厨房でポトフを作る。
エーデル・ヴァイス様はもうニンジンを普通に食べるようになったので、別に作る必要もなくなった。
ひとり用の鍋によそい、仕上げにソーセージを3本乗せ、フタを閉める。
あとはデモンブレイン様から預かっている匂い封じの箱に入れ、厨房を出発。
わたしは人質のはずなのに、もう城の中を自由に歩き回れる身分になった。
通りすがりの兵士たちも、わたしを見てももう何も言わない。
謁見場の玉座の裏にある、隠し階段の出現のさせ方も、もうソラでできるようになった。
勇者が苦労して探して見つけ、何日もかけて開けるという魔王への隠し階段を、こんなに簡単に利用しちゃっていいんだろうか。
長い階段を降り、地獄へと繋がる扉の前に立つ。
あらかじめデモンブレイン様から預かっていた護符をポケットから取りだし、効果を発動。
これで、わたしの姿はモンスターには見えなくなった。
扉を押し開くと、いつもと変わらぬ悲鳴と熱気がわたしを迎えてくれる。
今日も今日とて、地獄はちゃんと地獄しているようだ。
血の池の向こうの林では、サッカーをしている鬼たちがいた。
こんな所でサッカーなんて変だけど、地獄の鬼たちはよくスポーツをやっている。
「サッカーかぁ、そういえば、お稽古事でさんざんやらされたなぁ」
なんてひとりごちながら眺めていると、蹴り間違えたボールが血の池を越えてわたしの足元に転がってきた。
「あーあ、どこに蹴ってんだよ!」
「おい、お前、取ってこいよ!」
「無理だよ! 血の池に入った死んじまう!」
鬼たちはモメていたので、わたしはついおせっかいをしてボールを蹴り返した。
「えいっ!」
「ふぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
蹴った瞬間にボールが絶叫したので、わたしはビックリする。
よく見たらそれは、白と黒にペイントされた亡者の頭だった。
しかし気付いたときにはもう遅く、亡者の頭は弾丸ライナーとなる。
……どばひゅぅぅぅぅぅーーーーーーーーーーーーーーーーーーんっ!!
そのまま血の池を越え、カーブを描いてピッチを横断、ゴールネットを揺らす。
ピッチにいた鬼たちは全員、目を丸くしていた。
「な、なんだ……?」
「いま、ものすごい勢いでボールが返ってきたぞ……!?」
「しかも、あの距離からロングシュートを決めるだなんて……!」
「あ、あんなすげえバナナシュート、初めて見た……!」
「す……『スーパーグレートオニキーパー』と呼ばれたこの俺が、一歩も動けないだなんて……!」
「姿は見えないけれど、あそこにきっと誰かがいるぞ! いますぐ我ら赤鬼チームにスカウトするぞ!」
「そうはさせるか! おいみんな! なんとしても青鬼チームの選手になってもらうんだ!」
鬼たちは「うおおーっ!」と押し寄せてきたので、わたしは慌てて逃げた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ちょっと予想外のトラブルもあったけど、そのあとは特に問題もなくエーデル・ヴァイス様の城に着いた。
……はず、だった。
城まであと数メートルといったところで、わたしの腰のあたりから「キキッ」と鳴き声がする。
視線を落とすとそこには、ピクシーがいた。
ピクシーは手のひらサイズくらいの小さなモンスターで、邪悪な妖精みたいな見目をしている。
その小さな身体を活かして、人間にイタズラを仕掛けるのを得意としているらしい。
この目で見たのは初めてだったけど、ピクシーまさにそのイタズラの真っ最中。
わたしがポケットに忍ばせていた護符をこっそりと取りだしたかと思うと、そのまま飛び去ろうとしていた。
「あっ!? それはダメっ!」
わたしはとっさに手を伸ばしてピクシーを捕まえようとしたけど、爪先の差で逃げられてしまう。
安全圏まで飛び上がったピクシーは振り返り、アカンベーをして消え去ってしまった。
護符、取られちゃった……!
でもなんで!? わたしの姿はモンスターには見えないはずなのに……!?
しかしその疑問を考えているヒマはなかった。
なぜならば、
「「「グルルルルル……!」」」
唸り声の三重奏が、すぐそばまで迫ってきていたから。
護符を失ったおかげでわたしの姿は丸見えになり、城の前にいたケルベロスに、気付かれてしまったんだ……!
わたしはハッとなる。
すでにケルベロスは指呼の距離にいた。
クマなどの野生動物に遭遇した際、背中を向けて逃げるのは良くないとされている。
追いかけてくるうえに、走る速度では彼らには勝てないからだ。
だからといって、立ち向かうのはますます悪手だ。
相手がクマだったら、うまく脅かせば逃げだすかもしれないけど、『地獄の番犬』と呼ばれた神獣が人間なんかに臆するはずがない。
だいいちケルベロスといえば、世界最強の手練れたちが揃い、伝説の装備で固めた勇者パーティだって全滅することがある強敵なのに……。
たったひとりでなんの武器もないわたしに、勝ち目なんてあるはずがないっ……!
しかし助けを呼んだところで助けは来てくれないだろう。
誰かは来てくれるだろうけど、間違いなくわたしの味方ではない。
そしてこのとき、わたしは気付いていなかった。
少し離れた枯木のそばに、最大の味方にして最強の敵がいたことを。
――わたくしの飼っているピクシーに命じて、護符を盗ませていただきました。
リミリアさんには気の毒ですが、少しだけ痛い目に遭ってもらいましょう。
そうしたら、彼女はきっと心に傷ができ……。
エーデル・ヴァイス様の食事の世話を辞退したいと言い出すに違いありません。
そうなれば、ふたりの仲がこれ以上、親密になることはなくなります。
そしてリミリアさんは、再びわたくしだけに依存するようになるのです。
ヴェノメノンさんに抱かれる彼女を見ているだけで、わたくしの胸は張り裂けそうになります。
そのうえ、エーデル・ヴァイス様にも抱かれるようになってしまった、もう……!
ああっ……! あの抱擁を、早く……!
早く、わたくしだけのものにしたい……!




