33 ついに正式採用
魔王の突然の『リミリア専属料理人宣言』に、魔王軍の幹部たちは驚天動地に包まれた。
これはいわば『宮廷料理人』への召し抱えである。
そもそもこの魔王軍には『メラ・ゾーマス』と『アイアンプレート』以外の食事は存在していなかった。
食事のこだわりが皆無ともいえる彼らにとって、魔王の宣言はあまりにも異質に映る。
それだけでもじゅうぶんに腰を抜かす事態ではあるが、異常さの本質はもっと別のところにある。
その、人選……。
なにせ人質として差し出された少女に、その大任を命じようというのだから……!
その場にいたすべての者たちが反対の立場なのは明らかであった。
しかし彼らを制して真っ先に立ち上がったのは、他ならぬ腹心のデモンブレイン……!
デモンブレインは心の中で歯噛みをする。
――くっ……!
やはりエーデル・ヴァイス様は、リミリアさんに惹かれている……!
しかしまさか『専属料理人』に任命し、私室に囲い込もうとするとは思いませんでした……!
あの城の中にリミリアさんが囚われてしまったら、わたくしにはもう、どうすることもできなくなる……!
それだけはなんとしても、阻止しなくては……!
デモンブレイン様は心の中の波乱を抑え、穏やかな口調で言った。
「エーデル・ヴァイス様、リミリアさんのメニューを魔王軍の標準とすることについては、わたくしも賛成です。
リミリアさんのポトフが、魔族の力を引き出すことはすでに証明されていますからね。
ですが、リミリアさんをエーデル・ヴァイス様の『専属料理人』にし、私室に住まわせることはできません」
魔王はギロリと睨み返すが、デモンブレインは一歩も退かない。
「ご自分の立場をお忘れですか? あなた様は魔王軍を統べる『魔王』なのですよ。
今までご家族ですら入れなかった私室に、人間の女性を住まわせたとわかれば、他の魔族たちは不安に思うことでしょう。
人間軍への従属を目論んでいるのではないか、と」
エーデル・ヴァイス様はすぐさま怒鳴り返す。
「それがどうしたというのだ!? 思いたいやつにはそう思わせておけばいい!」
「周囲の者たちについてはそれでもいいでしょう。
しかし、あの方には、その理屈は通用しません」
途端、魔王の顔が歪んだ。
「ぐっ……!」と爪が食い込むほどに握り拳を固める。
獄炎のようなオーラが、メラメラと全身を包んでいた。
「あの方に、ちゃんとご理解をいただけたのであれば、わたくしどもは反対いたしません。
しかしそれまでは、リミリアさんのメニューを魔王軍に採用する、という決定までにとどめさせていただきます。
それがお気に召さないのであれば、この場でわたくしの首を跳ねてくださっても構いません」
魔王の眼光にも臆すことなく、きっぱり言い切るデモンブレイン。
彼の背後では、極寒のブリザードのようなオーラが吹き荒れていた。
炎と氷の真っ向からのぶつかり合い。
幹部たちはヒソヒソと噂しあう。
「あ、あんなに強い口調のデモンブレイン様は、初めて見た!」
「それにタブーとされている、あの方まで持ち出してくるだなんて!」
「そりゃそうだろう、人間なんかが側室になったら、魔王軍は終わりだからな!」
エーデル・ヴァイスとデモンブレインはしばらく無言で対峙していたが、先に背を向けたのはエーデル・ヴァイスであった。
「好きにしろ」とだけ告げ、作戦会議室をあとにする。
残されたデモンブレインは相変わらず冷ややかであったが、心の内は冷や汗に満ちていた。
――なんとか、しのぎきれました。
あの方のことを持ち出すのだけは避けたかったのですが、仕方ありません。
そうでもしなければ、エーデル・ヴァイス様は周囲の反対を押し切っていたでしょうから。
それにもう、猶予はなくなりました。
それにもう、手段を選ぶのもやめにします。
なんとしても、そして一刻も早く、エーデル・ヴァイス様とリミリアさんの仲を、引き裂かなくては……!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
わたしの食事が、魔王軍の食事として正式採用されたらしい。
そのことをエーデル・ヴァイス様から聞かされたとき、わたしは城の厨房にいて、ヴェノメノン様から日課のハグをされている最中だった。
「へへ、リミリアのポトフがついに魔王軍のスタンダードになったか!
やったじゃねぇか、リミリア!」
ヴェノメノンは毒手でわたしを抱き寄せながら、毒手じゃないほうの手でわたしの頭をナデナデしてくれた。
「ありがとうございます、ヴェノメノンさん。
でも魔王軍の規模となると、さらに忙しくなると思いますよ」
「なーに、ポトフなら『メラ・ゾーマス』や『アイアンプレート』に比べたら作るのがずっと楽だからな!
何万人分だってたいしたことねーって!」
「でも正式採用にあたって、これからもう一品増やすつもりです」
「なにっ!? ポトフだけじゃねぇのかよ!?」
「はい。ポトフは『メラ・ゾーマス』と対になるメニューです。
ですのであとは『アイアンプレート』と対になるメニューを用意したいと思っています。
満足感でも栄養面でも、そのほうがずっと良くなりますから」
「ったく、リミリアは相変わらず人使いが荒ぇなあ!」
後ろ頭をボリボリ掻くヴェノメノンさんの腕をすり抜け、わたしはそばにいるデモンブレイン様の元へと向かう。
木から木へと飛び移るモモンガみたいに、彼の身体にひしっと抱きつく。
ヴェノメノンさんから抱きしめられたあとは、デモンブレイン様を抱きしめる……それが日課のワンセットになっていた。
やさしい瞳でわたしを見下ろしながら、「新しいメニュー、楽しみにしていますよ」と微笑んでくれるデモンブレイン様。
「それと、本日はリミリアさんのメニューの正式採用にあたり、わたくしは帝国各地の四天王や将軍たちを呼び集めた説明回を開かなくてはならなくなりました。
その関係で、エーデル・ヴァイス様の食事を運ぶ同伴ができません。
申し訳ないのですが、今日だけはおひとりで行っていただけますか」
「そうなんですか、わかりました」
わたしはもう何度もエーデル・ヴァイス様の庭園を行き来しているので、あの地獄にもすっかり慣れていた。
炎の猛牛などのモンスターの群れに遭遇しても自力で対応できるようになったので、もうひとりでも平気だろう。
わたしはついに、『はじめてのおつかい』をすることになったんだ。




