32 こっそりネタバレ
エーデル・ヴァイス様に、ニンジンを食べさせることに成功したわたし。
相手は魔王と呼ばれるだけあって想像以上の難敵で、まさか心理戦にまで発展するとは思わなかったけど、結果オーライだ。
しかしこれで終わりではない。
今の段階はまだ途中でしかない。
なぜならば、『ニンジンを食べている』ということをまだ自覚していないから。
いまエーデル・ヴァイス様は、白ニンジンをカブだと思い込んで食べている。
相変わらず普通のニンジンは残しているので、それでは食わず嫌いを克服したとはいえないだろう。
だから『ニンジンを食べている』ということを気付かせてあげないといけない。
普通であればタネ明かしをすればいいだけなんだけど、それは良くないのではないかと思った。
なにせエーデル・ヴァイス様は、ニンジンを食べさせようとするわたしの策略をすべて見きったつもりでいる。
それなのに「実はその白いの、ニンジンでしたーっ!」なんて言ったりしたら、今度こそわたしは殺されてしまうかもしれない。
そんな理由で殺されるのだけは避けたかった。
今までわたしはエーデル・ヴァイス様に幾度となく殺されかけてきたけど、今回はシチュエーションがあまりにも違う。
ニンジンが理由で殺されるだなんて、あまりにもみっともない気がするから。
だからなんとかエーデル・ヴァイス様のプライドを傷付けないように、ニンジンを食べていることに気付かせないといけない。
いちおう、そのためのアイデアはすでにあった。
それは、ポトフに混ぜてある白ニンジンを少しずつ、普通のニンジンであるオレンジ色に近づけていくというもの。
言葉で知らせるとショックが大きいのでさりげなく、それとな~く伝えるという方法だ。
他にいい手もなかったのでこの作戦を実行してみたんだけど、思ったよりも骨が折れた。
ポトフに入れる白ニンジンを、鍋で煮込む前に天然の色素のなかに漬け込んで、色を変えていなかければならなかったから。
染色した白ニンジンを毎日のポトフに入れ、段階的にオレンジ色を強くしていく。
何日目くらいで気付くかなとエーデル・ヴァイス様を観察してたんだけど、それはわたしがポトフを運ぶようになってから、10日目に起こった。
エーデル・ヴァイス様はスプーンですくった、ほんのりオレンジ色に染まった白ニンジンを見つめたあと、
「あっ」
と何かに気付いたような声を出し、一拍おいてから、
……ギンッ!
と、玉散る刃を抜いたかのような眼光をわたしに向けてきた。
わたしはとっさに目をそらす。
てっきり怒られるかと思ったんだけど、エーデル・ヴァイス様はそのまま普通に白ニンジンを食べていた。
それから20日目には、白ニンジンは普通のニンジンと見た目が同じになった。
30日目には白ニンジンを入れず、ぜんぶ普通のニンジンを入れるようにした。
その頃にはもう、エーデル・ヴァイス様はニンジンをひとかけらも残さずに完食するようになっていた。
カラッポになった皿を初めて見たときは、わたしは胸をなで下ろす思いだった。
……よかった、と……!
命が助かったのも嬉しかったけど、それ以上にニンジンを食べてもらえたことが嬉しかった。
嫌いなものを嫌いなまま、無理やり食べさせるのは間違っていると思う。
嫌いなものもおいしく食べられるようにするほうがずっといい、とわたしは思っている。
それにニンジンはβカロテンが豊富に含まれているので、髪や肌にいいんだ。
……なんて思っていたんだけど、それが思っていた以上の効力を発揮する。
ポトフを食べていた魔族の人たちが最近、髪も肌も、歯や瞳の輝きもいちだんと増すようになったんだ。
スノーバード様は天使の輪っかができるくらい髪の毛がツヤツヤだし、ヴェノメノン様は毒のせいか肌がガサガサだったんだけど、スベスベになった。
デモンブレイン様は微笑むたびに白い歯がキラリと光るし、エーデル・ヴァイス様の瞳も星がまざったようにキラキラしだして、揃いもそろってイケメン度が大幅アップ。
もしかしたら魔族というのは、身体の成長率が高いだけでなく、栄養の吸収率も高いのかもしれない。
わたしはもう、彼らのそばにいるだけでドキドキすることが多くなってしまった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それから数日後、魔王軍の作戦会議室での出来事である。
司会進行のデモンブレインは、各地に部隊を展開している将校から報告を聞いていた。
「人間軍の攻撃が激しくなってから2ヶ月ほどが経過しましたが、その勢いは衰えていないようですね。
リミリアさんが我が国の人質になってからの時期と一致しますから、やはり原因はリミリアさんなのでしょう」
ひとりの将校が異を唱える。
「デモンブレイン様、いくらなんでもそれはありえません。
リミリアというのは人間軍の王子の婚約者なのでしょう?
王がさらわれたのならともかく、たかがひとりの婚約者ごときに、人間軍があれほどまで奮起するわけがありません」
「わたくしも最初はそう思っておりましたが、リミリアさんという女性を知ってからは考えが変わりました。
きっと人間軍は、リミリアさんを取り戻そうと必死になっている。
その理由も、わたくしは説明できます。手元の資料をご覧ください」
重厚な会議机に居並ぶ将校たちが、一斉に視線を落とした。
「それは、わたくしの預かる特殊部隊の戦果をまとめたものです。
実験的にリミリアさんのポトフを食べるようになってからと、食べる前とを比較してあります」
「ええっ……!?」と信じられないような声が、あちこちであがる。
「ポトフを食べるようになってから、戦果がみるみる跳ね上がっている……!?」
「しかも死傷者もほぼゼロになっているとは……!?」
「食事を変えただけでここまで変わるとは……!?」
「まさか、信じられんっ……!?」
「で……デモンブレイン様は、リミリアとかいう人間とずいぶん仲がおよろしいという噂ではないですか!」
「もしや、そのリミリアを生かすために、数値を盛っているんではないですかな!?」
……ズドォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!
不意に振り下ろされた指先が、分厚い大理石の机を瓦のように真っ二つにする。
「ひいっ!?」と椅子から転げ落ちる将校たち。
そのヒビ割れを起こしたのは他ならぬ、エーデル・ヴァイスであった。
「俺もポトフを食うようになってから、身体のキレが増した。
手刀を使わねば割れなかったこの机もこのとおり、指先ひとつだ。
これでもまだ、リミリアを疑うというのか……!?」
「ひっ、ひぃぃぃぃっ! めめっ、滅相もございません!」
エーデル・ヴァイスは立ち上がると、拳を握りしめ命じる。
「これより我が軍の食事は、従来のメラ・ゾーマスとアイアンプレートを廃し、すべてリミリアのメニューとする!
リミリアが立案したメニューを、コック長をはじめとする料理人たちが作るようにせよ!
そして、リミリアは……。
専属料理人として、俺の私室に住まわせるっ!」
「えっ……えええええええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」




