29 隠しニンジンの術
魔王、まさかのニンジン嫌いっ……!
わたしは皿の端に残されたオレンジ色のカタマリから、魔王に視線を移す。
しかし魔王はイタズラがバレても「それが何か?」といわんばかりの猫みたいな、シレッとした表情をしていた。
そのまま立ち上がり、テーブルナプキンを床にパサッと落として立ち去っていく。
わたしは呆気に取られたまま、その背中を見送った。
そして今になってようやく、ふつふつとした怒りが湧いてくる。
わたしはエーデル・ヴァイス様が使っていたスプーンをガッと掴むと、皿に残ったニンジンをガツガツ食べた。
た……食べ物を、残すなんてぇ~~~っ!
わたしは花嫁修業のときに、ひととおりの農作を体験した。
もともと食べ物を残すのは嫌いなほうだったけど、食べ物を作る苦労を知ってからはその思いがいっそう強くなった気がする。
好き嫌いは誰にだってある。
食べたくても食べられない体質の人だっているんだ。
それを責めるつもりは毛頭ない。
だったらせめて「ニンジン抜きで」って言っておいてくれれば、最初から入れなかったのにぃ~っ!
このニンジンは食べ残されて、ゴミ箱に捨てられるために、汗水たらして作られたわけじゃない。
誰かの口に入って「おいしい」って言ってもらって、誰かの栄養になるために作られたんだ。
それなのに、それなのにぃ~~~っ!
わたしはエーデル・ヴァイス様と接しているとき、デジャヴのようなものを感じていた。
そしてそれは残されたニンジンを見たとき、確信に変わっていた。
エーデル・ヴァイス様は、シューフライ様と同じ……!
性格は似ても似つかないけど、ニンジン嫌いなことと、それを認めようとしないところがなんだか似ている。
わたしはかつてのシューフライ様との激闘の日々を、薄暗い食堂のなかでひとり思い出していた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
食器をすべて匂い封じの箱に戻し、城をあとにしたわたしを、さっそくデモンブレイン様が出迎えてくれる。
彼はまるで戦場に出かけていった家族を迎えるような表情で、「ご無事でよかった」とホッとひと息。
「問題などはありませんでしたか?」
「はい、特には……」
いや、無くはなかった。
あの『魔王のニンジン嫌い』はわたしにとっては大問題だ。
だが傍からは些細な『好き嫌い』だろうから、言わずにおく。
デモンブレイン様の顔は、いつもよりもほころんでいた。
「そうですか。エーデル・ヴァイス様とふたりっきりでいて、なんの問題もないというのは珍しいことです」
「えっ、そうなのですか?」
「ええ、非常に気難しい方ですからね。
わたくしやご家族以外の者たち以外で、エーデル・ヴァイス様とふたりきりになって五体満足だった者はほとんどいませんから」
えっ……ええ~っ……。
「ともかくこれからは、リミリアさんには1日1回、エーデル・ヴァイス様の夕食の時間にポトフを運んでいただきます。
時間の前にはわたくしがリミリアさんの部屋まで迎えに行きますので、それまでには準備を整えておいてくださいね」
「はい、わかりました」
「では、戻りましょうか。部屋までお送りします」
「はい、お願いします」
わたしは去りぎわに、いちどだけ振り返って城を見た。
そして、ずっと感じていたことを、心の中でつぶやく。
エーデル・ヴァイス様は、どうしてこんな朽ちた城で、ひとりぼっちでいるんだろう……。
すると、城の前にいたケルベロスが、「「「ガウッ!」」」と吠えた。
まるでツッコミのようなタイミングだったが、わたしの姿は見えていないはずだ。
でも、わたしは心の中で訂正する。
エーデル・ヴァイス様は、どうしてこんな朽ちた城で、犬と暮らしてるんだろう……。
それはいくら考えたところでわからなかった。
いや、わかるはずもない。だってこんな地獄を『わびさび』だなんて思う魔族の考えなんて。
そう思うとなぜか少し寂しい気持ちになったが、わたしはすぐに気を取り直す。
……だからって、ニンジンを残していいことにはならないよねっ!
わたしは心の中で、新たなる人生の目標を見いだしていた。
……エーデル・ヴァイス様になんとしても、ニンジンを食べさせてみせるっ……!!
そのための作戦と自信は、すでにわたしの中にある。
なんたってわたしは、あの偉大なる帝王夫妻や、帝国いちのコックですらできなかったこと乗り越えてみせたんだから。
シューフライ様のニンジン嫌いの克服という、誰もがさじを投げた、難題を……!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
わたしは次の日の夕食から、さっそく作戦を開始した。
いつもはポトフは城の厨房で、大鍋を使ってまとめて作るんだけど、エーデル・ヴァイス様のポトフだけは小鍋で別に作成。
煮込む具材からニンジンを抜いて、すりおろしてからスープの中に混ぜ込んだ。
これぞ、『隠しニンジンの術』……! ニンニンっ……!
これはシューフライ様のニンジン嫌いを克服させる決定打となった、実績のある術なんだ。
騙しているみたいで気が引けるけど、でもこれで魔王のニンジン嫌いも克服できるはず。
それからデモンブレイン様といっしょに、昨日と同じくエーデル・ヴァイス様の私室へと向かう。
その途中の毒味で、デモンブレイン様は気付いた。
「わたくしが頂いたポトフより、少し甘みがあるようですね」
「お気づきになりましたか。
エーデル・ヴァイス様のポトフだけは別に作って、隠し味にニンジンを入れてみたんです」
「そうですか」
デモンブレイン様の反応がいつもより少し素っ気ない気がしたが、それ以上はなにも言われなかった。
わたしは高揚した気分でエーデル・ヴァイス様の城へと向かう。
そして城の中に入ったあと、昨日とまったく同じようにして、食堂の上座に座る魔王にポトフの給仕をする。
わたしは内心ワクワクしつつ食べるのを待ったが、魔王はポトフを一瞥して鼻を鳴らした。
「……フン、ニンジンを見えぬほどに細かくしたか」
「えっ」
わたしは虚を突かれる思いだった。
まさか、一発で見抜くだなんて……!
しかし、動揺は表情には出ていなかったはずだ。
わたしはとっさに誤魔化した。
「そんなことはしていません。今日はたまたまニンジンを切らしておりましたので、入れなかっただけです」
「いくらウソをついたところで、俺には匂いでわかる」
「匂い……? すりおろして入れたものが、匂うわけが……」
わたしはハッと口を押える。
「やはりそうであったか。ニンジンがスープの中に見当たらなかったから、かまをかけただけだ」
……しっ、しまったぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?




