28 魔王の弱点
天から差し込むひとすじの光が、魔王を照らしている。
光というのは希望と感じさせるものだけど、この光は絶望というか、哀しみを引き立てているように見えた。
なぜならば、その光によって魔王の漆黒の鎧はさらに黒さを増し、まるで自身が影になったかのようだったから。
魔王は石の玉座に腰掛けたまま、崩れかけた肘掛けに頬杖をついている。
深い影がさしているので、表情はわからない。
わたしはゆっくりと近づきつつ、声をかけた。
「エーデル・ヴァイス様、お食事をお持ちしました」
すると、闇夜に輝く赤い月のような瞳がわたしに向けられた。
それだけで、わたしはスポットライトに照らされた子鹿のように動けなくなる。
これが初絡みだったら危なかったけど、もうこの眼光にもだいぶ慣れてきた。
わたしはさらに問う。
「食堂は、どちらでしょうか?」
するとエーデル・ヴァイス様は立ち上がり、鎧を鳴らしながらどこかに歩いていく。
暗闇を押し開けると、うっすらとした光が差し込んできた。
無言のままその光の中に入っていくエーデル・ヴァイス様。
わたしは「ついてこい」という意味なのだろうと思い、足元に用心しながらも早足で向かった。
扉を抜けた先は薄暗い石の廊下だったが、もうだいぶ目が慣れているのでなんとかあたりを見回せる。
城の廊下だというのに殺風景で、あるものといえば崩れた石のみ。
やがてエーデル・ヴァイス様が横道にそれ、広い部屋に入った。
長い石のテーブルが置かれた長方形の部屋。
エーデル・ヴァイス様はその奥まで進むと、上座にどっかりと腰を降ろす。
ここが食堂なんだと察したわたしは、近くにあった石の台に、持参した匂い封じの箱を置く。
中にあった鍋のフタを開けると、ほわっと白い湯気が立ち上り、あたりにポトフの香りが広がる。
この箱には保温機能もあるとデモンブレイン様が言っていたけど、できたてみたいにほっかほかだった。
わたしはまず、一緒に箱にいれていた白い食器と銀のカトラリー、そしてテーブルナプキンを取りだす。
エーデル・ヴァイス様の傍らに向かい、「失礼します」と食器とカトラリーを並べる。
ナプキンを付けようと、エーデル・ヴァイス様の首元に手を伸ばした瞬間、
……ガッ!
と手首を掴まれ、凄まれてしまった。
「貴様、なんのつもりだ……?」
それがものすごい力だったので、わたしは思わずのけぞりそうになってしまう。
「首にナプキンをお付けしようとしただけです」
「ナプキンだと? そんなものはいらん」
「でもナプキンがないと、スープが跳ねたときに鎧が汚れますよ」
「貴様、俺を子供扱いするのか……?」
「そういうわけではないです。人間軍では、ナプキンをしない時にかぎってスープが跳ねるというジンクスがあるんです。
それと同じで、白い服を着ているときにカレースープを食べると、すごく服に跳ねるというジンクスもあります」
「ふん、くだらん。ナプキンなど、女子供がするものだ」
なんだか妙な理屈だった。
でもこんなのには人間軍にいた頃にさんざん付き合わされてきたので、わたしは驚かない。
すぐに頭を切り替えて提案した。
「ナプキンを首にするのが子供っぽくてイヤなのでしたら、膝にしてみてはどうでしょう?」
「膝だと?」
「はい、こうするんです」
わたしはたたんだままのナプキンを、エーデル・ヴァイス様の膝の上に置いた。
「こうすると、テーブルマナーを守りつつも、武人としての心を忘れていないという意味になります。
なにかあったときはすぐに立ち上がって戦いに赴くことができますからね。
もちろん、ジンクスからも守られます。
これなら子供っぽくなくて、とってもスマートでしょう?」
するとエーデル・ヴァイス様はなにも言わなくなった。
ただじっと、膝の上のナプキンを見つめている。
払いのけたりしなかったのでオーケーなんだろうと思い、わたしは食事の準備をすすめた。
鍋を持ってきて、木のおたまで食器にスープをよそう。
「どうぞ、お召し上がりください」
わたしがそう言った途端、エーデル・ヴァイス様はさっそくスプーンを手にとってポトフを口に運んでいた。
エーデル・ヴァイス様はこれまで、わたしが作ったポトフはぜんぶ犬にくれてやっていた、と言っていた。
だからこれが、以前ひと口だけ試食してからの、ひさびさのポトフということになる。
まるまる一人前食べるのは、これが初めてのことだ。
その記念すべき、第一声は……?
「アヒュッ」
どうやら、熱かったらしい。
「あの、できたてのままの熱さですから、フーフーして冷ましてからお召し上がりになったほうが……」
「そんな女子供のようなことができるか。それに熱くなどない」
言いながら、ふた口目を口に運ぶエーデル・ヴァイス様。
口の中でこっそり、ホフホフやっている。
わたしはそろそろ思い始めていた。
もしかしてこのヒト、子供っぽい……?
と。
いや、いくらなんでも子供っぽい魔王なんて聞いたことがない。
今のはたまたま偶然なんだろう。
だって普段の彼は威厳に満ちていて、そばにいるだけでサバみたいに身が引き締まるくらいなんだから。
わたしの疑惑はそのようにして、早々に打ち消されたはずだった。
しかしこのあとに起こったある出来事によって、ついに確信に変わる。
かちゃり。
とスプーンをテーブルに戻すエーデル・ヴァイス様。
どうやら「ごちそうさま」のようだったので、わたしは食器を片付けようとする。
そこで、見てしまったんだ。
皿のなかにあった、あるものを。
それは、なんと……。
ニンジンっ……!
それもひとつやふたつの『食べ残し』レベルではない。
おそらくポトフに入っていたニンジンがすべてキッチリと残され、あまつさえすみっこのほうにより分けられていた。
この世界の魔物たちの頂点に立つ、あの魔王が……!
弱い人間なら、眼光だけで睨みで殺すとさえ言われている、あの魔王が……!
まさかの、ニンジン嫌いっ……!?




