26 デモンブレインの秘密
わたしは魔王の私室にポトフを届け、食事の世話をするという大任を仰せつかった。
魔王の部屋はてっきり同じ城のなかにあって、王様らしい豪華な調度品に囲まれているのだろうと思っていたのに……。
わたしはなぜか隠し通路を通って、地獄のまっただ中にいた。
しかもこの地獄、魔族的には『わびさび』を感じるらしい。
わたしはこの城で暮らすようになって、少しは魔族というものに詳しくなったと思い込んでいた。
しかしまだまだわからないことだらけだと、改めて思い知らされる。
ヴェノメノン様はなぜかわたしをハグしたがってドキッとするし、スノーバード様は時折妙に大人びて見えてドキドキすることがある。
エーデル・ヴァイス様に至っては、いまだに何を考えているのかまったく分からない。
それなのにこんな地獄を見せられては、ますますわからなりそうだ。
しかしわからなければわからないほど、わたしは好奇心を刺激される。
わたしはぶるんと頭を振って、目の前に佇んでいる、わたしの知る魔族ではいちばんマトモなデモンブレイン様に言った。
「風光明媚でとてもよい庭園だと思います」
感想を述べた瞬間、ギャワーと絶叫する生首が飛んできて、デモンブレイン様のブーツに当たる。
しかし彼は気にも止めず、風で転がってきた空き缶感覚で蹴りのけていた。
「それはよかった。では、わたくしの後についてきてくださいね」
やさしく微笑んでからわたしに背を向け、静々と歩き出すデモンブレイン様。
こうして改めて後ろから見てみると、彼の歩き方は清流のように淀みがなくて美しい。
まわりが文字通りの地獄絵図だから、余計引き立てられているのかもしれない。
地獄の道は凹凸こそなく歩きやすいものの、時折モンスターがすごい勢いで通り過ぎていく。
象みたいな大きさで、全身が炎に包まれた猛牛たちの群れが遠くに見えたとき、デモンブレイン様はマントを広げながら振り返り、両手で通せんぼするようにしてわたしの壁になってくれた。
……ゴォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
鉄砲水のような轟音とともに、荒れ狂う炎がわたしのすぐ両脇を掠めていく。
デモンブレイン様が庇ってくれているおかげでわたしは肌がヒリヒリするくらいですんだけど、デモンブレイン様の背中からは業火が噴き上げていた。
わたしは思わずハッと口を押えそうになったけど、宝箱を持っていたのでガマンする。
「大丈夫ですか、デモンブレイン様?」
「ええ、このくらいの炎でしたら、なんともありませんよ」
本当になんともなさそうに、微笑んでみせるデモンブレイン様。
しかしわたしはあるものを目の当たりにしてしまい、心臓が止まりそうになった。
それはなんと、デモンブレイン様の身体から飛び出す、無数の結晶……!
わたしの驚愕に気付いたのか、デモンブレイン様が苦笑いとともに言う。
「わたくしはこうして手を広げると、頭以外の全身から鋭い結晶が飛び出す体質なんですよ」
結晶は炎の輝きを反射し、妖艶に輝いていた。
「だから、生まれてから母親にも抱きしめられたことがありません。
ひとつ間違うと、串刺しになってしまいますからね」
「……!」
わたしはこのとき、デモンブレイン様とヴェノメノンさんの確執を思いだしていた。
ヴェノメノンさんは何が楽しいのかわからないけど、毎日わたしにハグをする。
そのときは、必ずといっていいほどその場にデモンブレイン様がいた。
毒手が触れたら危険だからと、わたしを引き離そうとしていたんだけど……。
もしかしたらデモンブレイン様は、うらやましかったのかな……?
誰かをハグできる、ヴェノメノンさんが……。
炎の猛牛の群れが通り過ぎたあと、デモンブレイン様両手を降ろす。
無数の結晶は粉雪のように散り、消えていった。
そこには、いつもと変わらぬ微笑みが。
「危ないところでしたね。では、気を取り直して……」
……どうしちゃったんだろう。
わたしは気付くと、デモンブレイン様の胸に飛び込んでいた。
頭上から、いつになくうろたえる声が降ってくる。
「リミリアさん、いったい何を!? 危ないから、離れて……!」
「手を挙げなければ、危なくはないのですよね?」
わたしは顔をあげて、デモンブレイン様を見つめる。
そこには、目をまんまるにしたデモンブレイン様がいた。
いつも穏やかな瞳が、荒波のように揺らいでいる。
「ごめんなさい、デモンブレイン様。
抱きしめられたことがないと聞いて、ついやってしまいました。
初めて抱きしめられた感じはいかがですか?」
「今は驚きのほうが強いので、なんとも言えませんが……。
いいもの……だと、思います」
「人間というのは、生まれる前からお母さんに抱きしめられているんです。
だから抱きしめるという行為は、いちばんの愛情表現で、いちばん幸せなことなんです。
人間に近い魔族も、きっとそれに当てはまると思います。
それに抱きしめられないからって、悲観することはありません。
逆にこうやって、抱きしめてもらえばいいのですから。
わたしに抱きしめられて喜びを感じるのであれば、好きな人に抱きしめてもらったら最高の気分になると思いますよ」
「串刺しにされるかもしれないのに、抱きしめてくれる者なんていませんよ。
……いや、ここにひとりいましたね」
「そうですよ。ひとりいるということは、他にももっといるということです。
抱きしめられるのって、とっても素敵なことでしょう?
それを知らないだなんて、もったいないです。
わたしはデモンブレイン様に、抱きしめられる喜びを知って欲しかったんです」
「そうですか……なら、これからもわたくしを抱きしめてもらえますか?」
「えっ」
「リミリアさんは毎日、ヴェノメノンさんに抱きしめられているでしょう。
なら誰かを抱きしめないと、釣り合いが取れないではないですか」
それは理知的なデモンブレイン様からは想像もつかないほどの、子供っぽい理屈だった。
わたしは思わず『かわいい』なんて思ってしまう。
「ふふっ、かまいませんよ。
デモンブレイン様の意中の方が抱きしめてくれるまで、わたくしが抱きしめてさしあげます」
道が続く森の向こうから、不意に「どーん!」と炎が噴き上がる。
火山の噴火とは比べものにならない規模の、天を突き抜けるような黒炎の柱だった。
この世の終わりのような風景に、わたしの抱きしめる腕にも力が入る。
「あの炎は……?」
「あれはエーデル・ヴァイス様の怒りの炎です。
どうやら待ちくたびれている様子ですので、急いだほうが良さそうですね」
えっ……ええ~っ……。




