25 魔王の庭園
わたしはスノーバード様の『魔王族の儀式』の次の日から、さっそく新しい仕事ができた。
こんなにじっとしてない人質というのは、かなり珍しいかもしれない。
その新しい仕事は、『エーデル・ヴァイス様の、食事のお世話』
人質が異国の最高権力者の身の回りの世話をするなんて、世界初かもしれない。
なんにしても、私は少しだけ緊張していた。
だってあの魔王様は、なにを考えているのか表情からではぜんぜん読み取れないから。
しかし同時に楽しみでもあった。
いままで魔王の私室を目撃した人間というのは、魔王を倒した勇者しかいない。
勇者は完全に押しかけだけど、わたしは招かれた立場だ。
魔王の部屋に堂々と入っても咎められないだなんて、間違いなく人類初の出来事だろう。
その日の朝にはさっそく、デモンブレイン様が迎えにきてくれた。
デモンブレイン様は小脇に大きな宝箱のようなものを抱えている。
わたしはすでに自室のキッチンでポトフを作っていたので、それを1人前用の鍋によそってトレイに乗せて持ち、デモンブレイン様の案内に従う。
城での最高権力者の部屋といえば、見晴らしのいい高い塔の上とかだったりする。
エーデル・ヴァイス様も、わたしの部屋の窓から見える北の塔とかにいるのかなぁと思っていたんだけど……。
予想とはまったく違っていて、わたしはいきなり謁見場に連れてこられていた。
デモンブレイン様はおおきな王座の後ろに立つと、床をなにやらある順番で踏んでいた。
すると、
……ゴゴゴゴゴゴッ!
床がずれて、隠し階段が現れた。
「おおっ」と驚くわたしをよそに、階段を降りていくデモンブレイン様。
わたしは後に続く。
長い螺旋状の階段をしばらく降りていくと、木の扉に突き当たる。
その前でデモンブレイン様は立ち止まった。
「ここから先はエーデル・ヴァイス様の『庭園』となります」
「庭園? 地下に庭があるんですか?」
「はい。手狭ではありますが、危険な場所ですので、わたくしからは離れないようにしてください。
そしてこの扉を開けた先は、時間の流れが遅くなります。
この扉の向こうでは、1時間滞在しても1分しか経過しません。
体感ではわからないと思いますが、このことだけは覚えておいてください」
のっけからとんでもない説明の連続に、理解が追いつかない。
エーデル・ヴァイス様は1枚の紙のようなものを差し出してきた。
「あと、これを身に付けておいてください」
「これは、なんですか?」
「護符です。身に付けた者の姿、足音、体臭、生命力を消します」
「えっ、ということは庭園にはモンスターがいるということですか?」
「はい。どれもたいしたモンスターではありませんが、数が多いので念のために」
庭にモンスターがいるというのはかなりの驚きだが、魔王城ならおかしくはないだろう。
「そうですか、わかりました」
「そしてポトフの匂いでモンスターに感づかれることを防ぐために、鍋をこちらの箱に移してください」
と、小脇に抱えていた宝箱を開くデモンブレイン様。
「この箱は魔法練成が施されているので、外に匂いが漏れることはありません。
また保温機能もありますので、ポトフを温かいまま運ぶことができます」
「わかりました」
人間軍では護符だけでも相当な価値があるというのに、まさか匂いを消す宝箱まで出てくるだなんて……。
もしかしたらわたしは、とんでもないことを引き受けちゃったのかな?
そう思いながらも、わたしはデモンブレイン様に手伝ってもらって、トレイの上のポトフを宝箱に移す。
そのときついでにデモンブレイン様はポトフの鍋に怪しいところがないかあらため、毒味をする。
それらが終わってフタを閉めると、確かにかすかな匂いもしなくなった。
わたしは宝箱をしっかりと胸に抱くようにして持つ。
デモンブレイン様はなにかを思いだしたように「そうだ」と口にした。
「それと、護符は2分で効果が切れます。
扉の向こうでは2時間ほど持ちますので、それまでにエーデル・ヴァイス様のお世話を終わらせて戻ってくるようにしてください。いいですね?」
そういえば護符は使い切りだったんだ。
人間界の護符というのは、ひとつの気配を断って30秒持てば良いほうとされている。
すべての気配を断って2分持つというのは驚異的な効果だ。
やっぱり、魔王軍は魔法の研究が進んでいるのだろう。
それにエーデル・ヴァイス様の食事のペースはわからないけど、2時間もあればじゅうぶんなはずだ。
「はい、わかりました」
「これですべての準備が整いました。
では、これからエーデル・ヴァイス様の部屋へと案内します。
重ねて言いますが、この扉をくぐったら絶対にわたくしから離れてはりませんよ」
そう念を押されると余計怖くなってくるけど、わたしはそれを表に出さずに「わかりました」とだけ答える。
エーデル・ヴァイス様は背を向け、扉に手を当てて押し開く。
わたしはこの先に広がる庭園に思いを馳せていた。
王の庭園といえば、花や緑にあふれ、穏やかな風が吹いているもの。
木々が静かにざわめき、小鳥がさえずり、ハープやフルートのハーモニーが流れる。
磨かれた石膏が太陽の輝きを受けて、白くまばゆく輝いているんだ。
しかし、扉の隙間から漏れてきたのは、
……カッ!
マグマのようにぐろぐろとした、赤黒い光っ……!?
それに肌をチリチリと焦がすような、熱風っ……!?
続けざまに、
……ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!
と、地鳴りのような音が漏れ聞こえてくる。
間髪いれず、
「ギャァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!?!?」
鼓膜に齧り付くような、阿鼻叫喚っ……!?
開け放たれた扉の向こうにあったのは、まさに『地獄』であった。
扉から続く一本の道、その脇はすべて血の池。
池の対岸には枯木だらけの森があって、人型の悪魔や獣たちが争いあっている。
血の池のそばに吹き飛ばされた者は、池から出てきた手によって中に引きずり込まれ、ドロドロに溶けて骨となっていた。
最初の悲鳴はどうやら、そこから聴こえてきたもののようだ。
遠巻きには針の山があって、赤い肌の巨人たちがうろついている。
そこからも、かすかな悲鳴が届いてきている。
遠と近による、悲鳴のハーモニーがあたりに満ちていた。
針山の向こうにある大きな山々はつねに噴火していて、空はこの世の終わりのように明滅している。
雲間を時折、巨大な黒蛇のようなシルエットが横切っていくのが垣間見えた。
わたしはおそるおそる一歩を踏み出す。
あたりには火の粉が降りしきり、わたしの身体に落ちると汚れた雪のような灰に変わる。
振り向いたデモンブレイン様はわたしの顔見るなり、「やっぱり」とでも言いたげに苦笑していた。
「こじんまりしていて、驚かれたようですね。
エーデル・ヴァイス様はああ見えて、『わびさび』を好まれる方なのですよ」
えっ……ええ~っ……。




