02 魔王エーデル・ヴァイス
わたしは処刑台に縛り付けられたまま、『シルヴァーゴースト帝国』に連れ去られてしまった。
魔物たちの国を訪れるのは初めてだったので、飛んでいる最中、わたしはずっとキョロキョロあたりを見回す。
土地には緑がほとんどなくて、枯木ばかり。
湖の水は紫色や緑色をしており、岩や山は苦痛に歪むような顔が浮かび上がっている。
街や村などもあったが、住んでいるのは異形の魔物たちで、見た目は人間よりも個性的。
そして王都にあるお城は禍々しい形をしていて、まわりにはコウモリがたくさん飛んでいた。
どこに連れて行かれるんだろうと思っていたけど、わたしの身体はその不吉な見た目の城に吸い込まれていく。
その中にある謁見場らしき場所で降ろされ、いきなり『魔王』とご対面となった。
魔王は歪な形の玉座に、漆黒の鎧を着てふんぞり返っていた。
見た目や体つきは人間とまったく同じだが、瞳は血に沈んだように真っ赤で、吸血鬼のような鋭い牙が口から飛び出ている。
年の頃は若くて、わたしやシューフライ様と同じくらい。
そして帝王らしく顔つきは傲慢不遜。逆立てたウルフカットに鋭い目つきで、好戦的な笑みを浮かべていた。
魔王は、静かに唸る獣のように言った。
「まさか本当に婚約者を差し出してくるとは思わなかったな」
魔王の隣に立っている男の人が言った。
「エーデル・ヴァイス様。部下に確認させたところ、替え玉などではなく、本物の婚約者だそうです」
その男の人は白いローブを着ていて、とても背が高かった。
瞳は海をただようように青く、顔だちは穏やかで知的。わたしは、魔物にもこんな人がいるんだと思ってしまった。
立ち位置的に、たぶん軍師とか元老とかの、相談役のポジションだろう。
少し歳上っぽい軍師の一言に、魔王は鼻で笑った。
「ふん、本物を送りつけてくるとは、あのシューフライとか言う王子もずいぶん思い切ったことをしたものだな。
そんなことをすれば、国内ので評判がガタ落ちとなるだろうに」
わたしはつい、口を挟んでしまう。
「そうはなりません。
シューフライ様はわたしを『魔王軍』にさらわれたことにして、悲劇のヒーローになるおつもりでしょう」
魔王の目がギロリとわたしを捕らえる。
ただ見据えられただけなのに、その眼光はすさまじかった。
まるで暗闇のなかで、いきなり強い光を浴びせられたみたいに。
「貴様、なぜそう言い切れる?」
「シューフライ様はわたしとふたりっきりで『魔王軍』に連絡を取りました。
目撃者は誰もいないので、シューフライ様はなんとでも説明ができます」
すると、魔王は重苦しい金属音とともに立ちあがった。
鎧の鋭い肩先で風を切り裂き、地響きのような足音とともにわたしに近づいてくる。
それだけで、ものすごいプレッシャーを感じる。
まるで、首に押し当てられた鋭い刃が、少しずつ肌に食い込んでくるような。
魔王は処刑台のそばまで来ると、殺気走る目で尋ねてきた。
「貴様、名はなんという……!?」
それは地獄の釜蓋が開いたかのような、恐ろしい唸り声。
「リミリアです」
「リミリア……貴様は、この俺が怖くないのか?
ここに連れてこられた人間はまだ数えるほどしかいないが、どいつもこいつも、俺の目を見ただけで小便を漏らす。
そして泣きながら命乞いを始めるのだ……!」
「当然、怖いです。しかし、命乞いはしません」
「……なぜだ?」
「わたしをこの場で殺すメリットがないからです。
人質として利用したほうがメリットが大きい。
そして殺すとしても、民を大勢集めた場所で処刑したほうが支持を得られます」
「俺はそういう打算的なヤツが嫌いだ。そういうヤツの首を刎ね飛ばしてやったらどうなるかわかるか?
殺されたのが信じられない表情で、地面に転がるのだ」
魔王は腰に携えている剣の柄に手をかけた。
わたしは覚悟を決めて、目を見開く。
相手は魔物なので、感情の赴くままに人間を殺すことなど珍しくない。
そして命乞いはしても無駄だというのを、わたしはお稽古で習った。
むしろ命乞いをしているヒマがあったら、生き延びるための方法を限界まで探れ、と……!
「おやめください」
不意に、魔王の背後にいた軍師が言った。
「その女の言うとおり、生かしておくほうが価値があります。
それに打算的な者がお気に召さぬというのであれば、次はこのわたくしも手に掛けるおつもりですか?」
それは石清水を飲んだみたいに、心のなかにすーっと染み込んでくるような、不思議な声だった。
魔王の顔は険しいままだったが、いまにも抜刀しそうだった腕から力がゆるむ。
「ふん。デモンブレインよ、そこまで言うならこの女は貴様にくれてやろう、好きにしろ」
吹き上げるマグマのようだった魔王の声も、いくぶん和らいだ気がする。
彼はわたしに背を向けると、鎧を鳴らして謁見場をあとにする。
デモンブレインと呼ばれた軍師はわたしに近づいてきて、処刑台の脚の拘束を外してくれた。
手の拘束も外してくれるだろうと思っていたのだが、彼は微笑むのみ。
「手のほうは自力で外せるでしょう?」
「あ、バレてたんですね」
わたしは魔王軍の兵士に連れ去られている最中、何かあったら逃げ出せるようにと手の拘束をこっそり緩めていた。
これもお稽古事で教わった脱出テクニックだ。
先ほど、魔王はわたしの首を刎ね飛ばそうとしていたが、その時は手の拘束をはずし、剣撃をしゃがんでかわすつもりでいた。
そしてあとはいちかばちか、自由になった両手で脚の拘束を外し、逃げるつもりだったんだけど……。
「わたくしが『おやめください』と言ったのは、リミリアさんに対してでもあったんですよ。
もしエーデル・ヴァイス様の一撃をかわすようなことがあったら、あのお方は意地になってあなたを殺そうとしていたことでしょう」
わたしの作戦は、彼にはぜんぶバレていたようだ。
どうやら、かなり優秀な人物みたい。
魔王の軍師は、処刑台から降りたわたしに向かって言った。
「あなたはたった今から、わたくしが預かる人質となりました。
わたくしを不始末で死なせたくなければ、大人しくしていてくださいね」
それは人質に対しての言葉とは思えないほどにやさしく、穏やかだった。
そんな風に言われて大人しくしている人質がいるとは思えないが、デモンブレイン様に言われると不思議と従いたくなってしまう。
「それでは、わたしのあとについてきてください」
「はい」
わたしはカルガモの親についていく雛のように、ひょこひょことデモンブレイン様の後を追った。