19 戦い終わって
静まり返るコロシアム。
その場にいた何万もの『魔王軍』の者たちは、ただじっとひとりの少年を見つめている。
燃え落ちるハリボテ迷路の真ん中で、生まれたての子鹿のように震える少年を。
「かっ……勝っ……た……」
スノーバード様は、剣を握りしめたまま震えていた。
脚がガクガクと笑い、とうとう立っていられなくなり、ぺたんと女の子座りで崩れ落ちる。
それでも剣を離さない。いや、離せないのだ。
初めて戦場に出た兵士は、極度の緊張のあまり、ずっと力いっぱい剣を握りしめている。
だから戦いが終わっても指が硬直し、自分の意思では剣を離すことができなくなるんだ。
静けさに一石を投じるように、審査員席のデモンブレイン様が立ち上がり、高らかに宣言した。
「見事、スノーバード様は己の力を持って、魔人兵を退けてみせました!
絵画と紙粘土の造型という技能を、創意工夫を持って戦場に持ちこみ、敵を翻弄できることを証明してみせました!
それはあまりにも本物と見分けがつかず、魔人兵どころかこのデモンブレインまでもを欺いてみせました!
これは文句なく、スノーバード様の力の勝利といってよいでしょう!
この力は今までのものとは大きく異なるため、我が帝国に新たなる戦術をもたらしてくれるに違いありません!
よって、スノーバード様を正式に王族と認めます!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
満場一致の大歓声が、コロシアムを揺らす。
審査員席にいた年寄りの魔物たちは不満そうであったが、しぶしぶと引き下がる。
エーデル・ヴァイス様はすでに席から立ち上がり、コロシアムをあとにしていた。
「やったやった、やったぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
わたしもこの時ばかりは嬉しさのあまり冷静さを忘れ、檻の中で小鳥みたいにぴょんぴょん跳ねてしまった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
スノーバード様は無事『魔王族の儀式』をクリアし、晴れて王族の仲間入りをした。
わたしは逃げる最大のチャンスを失ったけど、殺されずにすんだ。
スノーバード様は王族となったので、魔王軍の剣術指南のもとで、さらなる剣の訓練に励む。
1ヶ月前はハエも殺せなかった剣撃は、もはや人間軍のの兵士とも渡り合えそうなほどに鋭くなっていた。
スノーバード様の部屋に呼び出されたわたしは、剣術練習用の人形相手に爽やかな汗をかく彼に、こう言われた。
「ボク、もっと強くなってみせる! リミリアさんを護れるくらいに!」
「スノーバード様、わたしは人質ですよ? 人質を護る王族なんて、聞いたことがありません」
「でも今のボクは、リミリアさんから1本も取れないくらいに弱い! もっともっと、強くなりたいんだ!」
「目標があることは良いことだと思います。でもわたしから1本を取るのは、簡単なことじゃありませんよ?」
すると、スノーバード様の剣の舞いがピタリと止まる。
彼は剣を鞘におさめると、まっすぐな瞳でわたしを見据えた。
「それはわかってる。だから、もしボクがリミリアさんから1本を取ったら、その時には……」
「そのときには?」
それまでスノーバード様はハキハキした言葉遣いだったのに、聞き返した途端に急に歯切れが悪くなった。
何かを言い出そうとして言葉を引っ込め、違う言葉を選んでいるようだった。
「……ボクが勝ったら……。ボクの言うことを、なんでも聞いてほしい」
なんだ、そんなことか。
そんなことならお安い御用だ。
「はい、かまいませんよ。スノーバード様がわたしから1本を取ったら、ひとつだけなんでも言うことを聞いてさしあげます」
わたしはてっきり、好きなスープを大盛りで食べたい、とかそんな願いなんだろうと思っていた。
だから快く承諾したら、スノーバード様も子供のように喜んでくれるかと思っていた。
しかしスノーバード様は、わたしがドキッとするほどの熱い眼差しで、こう言ったんだ。
「約束だよ」と。
そして剣術練習を再開する。
たったこれだけのやりとりをしただけなのに、剣の鋭さはさらに磨きがかかり、一撃で人形の心臓を貫いていた。
彼の真剣な横顔の意味を、わたしはまだ知らない。
まさかスノーバード様が、こんなことを望んでいただなんて。
――ボクはリミリアさんから1本を取って、リミリアさんの恋人になりたい……!
でもたぶん、リミリアさんは男の人が苦手だ。
ボクが鬼ごっこで抱きついたときの反応で、なんとなくわかった。
だからこの願いを先に言ってしまったら、リミリアさんはそれを意識してしまい、弱くなってしまうだろう。
そんなリミリアさんに勝ったところで、なんの意味もない。
リミリアさんはボクのことをたぶん、弟のように大切に思ってくれている。
嬉しいけど、それじゃ嫌なんだ。
ボクはリミリアさんに、生きる希望をもらった。
そして今まで誰も好きにならないほうが幸せだと思っていたボクに、人を好きになる喜びをくれたんだ。
だからボクはもっと、強くなる……!
強くなって、リミリアさんにひとりの男として、認めてもらうんだ!
リミリアさんはきっと、魔人兵よりもずっと手強い。
今のボクには、1本を取るどころか剣をカスらせることだって無理だろう。
でも不可能なんてないんだって、リミリアさんが教えてくれたんだ。
魔人兵の心臓を貫いたように……。
ボクはリミリアさんのハートを、貫いてみせるっ!
……ドシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥーーーーーーーーーーーーーーッ!!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
わたしはスノーバード様と約束の指切りをしたあと、城の厨房へと向かう。
明日の仕込みをしているコック長のヴェノメノンさんに、ぺこりと頭を下げた。
「ありがとう、ヴェノメノンさん。毒を分けてくれて。
おかげで魔人兵の胸のコアを壊すことができました」
「俺もヤキが回っちまったのかねぇ。
毒は俺の血よりも大切なものなのに、それを女にくれてやるなんて……。
それに、毒をやらなきゃライバルも1匹減ったってのによ」
「ライバル? なんですかそれ?」
「なんでもねーよ、それよりも……」
「ひゃうっ!? きゅきゅっ、急に抱きしめないでください!」
「なんだよ、約束したじゃねぇか。毒をやったら、1日1回ハグさせてくれるって」
「そそっ、それはわたしをからかう冗談だと思ってました!」
「はぁ? なんで冗談だって思ったんだよ?」
「だって、わたしなんて抱きしめても、なんのメリットもないのに……」
「メリットなんて知るかよ。俺がしたいからしてるんだ」
「そうなんですか? でも、いきなりはダメです。わたしにも、心の準備というものが……」
「うるせーよ、俺にそう何度も指図できると思うな。こればっかりは俺の好きなようにさせてもらうぜ」
「わかりました。でも包丁を使ってるときはやめてくださいね?
びっくりして護身術が出ちゃって、刺しちゃうかもしれないので……」
「こ……怖っ!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
厨房に様子を見にきたデモンブレイン様といっしょに、わたしは自室に戻っていた。
その途中でわたしはデモンブレイン様を追い越し、前で立ち止まって頭を下げる。
「あの、デモンブレイン様、本当にありがとうございました」
「どうしたんですか? 急にあらたまって」
「『魔王族の儀式』の最後で、魔人兵に声をかけてくださいましたよね?
あのときにデモンブレイン様が右だと言ってくださらなければ、今頃は……」
「礼には及びませんよ。わたしは本当に右だと思ったから、右だと言ったのです。
それにリミリアさんならご存じでしょう。
魔人兵のようなゴーレムは、マスターの言うこと以外は聞かないことを。
だから魔人兵はわたしの言葉で狙いを変えたのではなく、自分の意思で変えたのですよ」
「あ……そういえば、ゴーレムっていうのはそういうものでしたね……」
ということは、あのとき魔人兵が狙いを変えたのは偶然だったのか。
魔法で動く人形にも、『迷う』ってことがあるだなんて知らなかった。
わたしは少し腑に落ちないものを感じながらも、廊下を歩いて自分の部屋に戻る。
するとわたしの部屋の前にはまたしても、エーデル・ヴァイス様が立っていた。




