15 強くなるためのスープ
『魔王族の儀式』は1ヶ月後に行なわれることに決まった。
もしスノーバード様の相手が血の通った生き物なら、手加減してもらえる目もあったかもしれない。
しかし相手は魔法で動く、心どころか血も涙もない人形。
一切の手心はないので、ひ弱なスノーバード様が勝つのは不可能に近い。
そして魔人兵は敵をすぐには殺さず、捕らえてから3日3晩苦しめ抜いてから殺すんだ。
そうすることにより、敵の戦意を喪失させるために。
たとえそれが魔族なりの弱き者への見せしめだったとしても、あまりにも残酷すぎる。
そしてわたしは、『魔王族の儀式』が終わると同時に殺されるだろう。
わたしが生き残る道はひとつしかない。
『魔王族の儀式』までに魔王城から逃げ出すことだ。
いまは人間軍が各地で蜂起してくれているおかげで、本拠地である魔王城は手薄になっている。
逃げ出すには絶好のチャンスだ。
しかしわたしの頭は追いつめられたネズミみたいに、いかにしてネコを噛むかばかりを考えていた。
そしてわたしのは足は自然と、スノーバード様の部屋へと向かっていた。
スノーバード様はパジャマ姿のまま、よろよろと剣を振っていた。
生まれたての子鹿みたいな足取りで、枝のように細い腕で。
スノーバード様はわたしが訪ねてきたことも気付かず、しばらくのあいだ一心不乱に稽古にはげんでいた。
「あっ、リミリアさん! ボク、やるよ! 『魔王族の儀式』を!
ボクは兄さんの足手まといになっていたのが、ずっと嫌だったんだ!
それにボクだってやれるんだってことを、みんなに見せてやりたいんだ!」
彼の真剣な眼差しに射貫かれた途端、わたしの中にあった『逃げる』という選択肢は粉々に吹っ飛んでいた。
いや、元からそのつもりもなかったのかもしれないけど、これで確信になった。
そうだ……! わたしはなんとしても、スノーバード様を勝たせてみせる……!
これから付きっきりで、スノーバード様を鍛えてさしあげるんだ……!
たとえ『魔王族の儀式』のあとに殺されたって、かまうもんか……!
勝ち目は1パーセントもないけど……。
それこそがみんなが幸せになる選択肢なのであれば、命だって賭けてやる……!
わたしは珍しく興奮していた。
フンスと鼻息を荒くして、スノーバード様に宣言する。
「ではわたしが、スノーバード様に剣をお教えします」
すると、スノーバード様は意外そうな顔をした。
「えっ、リミリアさんって剣術ができるの!?」
「はい。花嫁修業でみっちり仕込まれましたから。
それだけではありません、スノーバード様のお身体を作るために、これからは徹底管理をさせていただきます。
それらは厳しいこともあるでしょうが、ついてくるだけのお覚悟はおありですか?」
「もちろん! 強くなれるんだったら、ボク、なんでもやるよ!」
そしてスノーバード様の猛特訓が始まる。
といっても、まだ半病人のスノーバード様は虫も殺すだけの力もない。
わたしは食生活から見直すことにした。
ポトフをやめて、特製スープのレシピを考える。
それは身体に負担にならずに、おいしく食べられるものでなくてはならない。
世の中には身体にいいからってマズいものをガマンして食べる人もいるが、わたしはそれが嫌いだ。
わたしは自室のキッチンで、取り寄せた食材と格闘開始。
まずは良質なタンパク質が得られる、ササミとブロッコリーをメインにする。
あとは見た目と栄養のために、コーンとパプリカをチョイス。
それらを食べやすい大きさに刻んで茹でて、ブイヨンで味付け。
そして仕上げにミルクを入れる。
牛じゃなくて、ヤギのミルクだ。
ミルクの中では脂肪分も栄養素のトップクラスで、濃厚で深い味わいがある。
コトコト煮込んだあと、最後に半熟ゆで卵を載せれば……。
『特製ミルクスープ』のできあがりっ……!
できたものをさっそくスノーバード様に差し入れる。
最初は「ポトフじゃないの?」と浮かない表情だったが、ひと口食べた途端、廊下にまで響くような大声で、絶叫していた。
「うわあああっ!? おいしいおいしいおいしいっ! おいしぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーっ!?
これ、すっごく美味しいよ! 毎日でも、ううん、3食ずっとこれでもいい! いや、これがいいっ!」
『特製ミルクスープ』はかなりの栄養があり、特に良質なタンパク質が豊富。
筋肉を付けなくてはいけないスノーバード様にはピッタリのスープだった。
これは効果てきめんで、何をするにもおじいちゃんみたいだったスノーバード様が、1週間もかからずにキビキビと動けるようになった。
振り回す剣も、虫を殺せるくらいの力強さを得る。
これで、基礎訓練の下地は整った。
わたしは人間軍の見習い兵士たちにも指導したことがある、トレーニングメニューをスノーバード様に伝授した。
「まずは鬼ごっこです。わたしを捕まえてみてください」
「えっ、鬼ごっこ? それって子供の遊びじゃないか。強くなるためのトレーニングをしたかったのに……」
「そう言うことは、わたしを捕まえてから言ってください」
「そんなの簡単だよ」ばびゅんっ!「ああっ、待って!」
わたしは部屋のなかを縦横無尽に逃げ回り、スノーバード様を翻弄する。
彼は数秒もたたずにへばってしまった。
「どうしたのですか、簡単ではなかったのですか?」
「くうっ、負けないぞぉ!」
へばっては走り、走ってはへばる繰り返し、まずは基礎体力と、呼吸と循環器系の能力を向上させる。
それで1週間ほどで、運動がすごく苦手な中学生くらいの能力にはなった。
「今日からは筋トレも並行してやっていきましょう。
まずは腕立て伏せです。最初は膝を付いた状態でやってみましょう」
膝を付いた状態での腕立て伏せは、普通の腕立て伏せに比べて負荷が低い。
身体がまだできていないスノーバード様が始めるには、ちょうどいいトレーニングになるんだ。
スノーバード様はわたしのトレーニングメニューを、投げ出すことなくこなしてくれた。
それどころか辛いのに笑うようになった。
「はぁ、はぁ、はぁ……! こんなに楽しいのは、生まれて初めてだよ!
ボクはずっと、窓の外から見える鳥の巣から、雛鳥が飛び立つのを応援してたんだ!
そしていつかボクも、あんなふうに自分の力で飛び立ってみたいって思ってた!
その夢がいま、叶ったんだ! ボクはいま、自分の力で飛んでるんだ!
ボクは生きてる、生きてるんだーっ!!」
生きる喜びを叫びながら、腕立て伏せ40回という新記録を打ち立てたスノーバード様。
身体から湯気がたつほどに、全身汗びっしょりになっている。
たまらず脱いだタンクトップ。
裸の上半身には、もはや痩せマッチョ待ったなしと呼んでも差し支えないくらいの身体つきになっている。
わたしは舌を巻いた。
この短期間で、ここまでの筋肉が付くだなんて。
魔族は人間よりも身体能力が上だが、それは成長が速いというのも関与しているのかもしれない。
心なしか背も伸びたようだ。
そして顔つきも精悍になりつつある。
ブロッコリーには男性ホルモンであるテストステロンがあって、それを摂取しているからだろう。
わたしにとってはスノーバード様は『親戚の子供』みたいだった。
でもここにきて急に『男子』っぽくなったような気がする。
そんなことを考えた途端、わたしの『トレーナーモード』の仮面が剥がれてしまう。
タオルで汗を拭くスノーバード様に微笑まれただけで、カッと身体が熱くなってしまい、それ以上は直視できなくなってしまった。
「急に後ろ向いたりして、どうしたのリミリアさん?」
「い、いえ、なんでもありません。それよりも次は鬼ごっこですよ」
「よぉーし、今日こそは捕まえてやるぞっ!」
ばびゅ……ガシィィィィィィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!
「やった! 捕まえた!」
「どっ、どどっ、どうして……!?」
「ずっと毎日やってたからね。リミリアさんのフェイントも、だいぶ見抜けるようになったんだよ。
それに、今の逃げ方はリミリアさんにしては動きが単純だったから。
あはは、もう離さないよ、リミリアさん!」
半裸の美少年は爽やかに笑いながら、わたしをギュッと抱きしめてくる。
それだけで、わたしの心のダムはあっさりと決壊してしまった。
「フォッ、フォォォォォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーッ!?!?」
「わあっ!? どうしちゃったのリミリアさんっ!?」




