12 誰のためのケンカ
魔王城のコック長である、ヴェノメノンさんがこんなことを言いだした。
「なぁリミリアよぉ、そろそろ俺たちにもポトフの作り方を教えてくれよぉ」
それは意外な申し出だった。
「そろそろ? ということは以前からポトフの作り方を知りたかったのですか?」
わたしは魔王城の厨房の一角を借りて、デモンブレイン様の部隊用のポトフ作りをしていた。
ポトフを食べた兵士たちの反応は見たことがないんだけど、デモンブレイン様いわく、とても好評らしい。
デモンブレイン様の管理する部隊は正規軍とはまた別の特殊部隊らしいんだけど、志願者が急増しているそうだ。
それはさておき、ポトフはいつも多めに作るようにしている。
兵士だけでなく、エーデル・ヴァイス様とデモンブレイン様、そして厨房のコックたちにも食べさせるために。
あとは自分用と偽って、スノーバード様用。
その間、厨房のコックたちはなにをしているのかというと、魔王城の他のスタッフのための食事づくり。
メニューは従来の『メラ・ゾーマス』と『アイアンプレート』だ。
しかしコックたちがポトフ作りをしたがっていたとは知らなかった。
わたしは快くレシピを伝授するつもりでいたが、いくつか条件を出す。
「わかりました、ヴェノメノンさん。ポトフの作り方をお教えします。
でもいくつか守ってほしいことがあるんですけど」
「あぁん? なんだよ?」
わたしがお願いしたのはまず、衛生面の徹底。
この厨房は閉鎖寸前の製鉄所みたいに汚れていて、掃除がまったく行き届いていなかった。
最低限、わたしは自分の使っているスペースだけはキレイにしていたんだけど、これを機に全面的にキレイにしようと思い立つ。
「マズいものを作りたいのなら今のままでも構いませんが、おいしいものを作りたいならキレイにしてください。
おいしいものはキレイな環境からできるものなのです」
「ちっ、わーったよ。おい野郎ども、掃除するぞっ!」
さらにわたしはコックのオークたちに毛刈りを命じる。
彼らが鍋をかき回している最中、抜け毛がボロボロ入っていてずっと気になっていたんだ。
サマーカットになったオークたちに、ヴェノメノンさんは大爆笑。
「ひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ! お前たち、ずいぶんサッパリしたなぁ! すっげー似合ってるぜぇ!」
「お楽しみのところ悪いのですが、ヴェノメノンさんも散髪してください」
「なにっ、俺もかよ!?」
「はい、ボサボサの髪は不潔ですので、短く揃えてください。それに無精髭も剃ってくださいね」
「なんだとぉーっ!? って、なんだおいっ、離せてめぇらーっ!?」
魔王城には理髪専門の部屋があるらしく、ヴェノメノンさんはオークたちに担がれて散髪に連行されていく。
しばらくして戻ってきたヴェノメノンさんとオークたちに、手配しておいた真っ白いコック服を着せてみると……。
意識高い系の、『森の一流レストラン』といった面々のできあがりっ……!
ヴェノメノンさんは路地裏のチンピラみたいだったのに、前髪もキッチリとまとめたオールバックになってからは見違えるようになった。
しまい忘れたような舌を口に戻すと表情までキリッとして、新進気鋭の天才コックのような見た目に。
しかし舌だけはどうしてもクセになっているのか、油断するとすぐまただらんと出てくる。
「ヴェノメノンさん、また舌が出ていますよ」
「別にいーじゃねーかよ、これくらい」
「よくありません。口が開けっぱなしだと口内が渇いて細菌が増殖しやすくなりますし、舌からヨダレが垂れるんです。
これからはずっと、口を閉じていてください」
「この出しっぱなしの舌は俺にとっちゃ、ネコのヒゲみたいなもんなんだ。
やってねーと調子悪くてなぁ。止めさせたきゃ、それなりのモンがねーとなぁ」
「それなりのものってなんですか? わたしにできることならお手伝いしますけど」
すると「こいよ」と両手を広げるヴェノメノンさん。
なんだろう? と思いつつも無防備に彼に近づいてみるたら、いきなり抱きすくめられた。
わたしは胸板に顔を埋めさせられながら、「なんですかこれは?」と尋ねる。
「リミリアよぉ、お前は本当に肝っ玉の据わった女だよなぁ!
この『毒手のヴェノメノン』と怖れられた俺に指図するどころか、こうやって抱きしめられてもビビらねぇなんてよぉ!」
ど……毒手!? ヴェノメノンさんの左手って、毒手だったの!?
「左手がこんな風になっちまってからは女にも逃げられてよぉ、だーれも近寄らねぇんだ!
だからこうやって女を抱きしめたのはひさしぶりだぜぇ! ひゃはははははは!」
わたしはすっかり石化してしまっていた。
毒手が怖いわけじゃない。男の人に、異性として抱きしめられたからだ。
わたしは心の中を素の状態から『秘書モード』や『メイドモード』に切り替えることで、ようやくまともに男の人と接することができるようになる。
ようは、仕事として割り切るというやつだ。
しかし相手を男性だと意識してしまったとたん、そのモードは一気に消え去って素に戻ってしまう。
非モテらしいさがこれでもかと、顔を出すっ……!
「ふぁ、ファファファファ……!」
わたしは狼にとらわれた醜いアヒルの子のように、なにもできずにヴェノメノンさんの腕の中で震えていた。
そこに助け船がやって来る。
「ふざけるのはそのくらいにしておいたらどうですか」
その声は、デモンブレイン様……!
わたしは助けを求めようとしたが、声を出すことすらできなくなっていた。
ヴェノメノン様は、わたしが大人しいのをいいことに、さらにきつく抱きしめる。
「やーだね、リミリアはもう俺のもんだ。
デモンブレインよぉ、お前が熱をあげるのも理解できたぜ、コイツは最高の女じゃねぇか」
「リミリアさんは誰のものでもありませんよ。
しかしそれについてはヴェノメノンさんと論じ合うつもりはありません。
あなたの毒手は爪先が触れただけでも、人間なら即死してしまう。
危ないから離しなさいと言っているのです」
「へぇぇ、それじゃデモンブレイン、お前で試してやろうか?
邪魔なお前がいなくなりゃ、リミリアは俺のもんだ」
「わたくしには毒が効かないことを、あなたも知っているでしょう?」
「この俺の毒手は特別製だぜぇ? なんたって『メラ・ゾーマス』を毎日かきまわしてんだ」
「ならば、やってみればいいでしょう。その時はその半身ごと消え去っているでしょうけど」
わたしはふたりがどんな表情をしているのか見えなかった。
しかし、ただならぬ闘気のオーラだけは、はっきりと感じ取れた。




