10 勇者復活(人間側)
ポトフが食べられないと知った途端、ワガママ王子はついにキレてしまった。
「クソがぁっ!」
王子とは思えない言葉遣いで立ち上がると、座っていた椅子を腹立ちまぎれに持ち上げ、背後にあった暖炉に叩き込んだ。
まわりにあった椅子も蹴飛ばし暴れながら、駄々っ子のように食堂を出るシューフライ。
外の廊下には、彼のもうひとつの頭痛のタネである騎士団長ヴォルフがいて、待ちかねたように詰め寄ってきた。
「シューフライ様! 今日こそはリミリア様の救出隊を編制する許可を頂きますぞ!」
騎士団長ヴォルフ。
『剣聖』と呼ばれるほどの剣の達人。
現帝王であるキングヘイローはかつて、勇者として魔王であるキングカオスを討伐した。
その魔王討伐の旅に最初から最後まで仲間として同行したのが、他ならぬこのヴォルフである。
彼は『銀狼』という二つ名があるほどに、中年を過ぎてもなお血気盛ん。
オールバックに撫でつけた銀髪、彫りの深い顔には歴戦を物語るようにいくつもの傷がある。
鍛え上げられた身体から繰り出される剣技は、いまでも帝国随一であるという。
ヴォルフはリミリアがさらわれたと聞いた瞬間から、シューフライにシルヴァーゴースト帝国へ救出隊の派遣を提案していた。
しかしシューフライとしては新しい婚約者を手に入れるのが最優先だったので、ずっと後回しにしていた。
「いま動くのは得策ではない、俺様に考えがあるから、機が熟すまで待っていろ」と、ヴォルフに言い聞かせていた。
それでもヴォルフは事あるごとに「まだ、機は熟さぬのですか!?」と、まるで虎穴に挑む生命知らずの狼のようにしつこくつきまとっていたのだ。
すっかりダウニーなところを詰め寄られ、シューフライは観念する。
後ろ頭をボリボリ掻きながら、さもうざったそうにヴォルフに言った。
「はぁ……ったく、朝っぱらからワンワンうるせぇなあ。わかったよ、それじゃあ兵どもを集めろ」
「ついに機は熟したというわけですな! 御意、すぐに兵士たちに招集をかけます!」
ヴォルフは疾風のように、びゅんっ! と走り去っていく。
それから30分もたたないうちに、城の訓練場には兵士たちが集結する。
指令台の上に立ったシューフライは、彼らに向かって演説していた。
「これから、リミリア奪還のための特別救出隊を編制する!
我こそはと思うものは、一歩前に出よ!
なお今回は、愛するリミリアを何としても取り戻すために、隊の規模を制限しない!
希望者は全員、特別隊への編入を許可するっ!」
シューフライはまたしても愛する人をさらわれた悲劇のヒーローを気取り、怒りと悲しみに燃えているふりをする。
「皆の者、立ち上がれ!」と熱く訴えていたのだが……。
しかし内心は、たかをくくっていた。
――あんな助け甲斐のない地味子のために、命をかけようだなんて物好きなバカはひとりもいねぇだろうなぁ。
希望者ゼロなら救出隊を編制する必要もなくなるから、これでやかましいヴォルフも静かに……。
しかしシューフライは次の瞬間、信じられない光景を目撃する。
……ざんっ!
訓練場を埋め尽くしていた兵士たちが全員、一歩前に出たのだ……!
彼らは一斉に、声を揃えた。
「自分は、リミリア様の救出隊に志願いたしますっ!!」
唖然とするシューフライ。
理解が追いついていない様子で、ついぽろりとこぼしてしまう。
「な、なんで……? なんで、あんな女を……?」
すると、兵士たちから次々と答えが返ってきた。
「王族と婚姻関係を結んだ方というのは、我々を見下すような態度を取る方がほとんどです!
お前たちは野蛮だ、血の匂いがする、と!」
「でも、リミリア様は違いました!
自分たちのような兵士たちがいるからこそ、民は安心して、幸せに暮らせるのだとおっしゃってくださったのです!」
「それだけではありません!
自分たちが出撃から帰還すると、リミリア様はいつもポトフを振る舞ってくださいました!」
「そのポトフは自分たちとって、何よりものごちそうだったのです!」
「生きて戻ったら、リミリア様のポトフが食べられる……!
そう思うからこそ、自分たちは過酷な戦場においても希望を捨てずにがんばることができたのです!」
不意に訓練場の入口の門戸が開き、多くの武装集団がなだれこんできた。
何事かと身構えるシューフライに、隣に立っていたヴォルフが言い添える。
「救出隊の編制については、城下町にいる民間人たちからもずっと要請があったのです。
リミリア様はお休みの日などは帝都を視察されており、彼らの暮らしを良くするための案を大臣に持ちかけていたようです。
そのため、リミリア様はまだ正式な妃でもないというのに、多くの者の支持を得ていたようですな」
飛び入り参加してきた武装集団の層は多彩であった。
冒険者ギルドの冒険者から、聖女や商人、農夫や漁師、ゴロツキやみなし子みたいな者たちまでいる。
彼らは口々に、リミリアへの恩を叫んでいた。
「私たちはリミリア様のおかげで、安心して冒険に出られるようになったんだ!」
「オラたちの村が飢饉のときに助けてくださったのは、リミリア様だっただ!」
「リミリア様は俺たちみたいなゴロツキのことも理解してくれて、真っ当になれるようにと仕事をくれたんだ!」
想像を絶する人気に、シューフライは思わずたちくらみを覚えていた。
その脳裏に、リミリアとの思い出が蘇る。
普段は鉄仮面を被っているかのように、表情を表に出さないリミリア。
しかし時折見せる笑顔は、シューフライが接してきたどの女性よりも魅力的であった。
「朝は日光を浴びると良いそうですよ」と寝室のカーテンを開けて、光とともに振り返るリミリア。
「今日はニンジンも残さず召し上がりましたね。シューフライ様はポトフにすると、嫌いなものも召し上がっていただけるようですね」と嬉しそうなリミリア。
「今日は王妃様の誕生日ですよ。王妃様の大好きな花で花束をお作りしておきましたから、こちらをお持ちになってはいかがでしょう?」と、色とりどりの花の向こうで、日陰に咲く花のように控えめに微笑むリミリア。
シューフライの脳内では、リミリアの笑顔が万華鏡のように現れ、キラキラと輝いていた。
「りっ、リミリアっ……!!」
その美しい幻想に手を伸ばすが、触れる前に消えてしまう。
シューフライは今になってようやく、リミリアの大切さに気付いていた。
ここで普通の人間なら、リミリアを売り渡してしまったことを激しく後悔するのだが……。
ワガママ放題に育てられた彼は違っていた。
「おっ……おのれぇぇぇぇぇぇ~~~~!
この俺様のリミリアを奪うとは……! 魔王、許すまじっ!!」
自分の記憶を都合よく改ざん。
リミリアを失ったのを魔王のせいにして、今さらながらに決意を新たにしていた。
シューフライは生まれ変わったように、ゆっくりと顔をあげる。
さすが勇者の血筋だけあって、その顔だけは誰よりも勇ましく見えた。
腰の聖剣を抜くと、天を衝くほどに掲げながら叫ぶ。
「このゴールドブレイブ帝国は、魔王との長きに渡る戦いの歴史の中で、勇者の一族が築き上げた帝国である!
その末裔である俺様も、もちろん勇者だっ!
今こそ、その血統が目覚めるとき!
そう、俺様は旅立つ! 愛するリミリアのために!
王子ではなく、ひとりの勇者として……魔王軍と戦うことを、いまここに宣言するっ!!」
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
訓練場に集まった兵士や民間人たちは、勇者の復活宣言に大歓声をあげる。
そして巻き起こる『シューフライ』コール。
見習い勇者はすっかり英雄気取りで、すでに魔王を倒したかのように手を振り返していた。




