里芋の葉っぱに転がりし水晶の光
銘尾 友朗 様主催の「夏の光企画」参加作品です。
遠くのお山から、かなかなかなかなと、蜩の声がいたしますの。わたくしは、胸をどきどきとさせて、そろりと臥所から出ます。
夏の日の出は早い。障子を開け外を見やると、空は薄すみれ色をしておりました。朝焼けはまだ先の様です。
かたん……。静かに障子を閉めます。
急がなくてはいけません。髪を胡桃油で丁重に梳り、みつ編みにしました。右肩に一つにまとめます。
お祖母様から頂いた、白の繻子のリボンを結びました。寝押しをしていた、銘仙の普段着。赤地に白い夏椿の柄。わたくしのお気に入り、袖を通すと涼やかな伽羅の香り。
文机の上に置かれている、小さな切子の器をそろりと手にとります。お友達と小間物屋で見つけた、薄紅色した硝子細工。それを朝顔の刺繍をした袱紗に包みました。
袂に静かに落とすと、ねえやに見つからぬ様、気を使いながら縁側に出ました。昨夜の内に履物は、用意をしてあります。誰にも見つかってはいけないのです。
土塀と広い広いお庭に囲まれた町屋敷と違い、避暑で過ごす田舎の夏屋敷は、何処もここもこじんまりとしていて、縁側から庭に出ると、生け垣に作られている、通用口から外に出ることが容易いのです。
何時もなら日焼けをするからと、白いレエスの日傘を手にするのですが、まだ日が出ぬ時刻。わたくしは畳表、薄紅色した鼻緒の草履を履くと、ちゃり……、青石から庭へ降り立ちました。
その音で誰かが起きてきたら大変。取り急ぎ庭を横切り、外へとわたくしは出掛けました。
チチチ、ピピピ……、小鳥の囀りが聴こえる朝靄の田舎道。しっとりと道の土が濡れております。夏屋敷の近くには美しい竹林、サワサワ、ザワザワ……、竹の葉擦れの音。
わたくしは独り道を歩きます。この日の為に、皆が退屈なここから便利な町に帰るのに、それを拒んで、ねえやと夏屋敷に残ったのです。
今日は七夕。水晶のお水のおまじないの日。
里芋の葉っぱに転がる朝露を集めて、水に混ぜ、墨をすり手習いをすると、習字が上手くなる。そんな事も言われておりますが、わたくし達の間では、
――、明け方、誰にも知られずに里芋畑に行き、薄紅色した切子の器に、朝日を浴びてきらめく朝露を集め水と混ぜ、恋文を書けば相思相愛になる。
そんな恋のおまじないがありますの。だから夏屋敷を持たない町に住むお友達は、庭に里芋を植えたりしておりますわ。わたくしはこうして畑へと向かえますけれど。
しばらく歩くとお目当ての畑へと出ました。畦には茅が大きく伸びてしなっております。それに霧吹きで吹いたような水滴がついておりました。
里芋、大きな大きな葉。天に皿のように広げるすべすべとした緑色。道に顔を向けている葉に近づきます。
……、ころころ、ころころと朝露が丸く大きく小さく、幾つも幾つも産まれております。高まる動悸を抑える為、大きく息を吸うと、しっとりとした濃い緑の香りが、鼻孔をくすぐり、胸を満たします。
チチチ、チチ!小鳥が空を横切りました。
――、空の色が上から変わって行きます。薄すみれ色から、淡い水色に。山の頂きは朱色と、しののめ色が鴇色が、それらが混ざり淡く広がります。
金色が昇る東の空に、朝焼けの色を映した雲が、箒で掃いたように、薄く薄く広がっております。直に薄紅から白に変わるでしょう。日が昇ります。
きらきらきらきら、透明な水玉に光が宿ります。水晶の様に、輝く朝露。袂から器を取り出すと、震える手で葉を傾けて集めて行きます。道に向く葉を渡り歩いて……。
昇る朝日は柔らかく真白い光。天から降り注ぐそれに、硝子の器を掲げます。朝の光を宿す様に。そして、最後に……、
好きなお方の名前を、集めた朝露に囁く事。
誰も居ないか、少しばかりきょろきょろとしました。朝靄はいつの間にか消えております。人が動く時が来ています。わたくしが抜け出した事を知った、夏屋敷の者達がここに来るやもしれません。
早くしなければ……、見つかればそれで終わりですもの。
だけど……、わたくしは。
あのお方の名前を、今から口に出す事を考えると、
頬が茜色に染まりそうなのです。夏の朝日は真白に輝いて、眺めるわたくしの目に差し込んで来ます。早く言いなさいと光が言っております。
目に染むそれに背を押され、瞼を閉じるとそろりと名前を囁きました。
「一之瀬 総一朗さま……」
終。
お読み頂きありがとうございます。田舎に住んでますので、夏場と言えば里芋の葉っぱに転がる朝露なのです。朝日を浴びてきらきらなのです。秋は夜露が月光できらきらです。