中の怒り
彼の出自は完全に不明だ。誰一人として、彼の幼少期を知るものはいない。
手に持つのは美しい長剣。美丈夫で優雅。
剣を持っていただけあって、剣術はかなりのものだった。
だがそれだけだ。
それ以上もそれ以下もない。ただ、彼は1人の『お手本』という枠組みにしか存在することが出来なかった。
剣の高みにいる訳でもなく、限りなく美しいわけでもなく。
詰まるところ、彼は全てが中途半端だったのだ。彼自身、それを自覚していた。
昔からよく言われていたものだ。
「お前は、中途半端なところまでしか終わらせられない、ダメなやつだ。」
存在価値を疑うたび、そんな昔の自身に対する悪口を思い出しては自嘲した。
「私は…………」
彼は苦しんでいた。思い出せるのは悪口ぐらい。生まれた故郷も、自身の名前も、親の顔でさえ、彼の記憶から消え去っていた。
「なんのために生きている。なんのために歩いている。なんのために………」
言葉にすればするほど、自分の心が砕けていく。それをわかっていて尚、彼はそう呟き続けた。
ある時、彼は1頭の魔獣に出くわした。
背丈は彼の2倍ほど。両手には鋭い鉤爪に、体を包む体毛は真っ赤に染っている。そして、その眼光は真っ直ぐ彼を射抜いていた。
血飛沫熊。肉でも臓腑でもなく、血を飲み喰らう生きる赤い魔熊。
「私は、ここで終わるのだろうか。」
乾いた笑いを繰り返して、彼は力なく剣を振るう。
通常ならメサイア隊員5人程で挑む魔獣だ。一介の剣士が1人で勝てるはずもなく、
「ぐぉ………」
スティンは無惨に腹の肉を抉られ、臓腑と排泄物が飛び散る。異臭が充満し、彼は中身が露出する全面を上にして倒れ伏した。
「どうぞ………お喰らい下さい。」
最後の声はかすれた声だった。誰に聞こえるでもない、それこそ目の前の魔獣にすら聞こえないほどの声音だった。だと言うのに、
「…………あ?」
「危ない危ない。いや~、お喰らい下さいなんて面白いこと言うね。君。」
鉤爪を大きく振るった血飛沫熊が、一瞬のうちに粉々に斬り裂かれ、それはもう瘴気と言えるほどにナノサイズへと変化した。
そして、その前には、明るい笑顔を見せる赤茶色の少女。
少女は超回復薬を彼の体に振り掛ける。回復していく彼を、少女はその鼻をつついて、
「ん。生きててよかったよかった。にしても、血飛沫熊に1人で立ち向かうなんて、無謀なことしたもんだね。心中かな?」
「…………あ」
ケラケラと笑う少女に、彼は言葉を失った。それは、あまりに生きる活力に満ちていたから。見ている側にでさえ、その活力を伝えてしまうような、そんな笑顔に、彼はしばらく見惚れていた。
「ん?アタシの顔になにか着いてる?」
「………いえ。」
彼は立ち上がると、少女に頭を下げる。
「助けていただき、ありがとうございます。」
「いーよいーよ。アタシはこういう仕事柄の人間だからね。」
少女は気軽く手を振って立ち上がる。
「アタシはアシメル。アシメルだよ。君は?」
「…………名前はありません。」
アシメルの問いかけに、彼は俯いて答える。アシメルは「名前が無いのかぁ……」と呟いて、顎に手を当て考える。
「ん。じゃあ、スティン。君の名前はスティンで行こう。」
「………はぁ……?」
「見たところ、行くあてもないでしょ?だったらアタシの仲間になって。やるべき事とか、特にないでしょ?」
アシメルは笑顔を見せて、スティンと名付けた彼の方を強く叩く。その衝撃が、スティンの心に強く響き、一生消えることの無い、優しい傷となって刻まれる。
「はい。」
気付かぬうちに、スティンはアシメルに跪いていた。自分が知っている中で、1番の尊敬と感謝を込めた姿勢で。
「あなたのために……命を尽くします。」
「やだなぁ、いきなりそんなこと言うなんて。照れちゃうよ。」
また、アシメルは笑った。いつまでも楽しそうに、そんな彼女が、スティンは羨ましく、憧れであった。
そんな彼女を、いつしか、自分の手で笑顔にすることを誓って、スティンという仮初の名を抱いて、
漣優人。自身の過去を忘れ、神に弄ばれた1人の転移者は、ただ剣を振るい続けた。
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「スティンーー!!!!」
大穴を体に当てたスティンが、空中から力なく落ちていく。その真下の快斗は、その死体を受止めた。
「………死んじまったか。」
殺すつもりはなかったが、自身の力の調整を謝っていたか、その体を真っ直ぐ貫いてしまった。
「………なるほど。お前は元々、これに反対だったんだな。」
快斗はスティンの魂から記憶を読み取り、納得したように頷く。
「なんであんなので自分の身を投げたのか分からなかったけど、そういう事か。」
実際、アシメルの実力なら、あの攻撃を躱すことは出来たはずだ。少なくとも、片腕を犠牲にするくらいのはずだ。なのに、スティンという男は、わざわざ自身の心臓を矢に翳した。
「心中ってことですか?」
「まぁ、そうだろうな。」
映し出される映像を横から覗き見るヒナ。快斗はその問いに頷いた。
「お、お前らァァ……!!!!」
アシメルは残った鉈を握りしめて、魔力を高める。鉈に青い魔力が纏われ、刃が光る。
「絶対に……殺してやるぅ……!!」
「ん。まぁ、そうなるよな。」
神速で迫ったアシメルが持つ鉈が、美しい弧を描いて快斗の首を狙う。その間に間一髪で草薙剣を滑り込ませ、快斗はアシメルから距離をとる。
「お前、この男の考え分かんねぇのかよ。」
「何を、今更!!」
「ふ……」
音速を超えた斬撃を躱し、快斗はアシメルの横顔に回し蹴りをぶち込む。
「く………」
「てめぇ、男がお前に気づいて欲しくて心中したんだぞ。少しは勘づけよ。」
アシメルはその言葉に更に表情を鬼にして、
「うるさい!!」
雄叫びを上げて鉈を振り回す。捌き、躱し、避け、快斗は隙間隙間に攻撃を入れていく。
「あんたはスティンの何を知ってるって言うのさ!!知ったような口聞いて何が言いたいのさ!!」
「俺はお前が知らねぇあの男のことを知ってんだよ。お前、本気で俺らがここに駆けつけないと思ってきたのか?」
「何?」
「冷静に考えたら、自画自賛だが俺がここに戻ってくる可能性も考えるはずだ。お前ならまだしも、さっきの男なら勘づくと思うんだがな。」
アシメルは攻撃の手を休めない。自分のせいで死なせてしまったと勘違いをして。
「アタシには、あんたの言っていることの意味が理解できない!!」
「そうか。なら、でぇい!!」
「んぐ!?」
快斗がアシメルの顎を蹴りあげる。小さな体が力なく上へ吹き飛んでいく。
「く…………」
「理解出来ねぇなら、本人に直接聞いて来やがれ!!」
「何を………!!『蠅帳殺』!!」
鉈が振るわれ、斬撃が幾つも交差して網状になり、快斗を粉々にしようと迫る。
「ヒナ。」
「はい!!『奇跡の矢』!!」
金色に輝く弓矢が真っ直ぐそれを打ち消す。
「ナイス。」
飛び散る粒子の中、快斗は翼を生やして飛び立つ。アシメルの顔を引っつかみ、自身の顔に近づけて、
「本気で気づいてねぇなら、本気でぶっ殺してやる。」
「ッ!?」
快斗がアシメルの顔を突き放すと、その手からの魔力波に吹き飛んでいく。
「何にイラついてんだ、俺。ハァ……」
感情の行き場がわからずに、快斗は何故だか混乱している。そんな快斗に、青い斬撃が何十発もぶち込まれる。
「はぁぁああ!!」
「チッ……ルァッ!!」
「なっ!?」
降りかかる攻撃に更にイラついて、快斗は草薙剣を力強く振り抜く。その威力に押し負けて、鉈が半ばから折れ砕ける。
「死ね。」
「あ………」
驚愕に染まる顔に、1発の拳がぶち込まれる。血を吹き出しながら、アシメルは地面に突き刺さる。
「らァ!!」
「ぶぁっ!?」
その足を掴みあげ、真上に向かって投げあげる。
大きく回転しながら、天空を突き抜けるアシメルの体。その身体中に、一瞬のうちに快斗が付けた斬撃の傷がついている。
「いた………」
「オラァ!!」
「ぐぅ………」
剥き出しの腹にかかと落としを繰り出し、アシメルは強制的に血と空気を絞り出させられる。この衝撃で、内臓達に亀裂がはいり、体内で出血する。
「ん……ぐは……」
「この!!イラつきは!!なんなんだ!!」
攻撃をすればするほど湧き上がってくる怒りを抑えきれず、快斗はアシメルを瀕死へと追い込んでいく。
「『連撃』!!」
「ぐ、ううぅぅうぅううぅぅぅうう!!!!」
咄嗟に力がこもらない両腕で防ごうとするが、1発1発の威力にが馬鹿にならない快斗の連撃に、右腕はひしゃげ、左腕の肘からは、関節が狂って骨が飛び出している。
「アタシ……は………」
「死ぬ。」
アシメルは満身創痍。触っただけで死ぬのではないかと思えるほど弱った彼女に、行き場を失った快斗の怒りが炸裂する。
「『死の宣告』」
「あ……は………」
快斗の手から放たれた真っ白な光線。アシメルがそれに飲まれていく。そんなアシメルから零れたのは、小さな乾いた笑いだけだった。
爆音を出すでもなく、光線はアシメルだけを燃やし尽くして葬った。快斗は自然と発動していた『極怒の顕現』を解いて地面に降り立つ。
「快斗、さん?」
「ハァ……ハァ……何してんだ、俺。」
快斗はそう呟いて、大量の汗をかきながら肩で息をしていた。
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快斗の内側から溢れた怒り。本人はそれが誰のものだったか気がつくことは無い。
何に怒っているのかでさえ、自分で理解していないのだ。
自問自答を繰り返すうち、快斗は少しずつ中のモノを理解していく。しかし、それは小さな呪いの阻止され、快斗はまたいつも通りに生き始める。
人を殺し、その理由は怒り。どこから生まれたかも分からない。だと言うのに、彼は人々に許されてしまうだろう。なにせ、国の英雄だったのだから。
なんと、傲慢なことか。
身勝手だ。殺したのだ。人を。地球ならどうなっていただろう。死刑だったのではないだろうか。
それが今、死刑にされないどころか、罪にさえ問われない。
理不尽な世界だ。敗者にとって振りすぎる世界なのだ。
敗者達は思うだろう。世界中の、自身らを糾弾し、死まで追い詰めた人々に、こう叫ぶだろう。
狂ってる。
世界は狂っている。それは、異世界からの来訪者にまで害を及ぼし、その心を蝕んでいく。
既に、外側の全てを、快斗は侵食されてしまった。
だが、その中にまだ生き残っているモノがあった。
人間の快斗である。もう1つの人格。まともな人格。
それは確かに快斗の中に存在し、その感情は本体に多大な影響を及ぼす。
彼は今、魔人によって封じられ、その事に本体は気づくことが出来ないよう、呪いがかけられている。
さて、快斗が『快斗』の存在に気がつくのはいつになるだろうか。
二重人格。正しくそれである。それだけだ。
それを、絶望に塗り替えてしまう。
将来の大きな絶望に、この2つの人格は耐えることが出来るだろうか。
狂った世界はまだまだ、彼を常人に戻す気は無いようだった。