月の魔獣
「あれは………」
途轍もない邪気を感じて怯える住民達を宥めていたルージュが、メサイア本部へと目を向ける。
それは、月から真っ直ぐと落ちた白い光だ。流星の如く落ちたそれは、メサイア本部に直撃。凄まじい地響きを起こした。
「姉上………。」
ルージュはその光が落ちた場所に居るであろう、自身の姉を心配して声を漏らす。
「……行かなくては。」
うだうだしていられないと、ルージュは簡素な作りの槍を背負い、町中を走り出そうとするが、
「ルージュ様‼何処に行くのですか‼」
「私達を置いていくのですか‼」
「ん……ぐ……」
住民を守るのがメサイアの仕事。ルージュは不安そうな住民の顔を見てなかなか踏み出せずにいた。
そんな時、
「貴殿が行く必要はない。私が変わりに行こう。」
「ッ‼あなたは……」
横からかけられた声に気がついて視線を向けると、そこには風を纏った美しい女性が立っていた。
「『剣聖』……‼」
「私の罪のことは後回しだ。今は、あの光と邪気の正体を確かめなくてはならない。こんな所でいざこざを起こしている場合ではないだろう?」
「く……確かに……。」
『剣聖』、ヒバリは腰につけた風龍剣に手をかけて少し月を見上げたあと、風と共に去っていった。
住民達が混乱するが、ルージュがそれを制した。そしてヒバリが駆けて行ったであろう方向へ向かって、
「頼みます。私を愛してくれる人を……助けてください。『剣聖』。」
その声は、静かな夜風に掻き消されていった。
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「むぅ………」
高くそびえ立つ美しい木造の建築物。そのてっぺんに、1人美しい白銀の長髪を持つ少女が立っている。
腕を組みながら、形のいい眉を寄せて少女が見る方向は、空に浮かぶ月から落ちる異常なまでの邪気を纏った気配。
「まったく、何でござるか。彼女はどう斬るのでござろう?」
少女は1人、少し楽しげに呟いて、建物の屋根の上を走っていった。
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「ふむ。」
松明がぼうぼうと燃える音が響く石でできた宮殿。その頂上でワインが入ったグラスをゆらし、頬杖をついて空を見上げる女性。
その視線の先には、月から落ちる一筋の光。邪気を含んだ強大な気配に嫌悪感をいだきながら、女性は立ち上がる。
そのまま開けたベランダの手すりに登り、身を投じた。そして、そのまま天高く浮き上がっていく。
「忌々しいものよ。奴はこれをどう斬る?」
女性は楽しげにそう呟いて、町中を飛んでいった。
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「あ、あれ?ここは……何処?」
宇宙のような、全ての方位を輝く星々に囲まれた場所に1人浮かぶ少女、原野は目を覚まして辺りを見回す。
『起きたのね。』
「ッ⁉誰⁉」
頭にすっと入り込んでくる優しい声音に驚いて、原野が警戒する。声の主は少し笑って、
『そんなに怖がらなくても大丈夫。私はあなた達の味方よ。』
「み、味方?あなた、誰なの?」
『今から姿を見せるわ。』
声の主がそう言うと、原野の前に突如として光が出現し、その光が少しずつ形を創り出していく。そして形成されたのは、
「あ………」
「初めまして。」
原野が声を失うほどに可憐な、原野と同年齢に見える少女が現れた。
薄桃色の短髪で、纏っているのは透けそうな白い薄い服。そして、何より目立つのは、
「それは………」
少女の背中に生えている、大きな一対の白い翼。その姿はまるで、天使だった。
「驚いた?自己紹介するね。私はサリエル。罪人サリエルと言われ、月に封印された堕天使よ。」
「え、え?ちょ、ちょっと待って。理解が出来ない……。」
急に言われた言葉に、原野が混乱して頭を抑える。
「まぁそれも無理ないわ。こんな事言われたら混乱するわよね。1つずつ説明するから黙っててね?」
「う、うん。」
口に指を当てて可愛らしい動作で『メッ』と言うサリエルに、原野が頷いて黙る。
「まず1つ。なぜあなたがここに居るのか。それは私があなたを呼んだからよ。」
「よ、呼んだ?」
「そう。私にかけられた封印を解いてもらうためにね。」
「ふ、封印を……?」
何かと重大な事を言われ、原野が混乱するが、サリエルは話を続ける。
「じゃあ次。何故私があなたを呼べたか。」
「う、うん。」
「それはね。あなた達がキューって読んでるウサギちゃんに理由があるんだよ。」
「キューちゃんに?」
「そう。」
可愛く微笑んだサリエルは、その口から驚愕の事実を口にした。
「キューちゃんはね。月と下界を繋ぐ鍵。『月の兎』なんだよ。」
「………えぇ……?」
予想と違いすぎる言葉に、原野は驚く気すら起きない。
「あの子自身は自分をただの魔物と思ってるよ?実際は幻獣中の幻獣なんだけどね。それを引き当てたあの悪魔さんはすごいよ。」
快斗の強運に呆れながら、サリエルは話し続ける。
「次。なんで私が封印を解いてほしいか。」
「うん。」
と、サリエルが今までの笑顔を消し、真面目な表情へと切り替える。そして、ゆっくりと重々しく口を開いた。
「それはね。私の封印を守る役目で、私と一緒に封印されていた、『月の魔獣』が復活しちゃったからだよ。」
「…………『月の魔獣』?」
知らない単語に、原野が首を傾げる。サリエルは真面目な顔で話を続ける。
「『月の魔獣』は、かつて神々の世界で生まれた、『神の馬』の奇形子だったの。神々は、奇形子のあまりに醜い姿に嫌悪感をいだき、人間に罰を与える地獄へと捨てたの。奇形子は、神々のあまりに無慈悲な行いに怒りを覚え、地獄の業火に耐えながら、堕ちてきた人々の魂を食らっていったの。奇形子は、やがて『獄卒』達にも管理が不可能になり、最後の地獄と言われる『無限地獄』に突き落とされたわ。でも奇形子はその炎に焼かれても、番犬に殺されかけても、毒に侵されても死なず、ついに『無間の火城』から抜け出し、神々の世界にまで上り詰めたわ。その時の奇形子は、もはや馬の形さえなくなり、傷を片っぱしから回復させていたせいで更に奇形となっていたわ。神々はもう一度地獄へ落とそうとしたけど、全ての苦行に耐えてきた奇形子は神々の攻撃をすべて跳ね返し、どんな魔力にも強い耐性を持つようになったの。このことに神たちは感心し、今までの非情の行いを詫び、奇形子を『月の魔獣』として、私の封印の番人に任命したの。」
長々とした説明を聞いて、原野は未だ理解できない。サリエルは少しため息をついて、
「ハァ……頭の悪い子と話すのってつかれる……。」
「ッ⁉頭悪いって言った⁉言ったよね‼」
「ふふ。冗談よ。で?理解してくれる?」
「うーん。なんとなくは。」
若干理解不能点があるが、原野自身がやるべき事は理解した。
「じゃあ、お願いね。」
「うん。て、封印ってどう解いたら……」
「あぁ。そうだった。」
サリエルは手を伸ばす。すると、その場所に丸い水晶のようなものが出現した。大きさはバスケットボールぐらい。その水晶は青白い鎖で巻かれていて、真ん中に大きな鍵穴がついている。
「これの鍵を開けて。」
「え?鍵なんてないけど……。」
「これは魔力を流して開けるものだよ。魂の理を理解した者だけができる物なの。あなたは魂を操るから出来なくはないでしょ?」
「そ、そうだけど……。」
原野は不安げに鎖を見つめて、その周りをオロオロと動き回る。
「ええっと……ええっと…?」
「あはは……今やれって言っても無理かぁ……よし。」
サリエルは頭に手を当てて呆れたあと、原野の耳に近づいて小さく囁いた。
「今、『月の魔獣』はまだ生まれてないの。でも生まれたら大変な事になっちゃう。…………高谷君も死んじゃうかも?」
「ッ‼ええい‼」
最後の一言を聞いた途端、原野が両手で鎖を引っ掴み、勢いよく魔力を流す。小さな回路のような場所を、原野の魔力が支配していき、解封へと近づいていく。
「えぇ……こんなにやる気が……この子がこんなに頑張る理由になる男の子かぁ……興味湧いてきたな。」
サリエルはそんな原野を見つめながら、高谷がどんな男子なのかと思いを馳せるのだった。