光の消失
世界にあとはない。
こんな世界に希望はない。
生きていても無駄だと嘆き死ぬ者。まだまだと踏んばり生きる者。抵抗する者。諦める者。それぞれがさらに別れる。
そして集団自殺や心中が多発し、人々は心の支えを、セシンドグロス王国の消滅と同時に無くしていた。
そんな彼らを、隻腕のベリランダが一喝した。
「生きる気力がない奴らに、死ぬ資格なんてないのよ!!」
人々は落ち着いたのかは分からないが、ひとまず自殺者は減った。
「あなたはあの作戦が成功すると、思ってた?」
「…………さぁ、どうだったかな。」
エレジアの問にヒバリは曖昧に答えててくてくと歩いていく。エレジアがその後を追うことはなく、逆方向に歩き出す。
もう負けられない状況に追いやられた世界。エレジアは大剣を担ぎあげ、いつでも快斗と戦えるように心構えをしておく。
すると、その夜、西側の城壁の近くから騒ぎが起きた。
それは、城壁の外側、そのすぐ近くに既に紫の炎が迫っているということに対しての住民達の騒ぎだった。
少しずつ、というより既にほとんど世界を飲み込んだ炎は地面を伝って、人だろうがなんだろうが焼き尽くして消すことは出来ない。
しかし、退けることは出来る。
「私が行こう。」
ヒバリの風で、燃え上がる地面自体を遠くへ弾き飛ばせば、ある程度の時間は稼げるはずだ。
「だったら、私の方が、適任。」
エレジアが手を挙げてそう言う。が、ベリランダがその意見に首を横に振った。
「ダメよエレジア。あなたの魔術で岩の壁とかを作っても、あの炎の前じゃ無意味よ。燃える場所を増やすより、燃えるものを突き放した方が、時間は稼げるわ。」
ベリランダの言葉に、エレジアは黙る他なかった。反論の余地がなかったからだ。故に、ヒバリがその騒ぎとなっている城壁の対処に向かった。
その2日後だった。
「『天野快斗』ッ!!襲来ッ!!襲来ィッ!!」
炎を連れて走ってくる悪魔を見つけた見張りが金切り声で叫び散らかす。ライトは怯え、ルーネスは目を瞑り、ベリランダはため息をついて、エレジアは大剣を握りしめた。
「やっぱり、君は人を不幸にする。」
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「…………。」
目の前には大量の人間達。基、世界最後の生き残った人々。兜を身につけ、武装している彼らの中にはある程度の実力者もいるようだ。
先頭に立つ、金髪の少年もその1人。
「…………。」
人間達を黙って見つめる快斗と同じように、金髪の少年、ライトも快斗を黙って見つめている。
彼の両手には、快斗が送った小手が付けられている。見た目は戦闘態勢。雰囲気も、戦いへの衝動に駆られたものだった。
だが実際一人ひとりの顔を見回せばわかるのだが、誰一人としてその戦闘に対して期待している者も、嬉々としている者もいなかった。
あるのは怯え。確実な死に対する震え。耐え難い恐怖。何人かは隠れて見えないが膝を着いて武器を持つ手に力が入っていない。
「ライト様………開戦の合図を。」
「ッ………。」
この場ではライトが戦闘を仕切る。ヒバリが出てきてくれればよかったのだが、残念ながらヒバリは別件に向かってしまっていた。
隣にいるルージュがライトを促す。
ライトは快斗の目を見る。感情が見えないその目に見つめ返され、気圧される。まるで蛇に睨まれた蛙。圧倒的な武力さに、負けるのは必然だった。だったが、
「最後まで抵抗する他ありません………たとえ負け試合でも、私は戦いますよ。」
隣でルージュが優しく言う。銀色槍を持ち、彼女は奥に控えた姉であり女王であるルーネスを守るために戦う。
「ヒバリ様の為にも………ライト様。」
「………分かっています。」
ライトは自分の頬を両手で叩くと、頭を振るって快斗をもう一度見る。
今度は迷いは生じていない。悲しみと勇気だけ。
「………行きます!!」
ライトの額から美しい角が生え伸びる。魔力が爆増し、雷が空気を痺れさせる。青緑色の雷が全身を包み込み、ベールのようにライトに纏わり付く。
『鬼神化』、ライトの究極の姿。文字通り光の速さで駆けることが出来る。
その駆け足に快斗が追いつけないことを願う。
「僕に任せて、皆はその後で!!」
そう叫んだ頃には、そこにライトの姿はない。代わりに出来上がった事実は、ライトが快斗の真後ろにいるということ。
「らぁあ!!」
雷を纏う拳が叩きつけられる。それが受け止められたのがわかるのは快斗とライトだけ。
見ている人間には到底見えない速度の戦闘。ただ何度も響く金属音や、肉がぶつかる鈍い音。そして雷が炸裂するバチバチという音が聞こえるのみ。
光がそこらかしこで輝く。兵士達は下がり、2人の人外の力の先の戦闘の結末が訪れるのを待つのみ。
その注目の的である2人は壮絶な戦いを繰り広げていた。
「しぃッ!!」
小手から飛び出す魔力の刃。雷電魔力で出来上がったその刃は肉体に触れれば、焼くなんて優しさは一切なく、溶けて落ちる。
そのはずなのに、何度も刃は快斗の肌に触れているのに全く切れない。
下に滑り込んで蹴りあげたり、全身の筋肉に力を込めて快斗の認識の外にまで走り抜こうと地面を蹴る。
快斗の周りの地面が凄まじい速度で凹んでいき、電磁波が舞う。未だ攻撃は届かず、流され受けられライトの体力だけが消費されていく。
その間ずっと、快斗は俯いたまま。
「なんで、何もしてこんないんです!?」
顔面に向け渾身の蹴りを放ってライトが言う。しかし手応えはなく、その感覚通り攻撃は防がれていた。ライトは防がれたことが分かると瞬時に足を離そうとした。
が、それが防がれ、先程まで続いていた光速の猛攻がいきなり止まる。全く見えなかった2人が急に出てきたことに、後方の兵士達も動揺している。
力を込めて足の拘束を外そうとライトは試みたが、がっしりと掴まれた足はその手から抜けることはできない。
握る力は次第に強くなり、足の骨に少しずつ負荷がかかり始める。
「く………」
快斗は掴んだライトの足を少し下げて視線をライトの目に合わせる。目が会った瞬間、ライトは身を震わせる。
物凄く深い黒い感情を含んだ、その澱んでいながらも清く感じるその瞳から、鋭い殺意が向けられた。
義務感から生じる殺意ではなく、人の感情から生まれたであろう獄怒。
冷静な快斗なら、ライトにも反撃の余地があったかもしれない。だが残念なことに今は何故かお怒りな快斗。ライトは加減をしない快斗と戦うことになったことをたった今察した。
察して、その瞬間に世界がひっくりかえった。正確には、ライトがひっくり返った。
体が痛みにきしみ、言うことを聞かない。顔を滴る血の感覚を覚えた時、真上にいる快斗が見えた時、自分が仰向けに地面に投げ飛ばされていることを理解した。
直ぐに反撃に転じようと体に力を入れたが、脳内に痛みが響くのみで体は動いてくれなかった。
ライトは死を覚悟して快斗を見上げたが、快斗はライトのことを見ていなかった。代わりに、
「ま、待って………!!」
快斗がライトを跨いで後方にいる人々の元へ歩き出す。全身の感覚が危険を察し、ライトは体をどうにかして起こそうとする。
「………来ますか。」
銀色槍を構えて、ルージュは残念そうに呟いた。出たため息には疲労を感じさせるものがある。生きるのを諦めるのを許容したかのような態度に、ルージュは自分が嫌になる。それなのに、死という事実が変わらないと分かっている自分がさらに嫌になった。
ライトが一撃で撃沈させられた。この事実にルージュは自分の命が助かる未来が消え果てたのを感じ取った。
もう少し奮闘できるかと期待をしていたのだが、ライトでさえも地面に投げられた衝撃で身体中が全く動かなくなるほどに相手が強いのなら致し方ない。
ルージュがどれほど奮闘しても耐えきれる相手ではない。ないが、
「最後まで、抵抗はしますよ。」
銀色槍を掲げて魔力を集める。後ろの一般兵達も次々と武器を手に取り、魔術が使える者は術式を展開する。
「待って、相手は、僕だ………快斗、さん!!」
ライトの言葉に快斗は振り向きもしない。
歩んでくる快斗に攻撃の意思が見られない。ルージュが先陣を切った。
「『桃色結晶の………』」
そして、魔術を放つ前に、血の霧と化して空気に溶け込んでいった。
「……………。」
兵士達が呆気に取られた。ルージュの姿が赤い粉塵になるなんて誰が想像しただろうか。夢か、ルージュの新たな魔術と信じ込んだ者も、それが現実と割り切った者も、そして現実と知って絶望した者も平等に、一撃で死を与えられた。
押し付けられる理不尽に、生き残った兵士達が遅れて抵抗しようと飛びかかるが、今度は頭を真上から踏みつけられて体がひしゃげる。
パラパラと散る石ころを指で弾き飛ばす。それは鉄兜でさえも簡単に貫通する弾丸と化し、次々と兵士達の心臓を貫いていった。
「嘘………だ、と………思いたかったのに………」
やっと立ち上がったライトがそんな苦言を漏らす。絶望した彼の角は、土と血で汚く染まっている。
肉塊にすらなれない死体共。悲鳴すらあげられない生者野郎。なんとも惨めなことか。それを殺し回る快斗はもっと醜悪だが。
血の霧が大量に生み出されて、辺りは赤色の空気に変わる。
「は………」
ライトは涙を流す。信頼して尊敬していた人がこんな惨状を生み出したことに対しての涙でもある。
しかし本心は他にある。
こうさせられている快斗が不憫で仕方がなかった。
ただ、それだけだ。
優しい彼が、人1人が暴れているのを自分の命を投げ出してまで拾う彼が、自ら大切な人々を殺したことを許せるのだろうか。
頭にあるのは、そんな心配ばかりで、身体中を襲う痛みなんて脳内に残っていなかった。
「………ぁ。」
気がついたら、目の前に快斗がいた。今は何故だか片目しか開かれていない色の違う両目。痛々しい火傷跡から、何かの攻撃を受けて、右目は開かなくなったようだ。
残った左目、真っ赤なそれに射抜かれるように見つめられ、ライトは息を呑むと、最後にもう一度雷を放つ。
その行動を見て、快斗は躊躇なく刃を振り下ろす。が、速度は自信があるライトは難なく躱す。しかし体の限界があるため、もう長くはない。
「覚えていますか?僕らが初めて会った時。」
駆け回る光はそう、黒い天使に問いかける。
「快斗さんの優しさに、僕は救われたんですよ。国の人々も、姉さんも、みんながみんな、同じように救われた。苦しみから解放された。身体的な、ですけど。」
光は攻撃しない。黒い天使は光を狙う。
「僕は違う意味で救われましたよ。誰にも話せなかった大きな悩みを聞いてくれたのは快斗さん、あなたでした。本当に感謝しています。あなたに出会っていなければ、僕は今頃、どうなっていたか。」
光が遅くなる。黒い天使は速くなる。
「高谷さんも含めて、お礼が言いたかったのに………僕が勇気出せなくて、ごめんなさい。ですから最後くらいは、ね。」
光が、止まる。黒い天使は、止まらない。
止まれない。
「快斗さん。」
足がひしゃげて、血が吹き出して、視界が痛みに真っ赤に染って、それでも彼は、生まれ持った天性の美顔を、これ以上ないほどの満面の笑みと血で飾って御礼した。
「本当に、ありがとうございました。」
刃がライトの綺麗な体を鮮血で彩り、笑顔を切り刻んで、地面に散った体は血とともに広がって血の花を咲かす。
その中にぽつんと残る、2つの小手。臓腑に塗れ、その輝きを失った小手を、快斗を踏み潰す。
踏み潰して、そのまま王城をめざして歩き出す。
王国の前の崖を飛び越え、城壁の上から魔術を放つ者達を、快斗の魔術で一掃する。
城壁が崩れ、住民達が悲鳴をあげながら逃げ惑い、王城に残る最後の実力者達が武器をとる。
世界の虐殺者『天野快斗』は遂に、最後の国に到着した。