抵抗
「…………。」
眉間に草薙剣が突き刺さったヴィオラを見下ろしたまま、快斗は燃えている瓦礫の山と、その後ろに上がる朝日を見つめていた。
朝日と言っても、長い時間ボーッとしていたので既に太陽は水平線から上がりきっている。
『消滅』の力を受けたヴィオラの死体は少しずつ白い光の粒子となって世界に溶け込んでいく。その消え方は幻想的に見えるが、本質は残酷な死に方だ。
この技は『消救切』。これは本来快斗が使えるものではなく、リアンに体の主導権を奪われた状況であるからこそ使えているのだ。
『消滅』を極めたルシファーが最後に行き着いた絶対死を与える斬撃。『消滅』という強い『神力』の力を酷使して放てる極義というやつだ。
『消滅』を使いこなしたルシファーでも1日に何度も撃つことは叶わない。それを放った快斗は、いわば筋肉痛のような状態だった。
出来る能力はあるが、それに体がついて来れていなかった。
リアンもこの技を知っており、快斗が放てるかを実験したのだが、案の定体にガタが来たので休ませている。
紫の炎は既に快斗を包み込み、消えている途中のヴィオラの死体にも引火しつつある。
『そろそろ動けるかな快斗君。そのまま世界の外側を一周してくれる?』
快斗はその命令に頷くと、炎の中を躊躇せずに歩いていく。炎は快斗には優しく、服も肌も焼かない。
暫く歩いて炎を抜ける。崩れた石壁を蹴り飛ばし、落ちてきた瓦礫を振り払って国を出た。
『うーん、どっちに行こうか。』
リアンがそう言って遥か遠くで向かう道を迷う。意思のない快斗はその決断をじっと待っていた。
『でも炎が来たの左だしなぁ。』
なんてことを言いながら、リアンが迷っていたその時、
「快斗様!!」
左側から声がした。快斗がその声に視線を向けると、そこには金色の槍を背負った女性が立っていた。
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「あれは………」
炎で包まれた『竜人の都』を見て、一行は絶句していた。
「もう、陥落してるじゃない……………」
「やばいっすね………あ!!あそこ!!誰かいますよ!!」
ヒナがジタバタと暴れながら炎の端っこを指さした。
目を凝らしても見えないのでベリランダは『遠目』を使ってそこを見てみる。するとそこに炎から出てくる白髪の少年が見えた。
「いた!!天野快斗!!」
ベリランダがそう叫ぶより早く、ルーネスが馬を走らせていた。
「あ、ちょ!!待ちなさい!!」
ベリランダの声も聞かず、ルーネスは駆けていく。兵士が焦って追いかけ、ベリランダも馬を走らせる。
「もう!!面倒くさいわね!!」
「あんまり近づかないでくださいね!!私はもうここからでも見えますから!!」
ベリランダはヒナの声に頷き、近くの茂みに馬を止めて岩陰にヒナと2人で顔を出した。その後ろに3人の兵士が待機する。
「女王様!!あんまり警戒無しに近づかないでください!!」
「無理です!!快斗様が居るのですから!!」
ルーネスは走る途中で馬を手放して自身の足で走り始める。兵士が慌てて乗り捨てられた馬の手網を掴んで引き寄せる。
ルーネスは金色槍を抜くことも忘れて快斗に駆け寄る。
「快斗様!!」
大声を上げて、愛しい少年の名を呼んだ。すると、目の前にいる少年が虚ろな目をルーネスに向けた。
「はっ、はっ、………快斗様。」
「……………。」
息を切らしたルーネスは、目の前にいる快斗に言葉を発そうとしても体が必要としているのは空気なので声を出せない。そんなルーネスを快斗は無言で見つめている。
ルーネスにはそれが言葉を待つ優しさに思えてならないし、そう思いたかった。
「快斗、様………ご無事で何よりです………。」
「……………。」
「この、炎は………ヴィオラ様はどうしたのですか?」
「……………。」
「この国も、『鬼人の国』も………快斗様が壊されたのですか?」
「……………。」
問いに答えることなく、ただ呆然とルーネスの目を見つめていた。
ルーネスはその反応を見て胸を抑えた。危惧していた可能性が現実になりつつあるのが怖かった。
「快斗様は………どなたに操られているのですか?」
「…………。」
「貴方は貴方の意思で動かれている訳では無いでしょう?」
「…………。」
「快斗様。」
無言を貫く快斗。この会話に進展がないと分かると、ルーネスは快斗を抱きしめた。快斗の視界がルーネスの胸で満たされる。
「お願いです。何か、答えてください。私は、快斗様が私の問いの答えを仰ってくださるまで待ちます。」
「…………。」
「これが、もしこれが貴方の意思なのなら、私達は貴方を世界の敵として攻撃します。ヒバリ様やライト様は躊躇なさっていますが、一般市民の人々は貴方の存在を知れば殺すことに全面的に賛成してしまうでしょう。…………ですが、私は嫌なのです。」
「…………。」
「個人的な意見です。これを優先することは女王として出来ません。私にできるのは、快斗様が敵でないことを、祈ることしか出来ないのです…………」
「…………。」
「ですから………嘘でもよろしいのです。………敵でないと……………申してください。」
ルーネスは泣き崩れるように言った。快斗は動くことは無かったが、傾くルーネスの体に目線をじっと向けていた。
草薙剣を握りしめる力が上昇する。ギシギシと音を立てて草薙剣が震える。その動きに兵士が反応して駆け寄ってくる。
しかしルーネスは離れることなく、快斗に語りかける。
「もう遠くに行かないでください………平和に暮らせばいいじゃないですか………また、前のように………怒羅の時のように、共にお酒を飲みましょう………」
「女王様!!」
「……………。」
「可愛らしい貴方でいいんです。苦しむ姿なんて見たくないんです。なにより、皆に嫌われる快斗様を、私は見たくないんです………。」
「……………。」
抱きしめる腕に力が入る。
「傷つくのは、貴方だけではないんです………」
「ッッッ!!!!!!」
ふとした言葉に、快斗の体が反応する。
瞳孔が見開かれ、限界を超えた目尻が裂けて血が流れる。草薙剣を握る手の力がどんどん弱くなり、やがてその切っ先は地面に墜落する。
塞がっていた口が力なく開かれ、目線はルーネスから雲ひとつない空に向けられた。
『!?』
天の上でリアンが驚く。
それは、完全に正気を失っているはずの快斗に起こった変化に対しての驚きだった。
遠く、遥か遠くに見えたその体に、意識がぐいっと引き寄せられる。やがて一体となり、失われていた意識が一瞬だけ回復した。
「………………………………ルーネス、さん。」
「ッ!!快斗様!!」
小さく耳元で発せられた声に、ルーネスが飛び起きるように反応する。
互いに目を合わせる。快斗の目には光が戻っており、それは本物の快斗だった。
嬉しさで言葉が出なくなったルーネス。そのルーネスに、快斗はゆっくりと口を開けて…………
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「出せよ!!出せ!!開けろ!!ふざけてんじゃねぇ!!」
非力な少年が、目の前の黒い鉄格子を殴りつける。もう何発目かも分からないその攻撃は、鉄格子ではなく自身の拳を傷つけていた。
鉄格子の間の隙間は少年の体が通ることはなく、手と足だけが外に出る。
そして、その手の届く範囲の少し先に、快斗がいる。
「聞こえてんだろ!!こっち向けよ!!」
少年は鉄格子を殴る音と振動で快斗の気を引こうとするが、快斗は完全に無視して目の前の世界を見つめている。
その快斗の首には首輪が付けられており、その首輪から伸びる鎖は、檻を超えて後ろにある巨大な樹木に繋がっている。
身動きすら出来ないからって、こちらを見ないことが出来ないわけじゃない。だから少年はずっとここに来てから快斗に声をかけていた。
と、快斗が手を持ち上げる。その手には草薙剣が握られており、快斗はそれを逆手に持って目の前に差し出す。
「………ッ、おいッ!!やめろッ!!」
少年は慌てて止めようと鉄格子に体当たりするがビクともしない。快斗は躊躇なく、草薙剣を下に向かって突き出した。
すると、刃の切っ先から赤い液体が流れ出し、真っ白な空間を覆っていく。
「あ、ぁぁああぁ…………」
少年はへなへなとへたりこみ、絶句した表情で快斗を見つめる。
何度も何度も呼びかけているのに、全くこちらを向いてくれない。振り向いてくれない。
その悲しさが、少年の身体中を駆け巡る。
と、快斗が視線を上げた。それに連られて少年も顔を上げる。するとそこには、久しく見た女性の顔があった。
それと同時に、その空間を暖かい雰囲気が包み込んだ。頬に手を添えられたかのような安心感。あまりの暖かさに涙が出るほど。
そして、それに近づこうとする快斗を、何がなんでも止めたくなった。
「止まれ。」
静かに言い放つ少年。涙を浮かべているのにも関わらず、声は全く震えてなどいなかった。それを怖がるように鉄格子がからりと音を立てて崩れ落ちる。
吸い寄せられるように引かれていく。快斗に飛びつこうと少年がひた走る。
「何もかも、お前の思い通りになると思うなよ!!」
少年は快斗に追いつき、その体に飛びついた。その首に手を回し、強く引き上げる。快斗が目を回してその手を引き剥がそうとするが、少年の信念の方が圧倒的に強かった。
やがて快斗が意識をなくし、体から力が抜けていく。
そして入れ替わるように、そこに少年が浸透していった。徐々に視界が歪みだし、快斗の上に映し出されていた女性の顔が、眼前に浮かんできた。
意識は覚醒。視界良好。しかし気分は最悪。ここにいられる時間も長くないと感じられた。
だから、目の前の人が危険に晒されるのが嫌で、出来る限りのことをした。
「………………………………ルーネス、さん。」
目の前の女性は言葉を投げかけているようだった。しかし聞こえないので、『快斗』は無視して声を出す。
今出せる最大限のかすれ声で。
「…………躱、してく、れ…………」
次の瞬間、視界が消えて歪みまくり、気がつけばそこは鉄格子の向こう側。
しかしその少年、『快斗』は覚えている。視界が歪む瞬間、確かに草薙剣を横凪に振るった感覚を。
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「…………躱、してく、れ…………」
その言葉を最後に、血涙を苦しげに流す快斗の表情は無機質なものに戻った。そして、ルーネスは直感で気がついた。
これは死ぬ、と。
「女王様!!」
そう思った時、後ろから強く引っ張られ、ルーネスの体勢が崩れて地面に尻もちを着く。そして即座にルーネスが上を向くと、そこには上半身と下半身が分断された兵士がいた。
その兵士は、馬小屋で話した、あの苦笑しがちな兵士だった。
その惨状を見た瞬間、ルーネスは最悪の事態に事が進んでしまったことを察した。
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「あ…………」
遠くから見守るヒナとベリランダ。ベリランダは『遠目』をやめて休憩していたが、ヒナは捉えていた。
快斗が明らかに、ルーネスに殺気を向けたことを。
「ベリランダさん下がって。」
「え?」
端的にそう述べてヒナはベリランダの体を後ろに押し倒した。それから自分も後ろに飛び降りようとしたが、遅かった。
後ろを向く前に、視界が消え去った。そして、両目に壮絶な痛みが襲ってきたのはそのすぐ後だった。