『下衆』と『屑者』
「…………。」
誰もいない世界。明るい世界。悲しいほどに綺麗な世界。
1人佇む少女。雲の上にあるその世界は、大きな1本の木と少女しかいない。
天国と言えば天国で、地獄と言えば地獄。誰もたどり着けない無我の境地。そこでは存在することすら、許されることは無い。
この少女と、大木を除いて。
「空の、青さを………時の、揺らぎを………。」
大木に寄りかかる少女の鼻歌は響く。それはとても静かで悲しいメロディだった。
無表情な少女はそんな歌を歌い続け、それ以外のことはしなかった。
が、下から聞こえた革命の怪音に、少女は目を見張って立ち上がる。
雲のふちまで駆け寄り、下をのぞき込む。そこには、最後に求めた希望があった。
「…………うん。それでいいの。」
少女は1人佇む。誰もいない世界でただ1人。しかしこの時、少女はこの世にいる誰よりも幸せそうだった。
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「ねぇ、もうやめなよ。」
傷だらけのネガに対して、海人は困ったようにそういった。
「はぁ、はぁ、はぁ………」
血を流すネガは荒い息を吐いていた。後ろには気絶した快斗が寝かされている。庇うように戦うのは初めての事だったが、エレストから海人を追い出すことは成功した。
「この時点では確かにあなたは勝ってるのかもね。みんなから俺を遠ざけるって面では。」
「実力的には、お前の方が上、か………。」
『破壊』は『不滅』に勝てない。絶対的なその現実は覆せない。才ある者は才のない者を救うと言うこともあるが、ネガは海人を見ているとその言葉を広めた人間を大嘘つきと罵らないことは出来なかった。
「快斗を渡したらいいって言ってるんだけどなぁ?」
「ディオレス様の言葉を、お前も聞いていただろう?我はこいつを守る。」
片目はもう腫れて開かないネガ。綺麗な顔が台無しだが、ネガはそんなこと気にしない。今彼女の中にあるのは、ディオレスから言い渡された、『天野快斗』を守ることしかない。
「だが、ここでのこのこ朽ちるのは、ディオレス様に笑われるから嫌だ。」
「子どものわがままみたいだね。」
「子どもか、我もまだ子どもなのかもしれないな。」
ネガはそんな弱々しいことを呟いて笑った。これは誰の言葉に対してのウケでもなく、自嘲しているようだった。
海人はそんな歪な殺る気をみせるネガを不吉に思う。そんな心意気で、この女は自分と同じ土俵に立っているのかと蔑んだ。
と、ネガを見ていた海人は目を見張った。
「もう意味ないよ。」
「分からないだろう?それはやって見なくては。」
「違うよ。君が快斗を守る必要が無くなったって話をしてるんだ。」
「?………あ。」
海人に言われたことが一瞬理解できなかったが、背後の気配にネガも驚いた。
「どけ。俺が殺る。」
背後に立つのは快斗。彼の服装はいつものフード付きの灰色の服ではなく、白い髪とは真逆の色で全身を包んでいた。
黒いブーツに黒いコート。ズボンもシャツもほとんどが黒色だった。そんな姿をしているものだから、白髪と赤青の両目が余計に目立っていた。
快斗の瞳を見ても、ネガは何も感じ取れなかったが、海人は何かを悟ったようで、ニヤリと笑っておちゃらけた。
「随分と長く寝ていたね。ネガさんが傷だらけになってまで守ってくれてたのに、君はぬくぬく寝て怠惰だね。」
「そうだな………俺は怠惰だ。」
「あれ?」
海人の挑発を、快斗は無視するでも反論するでもなく、大人しく聞いて納得した。やっと世界の脅威となれた自分を敵視していないような快斗の態度に、海人は苛立った。
「弱気な事だね……俺は快斗には出来るだけ激情で戦って欲しいんだけど?」
「ネガ、早く逃げろよ。カタは俺がつける。」
「大丈夫、なのか?」
「余計な心配するなよ。なんだか今は大丈夫な気がするんだ。」
「……………分かった。」
ネガはどこか不可思議な快斗の態度に疑念を抱きつつも、言われた通りに踵を返して2人から離れた。
「雰囲気も表情も、いつもの快斗じゃないね。」
「いつもの俺?」
「普段の快斗なら、俺に対してずっと説得を試み続けると思ったんだけど、今の君は違う。全部を受け止めている。いや、受け止めざるを得ないのかな。後悔にでも押しつぶされて、反撃する余地がないだけかな?」
「どっちでもいい。俺が今思ってることはそんなどうでもいいことじゃない。そもそも俺はお前に対して怒りも恨みもある訳じゃない。ただ、恐怖があるだけだ。」
「恐怖、だって?」
「俺の、ヒバリ達を傷つけるんじゃないかって恐怖。そして、今までその頭角を現さずにずっと潜んでいた事。周到さに圧倒されたんだ。単純にな。」
「それは………」
海人は気持ちよくなかった。だってそれは言い換えれば、快斗からみれば、テストの勉強をいつもよりしていて驚いた程度のレベルだということだった。
「俺は考えたよ。どうやったらお前を………親友を止めることが出来るかってな。」
「結論は?」
「無理だ。」
「…………そっか。」
「あぁ。だから、俺はお前を止めるためにお前を………殺すしかない。俺は辛いが………傷つくのが俺だけならそれでいい。」
「俺を殺すのが辛いって?意味がわからないな。」
海人は頭をかきむしった。見ただけで苛立っているのが分かる。
「余裕そうだなぁ!!」
取り敢えず海人は攻撃をした。どうせ死ぬことは無いのだから。左腕を甲羅で包み、快斗の顔面を強く殴り飛ばそうと腕を伸ばした。
が、事は一瞬。海人の攻撃は無様に空を切り、余波が地面や森を大きく抉って消え去った。
「あれ?」
と、ここで海人は自身の腕の違和感に気がついて目を向けた。すると、待っていたかのように腕はその原形を失っていった。
それはボロボロになるだとか、ぐちゃぐちゃになるだとかそういうのじゃなく、本当にその場にあった腕が消えていったのだ。
痛みもないし、回復しない訳でもないのですぐに元に戻したが、海人はそこには違和感を感じていた。
「………何をしたんだい?」
「単に突っ込んだだけだ。そこの地面を蹴って、前に進んだだけ。強いて言えば………」
快斗は草薙剣を抜いて構える。
立っている場所は海人の方が1段低い。故に、快斗は海人を見下ろしているのだが、そのせいか、快斗の視線には見下すような威圧感が混じっていた。
海人が思わず身に力を入れるほど、その威圧感は微弱ながら海人の芯を震わせた。
「ただその腕を、消したら楽だなって思っただけだ。」
「………へぇ。」
海人は笑みを浮かべる。ワクワクした。目の前の従兄弟は、自身の真反対の力を手にした。こんな展開、男児なら心躍らないわけが無い。
それは、数々のラノベを読み尽くした海人も手放すことの出来ない感覚だった。
「勝負だよ。快斗。」
「…………。」
ニヤける海人。覚悟を決める快斗。
2人は上と下で見つめ合いながら、最後の戦いの始まりを待っていた。
絶対に死なない『不滅』。必ず消し去る『消滅』。
果たして、どちらが勝つのだろうか。ディオレスが言った通り、信念が強い方が勝つのだろうか。
だとすれば、この戦いは、どちらの勝ちとも宣言できない。背負っているものが違うだけ。一般人から見れば、どちらかが悪でどちらかが善。
しかし、それぞれ各々からすれば、それは同じ重さを持つ重圧。
殺したい海人。救いたい快斗。
同じ名を持つ癖に、実は相反する2人。ゆく道の苛酷さは同じ。だが相容れず分かり合うことも無い。少なくとも、快斗は分かりあっている親友だと、一方通行な思いは持っていたが。
そう、それほどに歪んでいるのだ。この2人は。
なんて、気色悪いんだろう。
「さぁ本当に始めようか。『不滅』と『消滅』の勝負をさぁ!!」
楽しげに海人が宣言する。快斗はその言葉に頷かず、口を挟んだ。
「勝負?違うな。」
「ん?」
快斗は目を瞑ってから、改めて海人を睨みつけて言い放った。
「『下衆』と『屑者』の、殺し合いだ。」
同じ名前って書きにくいなぁ………