そして彼は会いに行く
結局、所詮は子供の幻想だったのかもしれない。
「お………ぐぉ………」
「クソ……クソッタレがァ!!」
脇に腹に風穴を開けたダイを抱え、ディオレスは森を駆け抜ける。後ろから迫る死の気配から逃げ惑い、深く深くへと潜り込んでいく。
「ディオレスさん!!」
「ッ、てめぇら時間稼げぇ!!ダイが死にそうなんだよォ!!」
「む、無理です!!あんなのぉ!!」
旅の道中で仲間にした何人かの鬼も、恐怖心のあまりに小便を漏らしながら蹲ったり隠れてしまう。
「ぐぇ」
逃げ遅れた鬼の1人は心臓部を貫かれ、無様な声を発して死んでしまった。
「逃げるなよ。卑怯なガキ共。」
後ろから追いかけてくるその声の正体はリリアだ。あの出来事が起こってからもう3年も経つというのに、表情に浮かぶ怒りはその時から変わっていないようだった。
「クソ……ッ、」
と、森を駆け抜けていると、開けた場所に出た。どこかと見渡すとそこは、あの因縁の場所だった。
「ここだよ。ここで………」
ディオレスは足をとめない。後ろから聞こえる声に耳をかた向けながらも、油断は一切しない。
「ここでお前らを殺す。3年ぶりに実現するよ。」
リリアは恍惚とした声でそう言った。狂ってると思った。ディオレスは必死に逃げた。
地面を踏み締め、ジグザグに走って、転ばないように足元を見て、ディオレスが出せる最高速度で、ディオレスは走っていた。
だが、その足が急に止まった。
「は………なんで…………」
目の前の絶望に愕然として膝ま付いてしまった。ディオレスは目を見ひらいて凄まじく動揺していた。
「てめぇ………確かにダイが殺したはずじゃ…………」
「あははー。危なかったよねアレはー。リリアのストックがあったからよかったけど、なかったら死んでるよぉ。」
以前とは違う声質と顔をした天使、ローナ。その姿を見て、ディオレスはローナが他の人間の体を乗っ取ったことを悟る。
「始めようか。鬼君。…………絶対に殺してあげるから。」
低いトーンで発せられた言葉には明確な殺気があった。ディオレスはダイを降ろし、背中の大剣を引き抜いた。
「はぁ………俺が、ダイを、守るんだ………」
ディオレスは恐怖心を舌を噛むことで忘れ、自身を何度も鼓舞する。
「俺なら………ダイが認めた俺なら出来るはずだ……!!」
確信を持ってそう思った。ダイが言っていたから。認めてくれたから。ダイは絶対なものであり、ダイが言うならなんでもそうだと思い込んでしまうのがディオレスの欠点だった。
「ッ………!!」
奥歯をかみ締め、いざローナに駆け出そうとしたその時、ディオレスの右足首が誰かに掴まれた。
振り返って見下ろすと、ダイが苦しげに呻きながら精一杯の力で立ち上がろうとしていた。
「ダイ!!動くな!!」
「あ、はは………ごめんね。でも、今は君が止まる………べきだ……。」
ディオレスの体をよじ登るように辿り、ボロボロの体で強く立ち上がる。
「ダイ………」
「………悲しそうな顔しないで。……君を、心配させてることは………分かってるんだ……」
ディオレスはダイが立ち上がってゆっくりとディオレスから手を離していく。
嫌な予感がした。
その手が離れれば離れるほど、ダイが何だか遠くに行ってしまいそうな気がして、怖くなってダイを抑える。
「………どこに行くんだよ。」
「さぁ?どこだろう………死後の世界ってあるのかなぁ。」
「お前………お前がいなくなったら俺………」
「…………ディオレス?」
ダイは静かになったディオレスを見て目を見開いた。それと同時に表情が綻んだ。
強くなったと思っていたディオレスが泣いていたのだから。
「悲しんで、くれるのかい?」
「当たり前だろ………俺にゃお前しか………」
「大丈夫。ディオレスなら、大丈夫。」
「おい、待て、本当にやめてくれ。お前は寝て見ててくれ………そしたら俺が…………」
と、光の熱線がディオレスの頭に向かって放たれた。それをダイが体を動かして左腕を思いっきりあげて熱線を受け、ディオレスを守る。左腕が砕け散った。
「ッ、おいッ!!」
「あはは………ほら、ディオレスはまだ、甘いところが………あ、る………」
ダイはもう痛みすら感じていない。死にかけのダイの動きが面白いのか、ローナはまじまじと2人を見つめる。
「お願い、ディオレス。」
「嫌だ。」
「お願いだから、」
「断る。」
「君を死なせたくない……」
「俺もお前を………!!」
「もう、ディオレスは、僕に甘いなぁ。」
ダイを嬉しそうに笑う。その笑顔にディオレスの涙がどんどん止まらなくなる。
「最後に、伝えるよ………」
「あ………」
別れは、ディオレスの決断を待ってはくれなかった。
ダイの体がどんどん大きくなった。大きくなったと言っても、一周り程度にしか大きくなっていないが、その姿は大きく変わっていた。
角が薄青色の透明な結晶のようなものへと変化し、体の節々からそれが生え伸びていた。
とはいえ腹には大穴が空いたまま。直ぐに死ぬのは目に見えていた。つまり、最後の悪足掻き。ではなく、ディオレスが逃げるための時間稼ぎ。
ダイは振り返ると、ディオレスの胸に手を当てた。ディオレスは涙で濡れた目をかっぴらいて叫んだ。
「待ってくれ!!ダイ!!」
「ごめんね、ディオレス。」
「ダ………」
「愛してるよ。」
ディオレスが口を開く前にその唇を人差し指で抑えて短く告げると、胸を突き飛ばした。ディオレスはまるで軽い小石のように簡単に吹き飛んでいき、木々の隙間を抜けて直ぐにダイの姿が見えなくなった。
「ダァァアイ!!!!」
「もう、いつまでもお節介だなぁ。」
ダイは優しくそう笑うと、ローナに向き直った。
「ごめんね。始めようか。」
「どうせ死ぬんだしさぁ、始めようかとか言わないでよ。」
ローナは半笑いでダイを侮辱した。
「終わりにしようか、でしょ?」
「ふ………」
ダイが駆け出した。その速度は普段のディオレスとは比べられないほどの遅さだったが、ダイは止まることは無かった。
(ごめんねディオレス。僕はまた君に嘘をついた。)
死に向かうことを自覚した上で、ダイは心の中で謝罪した。
(教えた能力も、助けた理由も、生きてきた過程も、一緒に願ったことさえも、何もかも嘘だったんだよ。)
ダイが、涙を流した。
(僕は、君と出来るだけ、一緒に居たかっただけだったんだよ。君が初めての、友達だったから。)
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「クソ、クソォ!!」
ディオレスは半べそをかきながら全速力でダイに突き飛ばされた場所に走って戻っていた。
「ダイ………なんで………」
ダイがディオレスに危険が及ばないようにしたかったのも、自分が死ぬ姿を見せて悲しませたくないのもわかる。
が、ディオレスにとっては結末を見届けることすら出来ないというのが1番嫌いだった。
「ッ!?」
巨大な爆発音がディオレスの耳を貫いた。それはダイがいる方向から聞こえた。上を見上げると、大量の土石が中に放り投げだされていた。
「頼む………頼むから………」
草をかき分けて、木々の鋭い枝に肉を裂かれても関係なく、
「生きててくれダイ!!」
そして最後の草をかき分けた時、ディオレスの顔面に真っ赤な鮮血が直撃した。
「か、あ………?」
ディオレスが顔を上げると、そこにはディオレスが戻ってきたことに驚いているローナと、腰から上を失ったダイの下半身があった。
「あ、え………?」
それをなにか理解する前に、ディオレスの真横に何かがどしゃりと落ちた。ディオレスは血の気がさぁっと引くのを全身で感じた。
振り返ると、内臓をぶちまけた上半身だけのダイの死に顔が目に入った。
「………ァァァァァァァァァァあぁあああああああああああああああああぁぁぁあああぁぁぁ!!!!!!」
怒りでもなく、ただの悲しみでダイを抱きしめた。
体を全ての激情が包み込んで、暑く暗い世界がディオレスを迎える。
泣きすぎて瞼が潰れ、叫びすぎて口が裂け、ありとあらゆる体の部位が弾けて崩れ、そしてすぐに再生する。
肉体は、破壊と再生を繰り返して強くなる。
「な、何………?」
ローナはあまりの惨劇に目を細め、泣き叫ぶディオレスの迫力に気圧されるようにその場を離れた。
飛び上がり、血まみれになるディオレスを見る。天使であるというのに1人の鬼に恐れを生してしまった。
「気持ち悪い………」
あまりに恐ろしいその姿に、天使であるローナでさえ怖気付くのだ。そりゃ誰だってその場から動けなくなる。
それがローナの命を失うきっかけだった。
「………あれ?」
ローナの視界からディオレスが見えなくなった。ダイの死体をその場の置いたままで。
どこに行ったのかと首を回す瞬間に、腰の辺りに違和感を感じた。見下ろしてみると、下半身と上半身はなにかに無理矢理抉られたかのように繋がりを絶たれていた。
「がぁぁああああぁぁぁあああ!!!!」
地面に落ちる瞬間に咆哮を聞いた。獣のような鬼のような、悲鳴であり雄叫びである。一生消えない傷を、負った。
地面で跳ねる。ごろごろと転がり、ローナは仰向けになった。
「は………」
真上には、見開いた目を向けているディオレスの姿があった。
「ま、待って………」
「アァ?」
「ぐふっ!!」
待ってくれと懇願するローナに、ディオレスは首を傾げながら内臓がむき出しの傷口を強く蹴りつけた。
ディオレスの足がローナの内臓をかき回し、ローナは感じたことの無い痛みに悶える。
「う、ぼぉお、ぇぇ………」
「誰が悪い。お前が悪い。人間が悪い。ダイが悪い。みんな悪い!!」
ローナを持ち上げて、地面に叩き付ける。子供の癇癪のような攻撃は命を奪う決定打にならない分、拷問のように痛みが立て続けに与えられる。
「…………違う。」
途端にディオレスの攻撃が止む。痛みで失神しかけたローナの意識が回復していく。
「ローナ!!」
森の方からローナを掴みあげているディオレスをリリアが発見。魔力を凝縮して作り出された剣がディオレスに振るわれる。
ディオレスはそんなこと気にせず、1人で絶望して……
「俺が、悪い。」
そう呟かれた瞬間に、振るわれた剣ごとリリアの腕が弾け飛んだ。
「んぁあ!?」
破壊の動作も衝動も何も無かった。ただ悲しんでいるだけの愚鬼に、リリアは自分の腕が奪われたことが癪に触った。
「この………クソ鬼がァ!!」
激昂するリリア。両腕を失っても屈することなく、魔力を凝縮して放とうとした。そのリリアの顔面にディオレスの拳がぶち込まれるのに、1秒も満たなかった。
「ぶ………」
呆気なく弾けたリリア。流石に頭を失っては天使も生きられない。死体が軽く跳ねて飛んでいった。
「ははは!!ありがとうリリア!!」
「…………。」
「私はまだまだ生きるからァ!!」
「おい………待てよ………」
上半身だけで逃げていくローナ。ディオレスは振り返り、逃げていくローナを重い足取りで追いかけていく。
「お前らァ!!止めるんだァ!!」
ローナが叫ぶと、木々や岩の隙間から怯えた表情の人間達が武器を持って出現。各々震えながらも雄叫びを上げてディオレスに殺到する。
ディオレスはそれを見て更に悲しくなった。これだけ不幸な目にあった自分らを見て尚、人間達はあんな天使に従って、自分を殺そうとする。
「ああぁぁ………」
空を見上げて涙を流す。悲観的な表情に反して、体に入る力はどんどん膨れ上がる。
「全くお前らはいつだって………」
ぐぐぐぐと力を込める。周りの人間が地面が揺れているのではと錯覚するほどに、ディオレスは怒っていた。
「自分勝手だなァ!!このクソカス共がァァァァ!!!!」
紅蓮の覇気がディオレスを包む。彼の力が湧き上がり、能力値が爆増する。
もう誰にも止められない。疲れて衰弱するまで暴れ続ける。
彼は手にした。新たな力を。もうそれを喜んでくれる人もいない癖に。
能力、『暴れん坊』。後に『楽園』と呼ばれる湖のある森のほとりから始まった2人の少年の人生は、この場で朽ち果てるようだった。
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「兄さん。この世界の南の方向に、凄まじい殺気を感じるよ。」
「…………そうだな。」
白髪の少年は、亜麻色髪の美女からそう告げられた。
「どうするの?」
「絶叫………悲しみを感じる。」
「確かこの世界に潜んでる天使達って南にいたよね。」
「………手伝おう。」
「手伝うの?」
「仲間になってくれるかもしれない。」
「兄さんについて行くなんて、私みたいな物好きだけだと思うけど?」
「前例があるなら可能性はある。向かうぞ。」
「兄さんがそう言うなら。」
亜麻色髪の美女は箒を呼び寄せると、白髪の少年はそれに跨り、美女は彼に抱きつく形で座り込んだ。
浮き上がり、すぐさま飛び出していく。
「さぁ、どんな人だろうね。」
「どんな人だろうな。」
2人は他愛のない話をしながら、『暴れん坊』のいる場所へ一直線に飛んでいった。