彼と出会った日
「誰だぁ、テメェ………」
大量の血肉が散らばった場所には、1人の少年と鬼がいた。
少年は落ちている肉や血をお構い無しに踏みつけて、その真ん中でしゃがみこんでいる鬼に近づいた。
「来んなよ………」
鬼は拒絶する。少年は黙って歩み続けた。
「来るなっつってんだろ!!」
鬼は凄まじい速度で少年の頭部に拳を振り下ろした。
その瞬間、鬼は地面に叩きつけられていた。
「あ?」
地面が砕けて鬼が埋まり、そして動けなくなった。
頭だけを上に向けて、見下ろしている少年を見上げた。
「なんだよ………テメェは………」
立ち上がるにも全身が痛んで立ち上がれず、鬼は悔しさにはを食いしばる。
少年はその鬼の顔を見つめてため息をついた。鬼の目の下には、涙の通った後が強く残っていた。
「ずっと泣いてたんだな。」
「あぁ?」
「お前、名前は?」
鬼は見下ろしてくる少年と目を合わせた。その瞳は酷く無気力で、しかし優しさも含まれていた。
どうしてそうしたのかは今でも分からないが、鬼は少年に自身の名を教えた。
教えてしまった。
「ディオ、レス………」
「そうか。ディオレス。お前、俺のとこに来い。」
「あ?」
少年はそれだけ言うと、ディオレスから目を離して歩き出した。ディオレスはそこで立ち上がることができ、そして初めて、立ち上がれなかった理由がわかった。
恐怖だった。
「おい、待てよおい!!」
「なんだ?」
「お前のとこって、なんだよ………」
ディオレスは少年にそう尋ねた。少年は少し周りを見渡して、そしてある死体を指さした。
ディオレスはその指に従って視線を動かすと、そこには白い羽を生やした天使のような生き物の死体があった。
「あれが、なんだってんだよ……」
そう言うディオレスの拳は強く握りしめられていた。全ての元凶を思い出して。
「俺はやることが、あんだよ………」
「…………。」
「邪魔しないでくれ……あいつを殺す。」
「その手助けをしてやるって言ったらどうする?」
「あ?」
少年の言っていることが分からず顔を上げるディオレス。少年は天使の死体まで歩み寄ると、その残骸を踏み潰した。
潰れたあとも、靴裏で地面に擦り付けるように、何度も何度も踏み続けた。
「俺は………俺達は神を殺す者達だ。」
「神?」
「『神殺し』だ。」
少年はその名を口にした。
「そんな大層な団体があんのかよ。」
「ある。俺がリーダーだ。」
「…………。」
ディオレスはその言葉をすぐに信じることは出来なかったが、少年に殴りかかった時に味わった感触や力は確かに並のものではなかった。
そしてなにより、天使を踏みつけている時の目が気になった。
あれは間違いなく、圧倒的な怨みと憎しみを感じている目だった。
「俺達は神と天使から人間を救う。もちろん、お前だって例外じゃない。」
「だったら、助けるだけでいいだろうが………お前らのところに行くつもりは……!!」
「お前が殺したい天使に命令したのは神だ。」
「ッ………。」
少年の言葉に、ディオレスはどんどん押されていく。
「神は1人じゃない。何人も、羽虫の如く現れる。全部殲滅するのは相当な戦力と実力がいるんだ。お前は適任なんだよディオレス。」
「な、なんでだよ。」
「お前は単純に実力がある。我慢強い忍耐力も、そして神や天使に対する憎しみを持っている。」
「…………。」
「お前の事情は知ってる。そいつの仇、取りたいんだろう?」
「だが、こいつを殺したのは………」
「人間だ。お前には酷な話だが考えてみろ。その人間達が自分の意思でお前らを忌み嫌ったか知っているか?」
「あぁ?」
「天使に脅されたからだよ。ここの人間は異能力を持っては居ないようだし、逆らうことなんてできやしない。生きるためなら他人を犠牲にするのが人間だ。」
「じゃあ、人間が悪いじゃねぇかよ。」
「彼らにとっては正だった。人間は生き物。生きることが正しい。だが天使らはどうだ。か弱い人間をコケにして遊んでいる野郎どもだ。」
少年は無表情から怒った顔になった。拳を握りしめて、また死体を踏んだ。
「なぁ、ディオレス。お前にはこの世界がどう見える?」
「………知らねぇ。何も見えやしねぇよ。」
「そんな事ないだろう?思い返してみろ。生まれてからここまでのお前の人生を。」
ディオレスは俯いて考えてみた。じっと思い返してみた。今までの人生を。
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ディオレス、という名前は、彼が元々授かっていた名前ではなかった。
そもそも彼に、名前なんて存在していなかった。
彼はある小さな村で生まれた子供であった。そこらの子供達の何ら変わりなく、両親にも愛されながらすくすくと育っていた。
物心が着き、角が生えるまでは。
「お前、なんだその角は!?」
父親は角が生えた幼少期のディオレスを見て恐れた。その目はもう、人間を見ているものではなかった。
「早く連れてってぇ!!」
母親は恐怖した。それまで愛していたのがまるで嘘だったかのように彼を傷つけ、突き放し、村の戦士に押し付けた。
彼は訳が分からないまま、檻にぶち込まれ、手首を金具に繋がれ、それからは毎日、ろくな食事も取れないでいた。
飯が来るのは短くて3日に1回、長くて5日に1回の頻度だった。そのせいで、彼の肉体はゾンビよりも悲惨な状態だった。
もはや何故生きているのかさえ分からないくらいやせ細り、精々立ち上がるのが限界だった。
「あぅ………」
言葉がわからず、話せず、誰にも理解されなかった。
自分にさえ理解されないのだからそれはそうだ。
これが普通で、こんなに生きるのは辛いのかと彼は絶望した。ずっとこんな嫌な生き方をしなければならいのかと彼は考えて寂しくなった。
両親の顔は覚えていない。それでも優しくしてくれていたのは覚えていた。それが、額の1本の角によって一瞬にして消え去った暖かい記憶であることに、彼は酷く苛立った。
何度も何度も角を消そうとした。壁に頭突きし、角をへし折ろうとした。
実際、何度も何度も角は欠けた。しかし、次の日に起きてみれば角は再生し、それどころか大きく固くなって言った。
鋭さを増し、強度を増し、それに伴い、彼の体は何故だかやせ細っていた体から普通の健康な肉体へと戻っていった。
繰り返して繰り返して、そうして彼は5年間、その檻の中を生きた。
彼の体は、驚く程に強靭になっていた。
「なんでだよォ……」
言葉は覚えた。まだ完璧という訳では無いが、たまにご飯を持ってくる者達が話している言葉を聞いて少しずつ取り込んで行った。
彼はいつしか、角を消すのを諦め、受け入れ始めていた。
ご飯を置きに来る者達は、角の生えていない人間。
彼は、角が生えてしまった人間。
それが結論。それが極論。つまりは、仕方の無いこと。
酷く残酷で理不尽。生まれた時点で、彼は人々に嫌われる存在になることが決定されていた。
理不尽は嫌いだ。しかし、根本から変えるのは不可能だと実感した。だから彼は、角の生えた自分を、みなに認めてもらおうと考えた。
鍛えてもいないのに強い肉体。その力は檻を簡単に蹴飛ばして破壊できるほど成長していた。
彼はなるべく人々を刺激しないように抜け出したつもりだった。
見つかったとしても話す余地はあると思っていた。しかし、世界はディオレスに残酷だった。
見つかった瞬間、無害なディオレスは檻にぶち込まれたのだ。