『分解』
「あれが狂神?本当に?」
「知らんけどそうなんだろ。現にここにいるしな。」
高谷と快斗は、目の前でディオレス達の戦闘地を見つめて動かない男を見て狂神がどうかを審議していた。
というのも、それは目の前の男は雰囲気も見た目も全てが平凡だったのだ。何気なく見かけそうで見かけないような、どこにでもいそうな普通の男。
ここにいる時点で狂神なのは明確だが、憂鬱そうに戦闘を眺めるその姿は、月曜日の朝が憂鬱なサラリーマンのようだった。
「先手必勝を信じていいと思うか?」
「相手の出方も能力も分からない以上は近づかないべきだと思うけど……」
「ここまで近づいて何もしねぇんだったら事態は進まねぇぞ。」
男と2人の距離はもう3mほどしかない。2人なら1秒も経たずに近づくことが出来る。だがネガも言っていたように、快斗らの能力が通じるかどうかも分からないで突っ込むのはあまりにも危険だ。
だから『不死』の高谷をとりあえず投入しようという荒業も、今回はできない。というより、今までも躊躇すべきことだったのだが。
「どうする?」
「ここらは荒れてる。多分エレメロが戦ったのかもな。姿は見えねぇけど死んではいねぇはずだ。亜麻色の長い髪が見えたらそいつがエレメロだからな。」
「分かった。今はいないから一旦引いたのかな。」
「そうだといいんだけどな。そう簡単に死ぬってことは多分ない。そんな柔い志は持ってなさそうだったからな。」
何がしたいのかは分からないが、エレメロは快斗の体をとにかく大切にしている。無くしたくないのも確かだ。
こんな場所に放り込んでそうそう1人で乗り越えろなんて言いそうにはないが、
「可能性としてはある。」
甘えた考えではあるが、ここもここで戦場なので、油断は禁物だ。
「取り敢えず、遠距離攻撃してみる?」
「いや、これでいいだろ。」
快斗は拾い上げた小石を手のひらで転がすと、男目掛けて投擲した。小石は綺麗に放物線を描いて飛んでいった。
そして男の顔面に直撃すると思われた瞬間、小石が分散した。
パラパラと音を立てて、小石が砂のように細かくなって散っていった。
「あ?」
なんだと思って風に飛ばされていく小石の残骸を目で追ったあと、快斗が再び男に視線を戻すと、空気が凍りついた。
「………なんだよ。」
男がこちらをじっと見つめていたのだ。その表情がだんだんと歪み、それが気色の悪い笑みへと変わった。
背筋に寒気が走った。底知れない恐怖が快斗の体を硬直させた。
男が2人の方へ歩き出す。男は依然として笑ったままだった。
その瞬間、快斗の意識が大声によって覚醒させられる。
「跳んで!!快斗君!!」
「ッ、クソッ!!」
快斗が草薙剣を地面に叩きつけ、それを軸に体を逆さに持ち上げた。十分にとびあがる時間がなかったからだ。
次の瞬間、快斗が立っていた地面がさっきの小石と同じように粉々になった。草も岩も全てが砂となった。
「あ、れ?」
高谷は反応しきれず、その場に倒れ込んだ。見ると、下半身が地面と同じように分散していた。赤い粒子に塗れて高谷の姿が見えなくなる。
「高谷!!」
降り立つのはマズいと判断して翼を生やし、空中に浮び上がる。男は分散した全てのものを誇りを払うように手で薙ぎ払う。
男は快斗に視線をつけると、またもや笑ってその姿を消した。
「っべぇな!!」
快斗は直ぐにその場を離れた。すぐ背後を何かが通り過ぎた。地面に墜落するように突き刺さったのは、先程の男だった。
「どっから来たんだよ。」
背後に回り込まれて、あれほどの威力の出る蹴りができるまでの距離まで離れた。快斗が感知できる範囲ではなかった。
男は笑ったままだった。だが、その笑みは微笑みでも嘲笑でもなく、なにかに脅えているかのような嘘っぽい笑みだった。
「快斗君!!」
「ッ、エレメロ!!」
背後からの声に振り返ると、エレメロが快斗と同じように翼を生やして浮かんでいた。
「ごめんね、遅れてしまったよ。」
「構わねぇけど、あれが狂神かよ。ずっと笑って気色悪ぃ。」
「全くもって同意見だ。怪我はまだしていないかい?」
「してねぇよ。ただ高谷が下半身持ってかれちまったんだ。」
「『不死』の子か。問題ない。彼の能力ならあの男の能力で封じられることは無い。」
その言葉を聞いて快斗は少しほっとする。中々起き上がってこないので何をしているのかと思ったが、死んでないなら大丈夫だ。
「あいつの能力ってなんだよ?」
「おそらくだが、彼の神力は『分解』だろう。あらゆる物を好き勝手に好きな大きさに分解できるんだ。」
「だから地面が粒子になったってか!!」
話している途中にも狂神は笑みを向けてくる。分解する時に何も動作がなかったため、近づくのも止まっているのも怖い。快斗とエレメロは動き回りながら話し続ける。
「快斗君らが来る前に私がいくらか試して考えた憶測だが、彼の『分解』の範囲は多分、彼の見えている範囲全てだ。あれが見えるかい?」
エレメロが指さしたのは、遥か遠くにある不自然な形をした山だ。その山は真ん中に向こう側が見えるほどの大穴が空いており、その下の方には大量の砂が積もっているのが見えた。
「私が初めて対峙したのはここだ。その最中にああなっているからそう考えていいと思っている。というより、神力というものは大抵それぐらいの規模だと思ってくれたほうがいい。」
長々と話しているエレメロだが、要はやり過ぎなほどに警戒しろということだ。
「お前も何回かやられたのか?」
「見ての通り、無様にコケにされたよ。」
快斗はエレメロのボロボロになった右袖を見てそう呟いた。エレメロは笑いながら両手を広げて降参ポーズをとる。
「私は神としては不十分なんだ。列記とした神である彼に及ぶだなんて思ってないさ。ディオレスのように底力がある訳でもないしね。っと。」
エレメロが快斗を軽く突き飛ばし、その反動で自身も後ろに下がった。
数秒遅れて、目の前の空間がポンと音を立てて、何も無いところからさらさらと塵が落ちたかと思うと、その場所に強い引力で吸い寄せられた。
「なっ!?」
「空間が削り取られたからね……気をつけないと空間修復に巻き込まれるよ!!」
空間が分解されたことにより、世界が自身を保つために空間を他の空間で埋める。それが空間修復。それが起こる時、何も無いところに空間を詰め込むので量が必要なのだ。
そのため周りの空間を注ぎ込み、それによって強力な引力が働くのだ。
「ずっと走ってなきゃダメってことか。」
「この場合は飛ぶだけどね。」
翼で飛び回る2人を見上げながら、狂神は笑顔を絶やさない。
異様な姿に、快斗はそっぽを向いて「きっしょ。」と一言呟いた。
すると、狂神がここで初めて口を開いた。
「キャハ。」
「あ?」
「キャハ、キャハハハハハ!!!!」
頭を抱え、地面を転がる男。苦しんでもがいているようにも見えるし、ただ単に笑い転げているようにも見える。
だが、なんの前触れもなくそこまでの笑いが起きるのだろうかと快斗が首を傾げる。
流石にその光景が恐ろしかったのでエレメロに視線を向けたが、エレメロは両手と両肩を跳ねてため息をついた。
つまり、理解不能、ということだ。
あまり未知のものに近づくのは良くないが、相手の基本能力は把握したので、ずっと様子見をしているのも時間の無駄だ。
「あまり気にするなってこと、だな。」
快斗は自分にそう言い聞かせ、草薙剣を握りしめる。
魔力が伝い、黒紫色の炎が草薙剣を包み込む。
未だ笑っている狂神を見下ろして、快斗は草薙剣をここに来て初めてきちんと構えた。