下を向く者はいるかッ!?
「…………あぁ……?」
水の中でゆったりと流されるような感覚に、白髪の少年、天野快斗は目を覚ました。
「あ……ご、ばはぁ!?」
喋ることができると思って息を吸おうとすると、水のような何かが口いっぱいに入ってきて上手く話せなかった。誤飲したせいで気管に水のような何かが入って苦しくなってしまった。
(なんだぁ………これ………)
必死に吐き出して、快斗は水面まで上がっていった。
「ぶっ、は………」
息を大きく吸う。しかし、空気はどこか澱んでいるような感じがして快斗は深呼吸をやめた。
「なんだよ………ここ。」
辺りを見回しても何も無く、明かりもないため真っ暗で、目を開けていても閉じているのと変わりがなかった。
黒いモヤが快斗を包み込み、水も真っ黒でイカスミのようだった。
「やぁ、快斗君。」
「あ?」
「久しぶりだね。」
と、水が溜まっていた方向を見ていた快斗の背中に軽い声がかけられた。振り返ってみたが、黒いモヤでなかなか人物が見えない。
だが口調と雰囲気で、その人物が誰なのかはなんとなく理解出来た。
「エレメロかぁ。魔神様久しぶり。」
「うん。元気そうだね。」
モヤを掻き分けて現れた女性、亜麻色の髪を持つ勝色ドレスの魔神、エレメロは快斗との再開を素直に喜んだ。
「元気そうって、俺死んだからここにいるんじゃねぇの。」
「大丈夫。君はそう簡単に死ぬような体じゃないからね。魂が体にないだけで、実は君は生きているんだ。」
「幽体離脱ってことか?」
「簡単に言えばそうだね。」
口に服の袖を当てながら喋る快斗に、エレメロはまたそんなことを言う。人間かはしてみればそう簡単に受け止めきれる話でもないのだが、快斗は経験上、割と慣れてしまっていた。
「あ、そうだ。なぁ、ゲームは終わったんだろ?俺達の勝ちで。」
「そうだね。君達は勝利した。まぁまだ相手の因子は2つ残っているから、油断はしない方がいいかもだけど。」
「油断?ゲームはもう終わったってのにか?」
「素直に力として扱う輩もいるだろうからね。」
「なるほど。でもそれって零亡だからなぁ。多分変な気は起こさねぇだろうな。」
快斗は零亡はそこまで馬鹿ではないと思っている。仮に馬鹿をして何かを起こしても、ライトや高谷に押さえつけられると考えられる。
心配するほどではないと思っていた。
「あの世界の人間達はもう平和に暮らしてるのか?」
「いや、実はトラブルがおきてね。世界は未だ戦争のような状態なんだ。」
「あ?」
意外そうに驚く快斗に、エレメロはしっかりと説明した。ゲームが終わった途端、今まで手を出してこなかった聖神が『試練』と評して太陽神を送り出してきたこと。
『鬼人の国』で羅刹という強い鬼が復活したこと。それに対抗して暁という少女が強くなったこと。
そして、快斗の死により、ヒバリが心を病んだこと。
「そっかぁ………」
いつもの軽い態度ではなく神妙な面持ちで悩むように顎に手を当てた。
皆が自分がいない間に更なる強敵と戦い続けているということにむず痒さを感じつつ、ヒバリが心を病んでしまうほど、快斗という存在が大きかったのかもしれないと思うと少し嬉しい気もしてしまった。
「それってまずくないか。」
「かなりまずい状況だよ。」
快斗の問いに簡単に答えるエレメロ。
「そういえば、俺らはゲームに勝ったら一人一つずつ願いを叶えるって言ってたよな。」
「あー………」
その考えに至った快斗はそれを口にしたが、エレメロはそれを聞いた瞬間にバツが悪そうに言葉を濁した。
「あれ使えば、その『試練』やらなんやらを消しされるんじゃねぇのか?」
「うーん……実は、その願いを叶えるということが出来ないかもしれないんだ。」
「あ?」
エレメロが自信なさげにそう答える。首を傾げる快斗に、エレメロは申し訳なさそうに事情を話し始めた。
「実は、今この世界で人々が戦っているように、私達も戦っているんだ。」
「エレメロ達が戦う?誰とだよ。」
「邪神と狂神だよ。」
その言葉に快斗は肌がヒリヒリするような感覚を味わった。ゲームの敵の主将達であり、会っていないためどんな輩なのかも分からない未知の敵だ。
「なんでお前らは戦っているんだ?」
「それを今から話そうと思う。これは1から話さなければ分からないと思うからね。」
そう言って、エレメロは両手を広げる。すると周りのモヤが吹き飛び、その場には2つの椅子が出現した。
片方はソファのように横幅が広い大きな椅子。もう片方は木でできた小さな椅子。
快斗がどちらの椅子かを選ぶ前に、エレメロはそそくさとソファに座って笑顔で快斗に木の椅子に座るように促した。
「だろうと思った。」
悪態をつきながら、快斗は座り心地が悪い木の椅子に腰掛けた。背もたれもないので寛げない。
「さて、これから話すのは、」
エレメロは快斗が座ったことを確認すると、強引に意識を自分に向けて話し始めた。
「私と私の兄、『神殺し』の話だ。」
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エレメロは魔神になる前、『神殺し』の一員だった。リーダーは、エレメロが勝手に兄と称するルシファーという少年だった。
そのルシファーという少年の体が、今の快斗の体だ。
ルシファーは強かった。草薙剣を一太刀振るえば千の天使が死ぬと言われる程に強かった。
それ故神達から恐れられ、何度も何度も彼を殺そうと手下をけしかけたり、自身が赴いてくる神もいたが、ほとんどの神はルシファーとその仲間達に返り討ちに会い、殺されていた。
その年月は数え切れないほど長く、ルシファーはほとんどの神を殺し尽くした。
唯一殺せなかったのは、創世神と大神、そして最高神だった。
これは度々の神々の奇襲に会い、仲間が次々と削がれていった為、戦力不足で戦いを断念した結果だった。
ただ、最高神は別だ。ルシファーの最終目標は最高神の殺害だった。
『神殺し』の勢力には限りがあるが、神サイドは最高神がいる限り敵は際限なく湧いてくる。根源を消すという意味もあり、最高神を殺すことはルシファーの生きる目標でもあった。
ある日、ルシファーは普段神達と戦っているこの世と、死人が落ちる地獄の他に、『神界』という場所があることを知った。
どこを探しても見つからなかった最高神は、『神界』にいるのだと、ルシファーは確信したのだ。
仲間が死ぬのは百も承知で、ルシファーは『神界』の入口であると考えられた大神の口の中に、エレメロと鬼神になる前のディオレスを連れて『神界』へと飛び込んだ。
案の定、最高神はそこにいた。ルシファーは追ってきた天使達の相手をエレメロとディオレスに任せて最高神と殺りあった。
結果は惨敗。エレメロが天使を殲滅してルシファーを追ってきた時には既にルシファーは事切れていた。
体から魂まで隅々破壊しようとしていた最高神の前にエレメロは衝動的に飛び出し、そこで宣言した。
「私達の負けだ。降伏する。だからお願いだ。兄さんの体は私に管理させて欲しい。私とディオレスを魔神と鬼神にしてあなたの管理下においてくれて構わない。もう残りの仲間には手を出さないでくれ。」
エレメロの、人生で最も惨めな瞬間はこれだった。
最高神は反対も何もせず、案外素直に2人を受け入れた。理由は、そうなることは知っていたと言っていた。
やがて時が経ち、2人は密かに『神殺し』復活を望んでいた。前の仲間達に呼びかけ、何とか1つの星分の仲間を呼び込むことに成功した。が、大半はエレメロとディオレスを裏切り者だと切り捨てたらしい。
皆が集まったあと、『神殺し』の復活準備が始まった。
と、ここで問題が起きた。エレメロとディオレスは、ルシファーの体に合う新たな魂を探し出し、植え付けるという考えの元動いていたのだが、徐々にルシファー自体を復活させるべきだと主張する団体が現れた。
新たな魂を探すべきという派閥は『新魂』。
ルシファーを復活させる派閥は『原魂』とよばれ、『神殺し』は内側から対立した。
快斗達を襲ったヴァイス達は、『原魂』だったらしい。
『新魂』のエレメロは保管していたルシファーの体に合う魂を探し続けた。
そして見つかったのが、天野快斗だった。しかし快斗はその時点ではただの人間で、エレメロの管理する区域ではなかったため、直接魂に交渉を持ちかけることは出来なかった。
それ以外に人間から自然に魂を取り出す方法は、死なせることしかない。エレメロは自分が快斗の魂を手に入れられる環境を整え、そして短い時間の間に計画を実行した。
その瞬間が、あのバスでの出来事だったらしい。快斗が不自然に殺しに躊躇がなかったのも、快斗から罪悪感を極端に無くしたからだという。
そしてこの世界でゲームとして快斗を鍛え上げ、体に馴染ませようと思ったのだ。神の因子にも慣れさせるために、邪神達にも嘘を言って計画に参加させた。
しかし、それほど踏み込む必要もなかったらしい。
何を勘づいたのか、邪神達は快斗が死ぬ瞬間に周りの人間も死ぬように仕向け、そちらを全て手駒にして確かめて見せた。
神は特別な権限がない限り、世界を直接覗くことは出来ない。手駒達を使って快斗の存在を確かめた邪神達は、あらゆる手を使って快斗を狙った。
月の魔獣や兎。阿修羅に羅刹など、災厄を次々と世界に投げ込んだ。
結果、快斗は死んだと手駒を通じて分かったため、今魔神達に攻め入っているのだ。『神殺し』再来を計画していることがバレてしまったということだ。
幸いそれを知ったのは邪神と狂神と聖神だけらしく、竜神は未だ戯れだと判断しているらしい。
ディオレスが1人で応戦しているが、相手は強く、エレメロは快斗の魂を引き寄せるので力を大幅に消費して戦力というには力が乏しい。
快斗をここに呼んだのは、そのためだという。
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「つまり?俺がエレメロ達の手助けをすればいいのか?」
「今のままじゃまだダメだよ。君はまだ彼らとは渡り会えない。まぁその力は多分後で渡すことにはなるだろうけど………少なくとももう1人くらい、連れてこられる人を作っておいた方がいい。」
快斗は考える。思いついたのは高谷ぐらいだ。『不死』の能力があれば、まだ何とかなるのではと考えたからだ。
「君の相手は多分狂神になる。邪神のほうは、私とディオレスでどうにか殺す。だから快斗君。君にはもう1つ頼むことがある。」
エレメロが快斗に向かって手を翳すと、快斗が所持している因子が浮かび上がった。
「私の因子の方がディオレスより消費量が多いんだ。嬉しいね。」
「あいつの因子が合うやつが一人しかいなかったんだよ。」
「それはそれとして、快斗君、その残りの因子は使う相手はいるのかい?」
そう問われて快斗は考え込んだ。もうゲームも終わった。因子の使い道は快斗も迷っていたことだ。
しかし今世界では戦争レベルの戦いが起きている。因子ほどの力が必要になる時もあるかもしれない。
「まぁ、あっちに戻らないと分からないな。」
「そうか……君には出来るだけ力をつけていて欲しい。使わなければその因子は君が取り込んでくれ。」
「鬼神と魔神の因子は混ぜるな危険とかはないのか?」
「単に力の方向性が違うだけだ。反発しあってしまうかもしれないけど、気張ってれば死ぬ確率は減るよ。」
「死ぬ確率がある時点で混ぜるな危険なんだけど?」
「まぁそんなこと言ってる場合じゃないから。」
エレメロが指を鳴らすと、快斗が座っていた椅子が消えた。しかし、快斗は倒れることなく、体勢をたて直した。
「さて、快斗君。私が今君にできる話はここまでだ。時間もないからね。出来るだけ早く準備してくれ。準備が完了したら、これを砕いてくれ。」
そう言って、エレメロは快斗に紫色のダイヤのような輝く石を快斗に手渡した。
「魔力を直接流さない限り砕けることは無い。それを砕いた瞬間、戦闘が始まると思ってくれ。」
「あぁ。分かったけど………俺が成長しても届く範囲なのか?」
エレメロはその問いに笑顔で笑い返すことはなく、真面目な声で返答した。
「正直言って分からない。勝ち負けの確率は四・六ぐらいかな。」
「シビアだな。」
「だからこそ、もう1人連れてくることを勧めてるのさ。」
「なるほどな。」
快斗は納得だと頷く。エレメロはそれを確認すると、先程快斗がいた黒い水を指さした。
「その水の中で窒息死すると戻れるよ。」
「おいエレメロ知ってるか?自殺でいちばん苦しいのは窒息死らしいぞ。」
「だからこそだよ。その程度の苦しみは耐えないと。」
「死んだら耐えたもくそもねぇよ。」
そう言いながら、快斗は躊躇なく歩いていく。そのまま水に飛び込もうとしていた。
今更死ぬことなんてもう怖くない。快斗はそう思って、水に飛び込もうとした。
「快斗君!!」
「あ?」
背中からの声に快斗が1度振り返る。エレメロが少し遠くから大声で話している。
「君は私のことを、どれほど恨んでくれても構わない!!これから先、君は誰よりも苦しい旅をすることになるだろう!!理不尽だと投げ出しても仕方がない!!死んだら元も子もない!!でもね、でもだよ!!私は君に、私の願いを叶えて欲しい!!私も命をかけている。あくまで君の判断に任せるが、出来れば最後まで貫いて欲しい!!あの忌々しい神を殺すまで………君には突っ走って欲しいんだ!!」
快斗はその言葉に何も返さない。今更そんなことで謝られたってどうにもならないからだ。ルシファーの話をされて、ここまで来て断ろうなんて選択肢が快斗の中にはなかった。
これから起きる絶望より、出来れば目の前の幸せを取り戻すことに専念したい。快斗はそう思って草薙剣を鞘から抜いた。それを天高くに掲げる。黒いモヤで見えない視界の中に、輝く刀身がモヤを弾いていた。
快斗は草薙剣を水の中に投げ飛ばす。沈んでいく草薙剣の場所に『転移』すると、快斗は体から力を抜いて水底まで落ちてゆく。
(苦しいな。)
黒い水は普通の水よりも窒息するのが早く感じた。快斗の肺の空気はどんどん無くなり、体が欲する量の空気はなくなりつつあった。
(苦しむのは、俺だけでいい………これ、誰のセリフだっけな。)
暗くなる視界の脳内の中で、そんなことを考え、快斗は見事に窒息した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
遠くで強大な者がぶつかり合っている気配がヒリヒリと肌で感じられる。
出来るだけ人目につかない道を通りながら、ヒバリは夜のエレストを静かに歩んでいた。
手にはリンゴが握られている。閉店間際の出店が、痩せたヒバリを見て無言でリンゴを投げつけてきた。
それを齧りながら、ヒバリはとある教会をめざしていた。
何故か綺麗なその教会は、入口に小さな机が置いてあった。首を傾げたヒバリはそれをそそくさと退かして中に入る。
そこら中に青い花びらが落ちていて、中は汚かった。
そんな協会のど真ん中に、大きな棺があった。
覗き込むと、見慣れた顔が目を閉じたまま動かずにそこにいた。
「お前は、もう起きないのだろうか。」
未だ動かない天野快斗の白い肌を撫でて、ヒバリはそう呟いた。
手をどかし、胸をのぞきこんでみると、ヒバリがつけたであろう大傷の傷跡が残っていた。
血の噴水の源。その原因は自分だということをしっかりと心に刻み込む。
もう同じ過ちはしないと、快斗の前で誓う。
「もし、天野、お前が起きたら謝らせてくれないか。恩も、きちんと返す。お前が望むことでな。もう私は間違えない。だから、見ていてくれ。私は……今からゼロに戻る。」
そう言ってヒバリは快斗の頬に口ずけをした。
それから短く息を吸って歩き出す。表情は前の気高い『剣聖』へと見事に戻っていた。
戦う覚悟を決めた決意に満ちた瞳。風龍剣を腰の鞘にしまい、ヒバリは教会から出た後に城に向かった。
門番にいたのは1人の魔術師だった。眠たいのか、やる気のない顔で欠伸をする少女魔術師は、訪れたヒバリを見ると「あ」と声を上げた。
「『剣聖』さん?」
「あ、あぁ。そうだ。ベリランダという魔術師を探しているんだが。」
「ベリランダ様ですかぁ?少々お待ちをぉ。」
ダルげに返事をして、その魔術師は『念話』を始めた。
それから1分ほどごにょごにょと喋り、終わった時には魔術師は眠りについていた。
「あ、あの結果は?」
「はぁ………しょうがない子ね。」
「っ。ベリランダ。」
返事もせずに寝てしまった魔術師に確認を取ろうとしたヒバリの背後から、ベリランダの声が聞こえた。
「『転移』で飛んできたのよ。」
「そ、そうか。」
ベリランダは寝てしまった魔術師を叩いて起こすと、重力魔術で体を軽くしてやり家に帰した。
「また明日ね、ナナミ。」
「はぁい。ベリランダ様も、死なないよぅにぃー。」
「生意気ね。」
ふらふらと歩いて帰っていくナナミを見送ったあと、ベリランダは振り返って笑った。
「戦う気になったの?」
「………あぁ。決心は着いた。」
「そ。私に用があるってことは、太陽神と戦うってことね。」
「そうだ。」
「分かったわ。貴方をあの場所に飛ばす。」
「準備は整っている。」
「了解。」
最低限の会話で、もうヒバリの足元には『転移』の魔法陣が描かれていた。
「ベリランダ。」
「なによ?」
「ありがとう。」
「っ………早く行きなさい!!」
微笑んだヒバリからの感謝の言葉に、ベリランダは驚いてヒバリを強引に太陽神の元へ飛ばした。
「今までもそんな言葉、言ったことないくせに。」
ヒバリにそう悪態を着きながら、ベリランダは城に戻っていく。
彼女は静かに、ヒバリの再起を喜んでいたのだった。