行く先
遠くの方から足音が近づいてくる。暗い牢屋の中で蹲るヒバリは、それが誰かを確認するほどの余裕が無い。
コツコツと靴と地面がぶつかる軽い音。その音は目の前にまで来ると止まり、牢屋の鉄格子に誰かが触れた。
「姉さん………」
「……ライト……」
やせ細ってみすぼらしくなった姉を見て、弟のライトはとても悲しそうな表情をした。鉄格子を握る腕に力を込めて、牢屋を無理矢理破壊する。
「姉さん。出るよ。」
「………私はここにいなければならない。」
「罪はあるけど………今はそれどころじゃないんだ、姉さん。」
「しかし、私は………」
ライトはヒバリの目の前に座り、優しい眼差しでヒバリを見つめた。ヒバリはその視線が痛くてしょうがなかった。自分にそれが向けられる資格がないと思って自分を責め続けているから。
「一人で悩んじゃダメだよ、姉さん。」
「これは………悩みではなく罪の意識だ……。私には謝っても許されない罪が………」
「分かってる。だから、謝る以外のことで謝ろうよ。」
「?」
首を傾げたヒバリの手を握り、ライトは笑いかける。
「快斗さんが言ってたよ。『論より証拠』ってね。言うよりも行動で示して見せようよ。」
「そんな機会、私には……」
「あるよ。今がその時なんだよ。」
ライトは真剣な面立ちになって、目の前の、みすぼらしい『剣聖』に願う。
「姉さん。今、聖神によって与えられた試練が行われているんだ。」
「聖神……試練……?」
「そう。今みんなで全力で対処しているけれど、間に合っていないんだ。…………姉さん。あなたの力が必要です。」
「…………。」
本気で願うライトを見て、ヒバリは何故こんな姿の自分に助けを求めるのか意味がわからなかった。後々考えればそれほど余裕が無い状況だったと分かったが、それでもヒバリはライトの手をとるか否か迷ってしまった。
「それは、戦い、なのか?」
「うん。そうだよ。」
「………皆も、戦って、いるのか?」
「みんな全力で戦ってる。」
「…………私は、皆と同じ場所に立って戦う資格があるのか?」
「あるともないとも言えるよ。それは人それぞれだけどね。少なくとも僕はあると思うし、それを証明できるのは今だけだよ。大丈夫。みんな姉さんが思うほど姉さんのことを迫害したりなんかしないよ。」
「…………。」
ヒバリはライトが握っている左手を握りしめる。もう以前のような力で握ることも出来ない腕を、ライトの手を振り払うことに使い、ヒバリは俯いて答える。
「………すまない。私には………戦えるほどの力が、ない……。」
「っ、姉さん………。」
「私のことは………気にするな。お前達でも十分強い。私など必要ないはずだ。」
「そんなこと………!!」
「さぁ、行け。ライト。私いつでも、お前を、応援しているからな。」
「…………。」
なけなしの力でライトを押し返し、この場から立ち退かせようとするヒバリ。その弱々しい力でどれだけヒバリが衰弱しているかがひしひしとライトに伝わっていた。
ライトは残念そうに振り返ると、ヒバリの頬を撫でて歯を食いしばった。
「そんな、悲しそうな顔で言わないでよ………姉さん。」
「………は。」
ライトに頬を撫でられて初めて気がついた。ヒバリは涙を流していた。
「は、はは。」
情けなくて嘲笑が零れた。まだ自分は、戦えないことに悲しみを覚えて泣いている。罪があっても向き合わずに、逃げようとしているなんて、烏滸がましい。
膝をつき、ヒバリはその場から動かない。もう何をしても変わらないと感じたライトは、名残惜しそうにヒバリを抱き締めて牢屋を出る。
最後に振り返って、ライトはまた微笑んでヒバリに言う。
「気が変わったら、来てね。姉さん。」
そう言い残して、ライトは完全にヒバリの視界からいなくなった。あぁ、また1つの機会を無下にしてしまった。そうやって自分を責めることでしか、今のヒバリは自分を自分でいさせることが出来なくなっていた。
そして、それももう限界で。だから、ライトが来てくれた時は、これ以上なく、嬉しかったはずなのに。
「なんて………愚かな………」
壁によりかかり、力なく呟いて、ヒバリは目を閉じた。まぶたの裏に広がる闇に呑まれそうな感覚を味わいながら、また1人で罪と向き合おうとするのだった。
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「やはり駄目でしたか………。」
「はい。………断られました。すいません。」
「ライト様のせいではございません。ヒバリ様が……いえ、これは誰も悪くないのです。悪いのは、こんな残酷なことを始めた神様です。」
失敗に嘆くライトに優しくそう声をかけて、ルーネスは目の前の課題に目を向ける。
そこには大きな2つの課題があった。
1つは、『南に出現した天使の殲滅』
もう1つは、『鬼人の国からの救援要請』だ。
2つ目に関しては、既にヴィオラが向かってくれている。珍しく自らそこに向かうと志願し、単独でそこに向かった。なんでも、彼女以外にこれに対処できるほどの実力者が、この世界には存在していないらしいのだ。世界最強がいうのだから、間違いないのだろう。
「偵察に行ったヒナさん達は?」
「未だ異常はないようですが………いずれ起きるでしょう。こうも戦い続きだと、皆さんくたびれてしまいますね。はぁ………」
ルーネスが頬に手を置いて深いため息をつく。ライトも同じようにしたいが、今はそんなこと言っている場合ではない。他人より力があるからこそ、振るうべき時はきちんと見定めている。それが今なのだ。
「僕はどちらに行けば……」
「消去法で、南の天使ですかね。出来ればここに何かが攻めてきて時の戦力も欲しいところですが………」
「それは………姉さんを信じます。」
「えぇ。私も同意見です。」
ライトの答えに賛同して、ルーネスは書類をまとめて机の端に並べる。
「行ってくださいまし。高谷様も、今はあまり体調が優れないようですので。」
「はい。失礼します。」
王の間から出たライトは真っ先に南へと駆け出す。原野が死んでから何も言葉を発しなくなった高谷が心配で心配でしょうがなかったからだ。
明るいヒナが着いているが、ヒナは原野の死体を見て1番大泣きしていた人物だ。励ましは期待できない。なので、必然的にサリエルに期待する形となっているのだ。
しかし2人を支えきるなんてサリエルでも難しいはず。なのでライトも早く合流したいのだ。時刻は夜の10時。今から行けば朝までには着く。
そう考えて、ライトは地面を蹴って走り出した。
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「今日も特に異常はありませんでしたね。」
遠くから南に突然出現した天使を見てそう呟くヒナ。近くに作られた小さな基地で、高谷、ヒナ、サリエル、その他の兵士達が休憩していた。まもなく就寝の時刻になる。
天使は石像のように立ったまま動かず、その周りは真っ赤に燃える業火に包まれていた。熱すぎて簡単に鎧が溶けてしまうため、近づけたのは高谷だけだったのだが、近づいても天使が起きないことをが分かり、基地の雰囲気はピリついていると言うよりかは和やかだった。
確かにいつ起きるか分からないと警戒する人も多々いるが、それでもすぐに戦いになるよりマシだと体力を温存している。
「……………。」
そんな基地を笑って見回した高谷は、自分のテントの中に入り、終身の準備をしようとした。
入口の布を退けて、中を見ると、そこには何故かサリエルが座っていた。
「………おかえり、高谷君。」
「……………。」
「少し、話をしようよ。」
サリエルはそう誘ってきた。高谷は一切言葉を発することなく、その隣に座った。そんな高谷を見てサリエルはふっと微笑むと、少し楽しそうに口を開いた。
まるで、こうなることを前々から望んでいたかのように。
「これから話すことは、」
「……………。」
「とある少女の、大切な人へのメッセージ、だよ。」