ヒナの奮起
「私って馬鹿なのでしょうか。サリエルさんに1人で挑むなんて無理じゃないですかぁ!?えぇ!?どうなんですかヒナ!!私私!!」
鼻血を流したヒナが自身の頭をポカスカ殴って泣きじゃくる。どこまでも情けない彼女だが、今はかなりまずい状況にある。
とある湖の近く、沢山の魔道兵の死骸が転がっている場所に隠れているのだが、すぐ後ろにはサリエルが座って休んでいるのだ。依然、操られたまま。この隙をつく手もあるのだが、『長耳族化』を酷使して今やっとこの場所に来れたところだ。
頭痛が痛い、なんてほざいてしまうほどに追い詰められているのだ。
「ま、まぁ、何とか勝てそうな環境ではありますけどね。」
ヒナは恐ろしさをかみ締めつつ、死なない程度に死に急ぐことを決意する。残っている弓矢は6本。弓矢に爆弾を巻き付け、準備は整った。
「恐ろヒナ。集中集中。」
恐怖を忘れるより受けいれる方が賢いと馬鹿なヒナは考える。弓を握りしめ、小さな体はもの陰に隠れて動きだした。
サリエルはピクリと体を震わし、ヒナが駆けて行った方向へ視線を向ける。
その瞬間、サリエルの首の後ろから弓矢が飛んできた。察知したサリエルは鎖で弓矢を弾き返した。
サリエルが振り返ると、弓を抱えて走っていくヒナの姿があった。その後をゆっくりと追っていく。
瓦礫の山をいくつか超え、振りかざされる鎖を何とか避けながらヒナは走り続け、そして急に瓦礫の山の隙間に潜り込んでいった。
視界から急に消え去ったヒナを見失わないようにサリエルは速度を上げ、瓦礫の山の隙間へ入り込みしばらく進む。
が、山に囲まれた広い空間に出た時、そこにはヒナの姿は無かった。その時のサリエルの視界の中には。
「せぇぇい!!」
「…………。」
サリエルの真上、そこには大きなハンマーを振り上げて回転しながら落ちてくるヒナがいる。
鎖で受け止め、しかし即興で作り出した鎖の壁は脆く、サリエルは体勢を崩して地面に倒れ込む。瞬間、地面にぶつかることによる衝撃が体に響くかと思われたがそんなことはなく、グシャッと音を立てて地面が崩壊。サリエルは思いハンマーと共に崩壊した地面の底に落ちてゆく。
「即興で作った落とし穴です!!派手ですよ!!」
ヒナは手に巻きつけてあったワイヤーによって落ちることは無かった。ぐっとワイヤーを引き寄せ、壁に突き刺さっている弓矢の位置まで飛んだ。
サリエルはすぐさま立て直し、翼を広げて飛び立とうとした。瞬間、上部からなにかが振りかける感覚を味わった。
見上げると、穴の縁からチョロチョロと水が吹き出している。
その縁に弓矢が突き刺さった。羽の部分に爆弾のついた弓が。
「爆破ーー!!そして私は移動!!」
小規模の爆破が起き、壁が崩壊。大量の水がサリエルを押しつぶすように降り注ぐ。
「湖が近いので!!そこに穴を掘りました!!」
『長耳族化』は周りの地形などを察知することが出来る。湖の近くにほぐれた土の場所があり、サリエルが休んでいる間に集中しながらその場所の次元をねじ曲げて穴を掘っていた。鼻血を流していたのは集中しすぎていたせいだ。
濁った水で満たされた穴の中、サリエルは水面に顔を出す。
「ごめんなさい!!」
休憩する間もなく、ヒナは全体重を乗せて瓦礫を押し出し、水面に落とした。サリエルは全てを鎖で両断し、自身に当たるのを防いだ。
だがヒナの狙いはサリエルを瓦礫を潰すことでは無い。
バラバラにされた瓦礫は水の中に沈み、油が水の中にしみ出した。そして、水よりも密度が低い油は水面に浮かび上がる。
「爆撃!!」
三本の爆弾を付与された弓矢が水面に落ち、衝撃に反応した爆弾が爆発。油に引火し、水面だけが火の海となった。サリエルはすぐさま飛び上がろうとしたが、翼が炎に触れてしまい、上手く飛び上がれない。
「えぇい!!」
それからヒナは瓦礫の中に手を突っ込んだ。何をしているのか分からないサリエルは水の中から鎖を突き飛ばした。だがそれはヒナでも予想できる。
「く……ふうぅぅっ!!」
ヒナは口に矢の羽を咥えて弓を引き、限られた視界の中でしっかりと狙いを定め、会心の一撃を放つ。
「『会心の矢』!!」
真っ直ぐな弓矢の軌道は鎖と正面衝突し、勢いを消し去ることはなくとも、起動をそらすことに成功した。そしてもう一度矢を咥えて引き、爆弾が付与された弓矢を放つ。
「『分身の矢』!!」
放たれた矢と同じ矢が10本出現。それぞれの軌道は真っ直ぐだが、その先は広がってしまいサリエルには当たらない。それを防ぐことが出来るのが、ヒナの固有能力だ。
だが、最初の1本以外は全て狙いが違うため、さすがに一挙に軌道修正するのはヒナには難しい。だからこの能力を習得しておいたのだ。
「『超集中』!!」
高谷の『強制走馬灯』の劣化版ではあるが、時間の動きが遅くなり、そのおかげでしっかりと弓矢の行き先の次元をねじ曲げ、全てがサリエルに向かった。
サリエルは水面の炎のせいでその弓矢をしっかりと見ることが出来ず、当てずっぽうで鎖で薙ぎ払った。粉塵が撒き散らされ、火によって消えてゆく。そしてそろそろサリエルも息が続かなくなってきたため、一瞬だけ水面から顔を出した。
それを狙っていた。
「どりゃあ!!」
ヒナが瓦礫に突っ込んだ手を引き抜いた。その手に握られているのはハンドガン。『長耳族化』によってそこにハンドガンがあるのが分かっていたために手を突っ込んでいた。
『超集中』に『長耳族化』により、ヒナの小さな頭脳は最早限界だ。鼻血の量もえげつない。だから今ここで勝負をつける。
拘束までしてここまで限界に近づいた。ヒナが出来るのは、卑怯な攻撃しかできない。
「だから卑怯に行きますよぉ!!」
最後の1本。爆弾のついた弓矢を口で引き、瓦礫の壁に打ち込んで爆破させ、崩れた瓦礫と粉塵でヒナを隠す。サリエルも攻め時はここと考えたらしく、炎を無視して鎖を振るう。
集中。時が遅く感じられ、煙の、空気の動きを敏感に感じる。
粉塵の中に蠢いた気配。小さな体が、腕と思われる部位を突き出した動作を感じた。
「ッ!!」
そこへ鎖を打ち込んだ。手応えあり。だがそれは煙が晴れた時にダミーだと分かった。サリエルの鎖は人の形によく似た、パイプを貫いていた。
「本物はこっちですよ!!」
そのダミーの裏からヒナが飛び出し、ハンドガンを構えた。そして最後の魔力と気力を込めて叫んだ。
「『超集中』!!」
全ての魔力を眼球に集め、時が遅くなった世界で、精密にサリエルのつけているバンダナを狙う。
正面に打ち込んではサリエルが死んでしまう。だからバンダナが破れる程度に掠らせなければならない。
0.1mmの誤差も許されない精密射撃。しかもいるのは地面ではなく空中。安定しない場所からの銃撃。しかしヒナなら当てられる。そう彼女は信じている。
「当たれぇぇええ!!!!」
人生で最高に辛い戦いをハッピーエンドで終わらせるため、ヒナは決意を固めて引き金を引こうとした。だが、そこで留まってしまった。
「あ、れぇ?」
腕の感覚が無くなっていた。見ると手首から先が血を吹き出して消滅し、視界の上の方には血の着いた鎖が振りかざされていた。
(なん、で……サリエルさんが使う鎖は2本じゃ……)
ダミーに2本の鎖が突き刺さった時点で鎖を封じ込められたと考えてしまったヒナの負けだった。
確かにサリエルは普段ほとんどは2本の鎖で戦い、今戦もそうだったが、実際サリエルの扱う鎖の数は無限。何本でも使えるのだ。
今のは3本目。3本目の鎖が超高速で振り上げられ、引き金を引く前にヒナの両手首を両断した。
「負け………ですかぁ………?ここまで、本気にやって……!!」
悔しさが大きすぎて痛みが襲ってこない。その現実が逆に不安を突きつける。
サリエルは自身の顔についたヒナの血を無造作に拭い、4本目の鎖をヒナの心臓に突き刺した。
「あぶっ……」
疲れた勢いでおかしな声が出てしまった。ヒナの目から光が消え、完全に体の自由を失って、燃える水面に落ちてゆく。
完全に負けが確定してしまった。それどころか、ヒナには死という副産物まで送られてしまった。
そう、負けに見えた。サリエルにだけは。
「………?」
サリエルが首を傾げた。ヒナを突いた時の感触が、思っていたものと違ったからだ。ヒナの死体は瓦礫にまみれ、よく見えなくなった。鎖は突き刺さったままだ。
サリエルは水中に沈んでいくヒナの体を鎖で辿り、水面まで引き寄せた。そして驚愕する。
サリエルが貫いたのは、魔道兵の屍だった。
「チェックメイト。」
短く響いた少女の声の後に、サリエルの視界が急に光に包まれた。それは、目を覆っていた忌々しいバンダナが、その結び目を失って落ち、水面の炎に焼かれて消えたからだ。
そして視界が開けたサリエルは静かに息をすると、ゆっくりと振り返って笑った。
「お疲れ様。ヒナ。」
その言葉が終わった途端、水が絶え間なく流れて来ていた穴の縁から、何かがドボンと水面に落ちた。炎は消え、ゆっくりと沈んでいく何かをサリエルが鎖で優しく捕まえ、引き上げた。
長いツインテールに露出の激しい服。クリっとした目をもつ童顔に、小さな体。
サリエルはその矮躯を抱きしめて涙を流した。
「ありがとう。ヒナ。」
「…………ミッションコンプリート。」
子供のように得意げに笑って、ヒナは意識を無くした。