『大好き』
『竜の都』はここ1週間、敵からの攻撃は一切受けていない。
「不自然だな……」
初め、受けた攻撃や急襲の合間を縫って築いた城壁。と言うよりも剣の壁の傍で外を眺めていた。服装は軽装だが、腰には新しい剣が拵えられている。
今は何人かが国の周りを定期的に見回りをしている。今は夜明け。高谷が担当の時間だ。ヴィオラ等の実力者はぐっすりとまだ寝ている。
他の人間よりも実力があるとはいえ、流石に上位層に含まれないのかと落胆している自分に、高谷は少しイラついていた。
「攻めてこないね……」
「うん……」
その隣で髪をかきあげる原野。気絶から目が覚めた彼女は高谷と同じポジション、見回り役だ。
ただ、彼女は今、高谷から離れることを許されていない。
気絶する瞬間、頭を蹴られた衝撃で脊髄に損傷を受けてしまった。今、彼女は右手が動かない。そもそも接近戦はあまりしないタイプの原野だが、やはり片腕、それも利き腕が使えないのはかなり不便だ。
それと、最も重要なことがある。
原野は恐怖や痛みなどの凄まじいストレスによって感情にヒビが入ってしまい、性格が少し変わってしまった。根は変わっていないのだろうが、前のような明るい性格から一転、今は落ち着いてあまり前に出ない性格になってしまった。
それで何が悪いかといえば悪くは無いのだが、高谷にとってその性格の原野は原野と言っていいのか微妙なところなのだ。
「まだ寝てていいよ原野。」
「高谷君にばっかり無理させたくないの。」
「……無理していいんだよ。俺は。」
「駄目。疲れちゃったらそれこそ、誰かが攻めてきたら太刀打ちできないよ……。」
「そもそも死なないんだし、大丈夫だよ。」
「でも痛みは感じるし、ヴィクティムが来ちゃったら……」
「だから、どうにかなるって……」
「そう?……ううん。やっぱり駄目。高谷君、危ない目してる。」
「大丈夫だって……」
「でも、」
「大丈夫だって………言ってんだろォが。」
「ッ……。」
剣に寄りかかった高谷が低い声で原野を睨みつけた。鋭い眼光に貫かれ、原野は手を引いて怯えた表情になった。それを見て我に返った高谷は頭を振っていつもの笑顔を見せた。
「ご、ごめん。」
「ううん。大丈夫……だよ。」
頑張って笑顔を作った原野。それを起こしてしまった高谷は自信を責めたてた。元々不安定な状態の原野を支えるために付き添いに選ばれたのだが、リンを奪われた悔しさと怒りで、高谷の心まで安定していなかったらしい。
「ふぅ………」
深く息を吐いて、高谷はある夜のことを思い出す。いきなり現れた謎の女に思い出させられた『ディストピア』の存在。思えばあの日から、高谷が落ち着いて寝れた日はない。
強いていえば、ヴィオラに抱かれて寝ていた時が1番安心できていただろうか。
「情けないな……」
明るくなり始めた空を見上げて、高谷はそんなことを呟いた。と、高谷の背中が優しく叩かれる。
「そんなことないよ。」
「?」
「私を起こすために、いっぱい血をくれたんでしょ?それに、リンちゃんだって助けようとしてたの、私知ってるの。全然情けなくなんかないよ。」
「それは………原野から見てって話だろう?俺から見れば、本当に俺はクズさ。」
自嘲気味に笑った高谷。その顔を覗き込んで、原野はふと思った言葉を口にする。
「何があなたに、そう思わせているの?」
「?」
「どうしてそんなに、自分を責めようとするの?」
「………。」
「私ね。高谷君がそうしようとする理由、分かんない。ううん、本当は少し分かってる。………強くなるためだよね。」
「………そう、だね。」
拳をにぎりしめる。高谷の考えは、原野の『絶対未来視』によってバレている。バレた所で非難でもなんでも受け入れようと高谷は思っていたが、原野はそうはしてくれなかった。
マズいと思った。優しい笑みを浮かべている原野を見て心からそう思った。一種の恐怖だったのかもしれない。
今すぐここから離れたいと願って、でも何故か足が動かない。
「逃げないで。」
「ッ……。」
「ちゃんと聞いて。」
真剣な表情で高谷の片頬を左手で優しく包む原野。逃げようとしていることまでバレたようだ。
「………君はどこまで、俺を知っている?」
「………終わりまでは、知っている、かな。」
「そう、か……。」
『終わり』というのが、高谷には何を表しているのか何となく分かった。
「でもね高谷君。」
「ん?」
「私ね………高谷君の過去は、全然知らないの。」
「ッ………。」
優しい声音。暖かい左手。撫でるような吐息。目の前の優しい原野に心奪われ、そして恐怖する。自分を見失いそうになるから。どんな事があっても、突き進む道はとっくにあるのに、それを邪魔してくる大きな優しさ。高谷を原野の左手を片頬から外して目をそらす。
「お願い。話してくれないかな。高谷君の、過去のこと。」
「………。」
「私に話したって、誰にもバラさないよ?」
「バラすバラさないの話じゃねぇんだよ。これは。」
原野の手を投げるように離し、高谷は抑えきれなくなった感情を小さく吐き出した。
「関わってくんなよクソ野郎……。優しいのは、求めてないんだよ………。」
それを聞いた原野は一瞬泣きそうな顔になったが、直ぐに凛とした表情になった。
「嘘。高谷君は優しいの、好きでしょ?」
「嫌いだよ。自分を見失いそうになる。」
「昔、誰かに優しくされたのがすごく嬉しかった事があるでしょ?」
「ないよ……そんなの……。」
「目、泳いでるよ。」
嘘をついていることを指摘され、高谷は少し後ろに退いた。同時に思った。攻撃を受ける前よりも、随分強くなっている、と。
「なんか、凄いね今日は。どうしたの?」
「今日は、調子がいいんだよ。そうやって話しそらさないで。」
「そんなことしてなんか……」
原野がズイと顔を近づけた。
「私はね、高谷君。」
「………。」
「あなたを、止めようとは思っていないの。」
「………あ?」
「てっきり引き止められると思ったの?そんなことしないよ。私は。」
「は?でも、俺がしようとしていることは………お前も怒って、当然で……」
「怒らないよ。高谷君が決めた道だもん。邪魔、しないよ。知ってて誰にも言ってない私も、共犯者だからね。」
原野は笑顔で言い切った。そんな彼女に驚いて何も言えなかった高谷だったが、だんだんと心の奥底から湧き上がってくる感情があった。
「………ふざけるなよ!!お前は俺と同じ道を通ろうってのか!!」
「ッ!!」
急な反応に、原野は怯んだ。だが、直ぐにそんな感情は消えた。代わりに現れたのは優しさ。高谷の言葉全てを受け入れる優しさだ。
「俺の道が、どれほど罪深いか!!お前分かってんだろ!!」
「うん。分かってる。」
「じゃあなんで!!共犯者だなんていうんだよ!!俺はお前を呼んじゃいない!!勝手に入ってくんな!!」
「私は………」
「嘲笑いたいのか!?それとも傷でも受けたいのか!!本物を知らない癖にしゃしゃるな原野!!」
「高谷君がしようとしているのは悪いことじゃ……」
「悪いことさ!!悪いことだとも!!だから来るんじゃない!!俺に近づくなよ!!俺の本性を知ってて!!それでも優しく近づくなんて!!」
「………高谷君?」
地面を踏み鳴らし、怒りに滾る高谷を見て、原野は一言を発する。
「優しい、んだね。」
「………は?」
「自分で言ってて可笑しくないの?今高谷君、すごく変なこと言ってるよ?」
原野が笑顔を見せた。高谷は頭を抑えて混乱している。
「ねぇ、高谷君。」
「?」
「悪いって、思ってるのは………あなたと私以外の人間だけだよ。」
「ッ!?」
「私は肯定する。凄いねって褒めるし、成功したら一緒に喜んであげる。共犯者だから。」
高谷が更に困惑した様子で原野を見つめる。
「その時にはもう、お前は……」
「うん。分かってるよ。でも高谷君は優しいからきっと、全てが終わったら、今度は自分を終わらせてくれるんでしょ?」
「ッ………!!」
「何でも、って訳じゃないけど。それなりに知ってるんだよ。高谷君のこと。」
誇らしげに語る原野。高谷はやはり理解できない様子だ。
「高谷君最近、夜の騒いだことあったよね?」
「あ、うん………」
「私少し見えたんだ。高谷君に纏わりついた黒い影。」
「ッ!!」
「私怖くて、誰か呼んでくるって嘘ついて、逃げちゃったんだ。……あれがなにか言ってたんでしょ?それでヴィオラさんと寝てたんでしょ?」
「うん……あ、え?」
言ってる原野の顔が怒っていることに気がついた高谷が首を傾げた。原野はため息をついて、
「辛いの、隠してるんでしょ。」
「隠してる。でもそうしたら俺は強く……」
「強さよりも、高谷君の精神を大事にしないと……」
「強くなれば精神だって強くなる!!」
「ならないよ。弱い心を強い力で覆い隠してるんでしょ。」
「ッ!!弱いお前に……何が……これほど心が痛くなる生き方だってした事ないくせに!!」
「ないけど、心が痛いのは駄目だよ……」
「だからそれで俺は強くなって……」
「代償がある強さなんて強さじゃない!!」
「く……!?」
大きな原野の声に乗じて、高谷の頬に強い衝撃が走った。見ると原野が手を振り抜いた状態で立っている。つまり高谷の頬をひっぱたいたのだ。
頬を抑えた高谷。すると膝が強制的に押し曲げられ、高谷は地面に膝を着いて腰を落としてしまった。と、目の前が真っ暗になり、全身が暖かいものに包まれた。
「え………。」
前を見ると視界の左半分に肌色が広がっている。一定の鼓動を刻む肌色のそれが原野自身だと理解するには、原野が話し始めるまで分からなかった。
「泣きたいんでしょ?負けてるんでしょ?へこたれてるんでしょ?傷ついてるんでしょ?………痛いのは、もう嫌なんでしょ?」
「それ、は………」
「高谷君。」
抱きしめたまま、原野はそっと囁くように話し続ける。名前を呼ばれた高谷は息を呑み、言葉を詰める。
「泣いて、いいよ。」
「あ………?」
「誰も見てないもの。」
「でも、俺が泣いたら……」
「いいよ。私が許してあげる。」
「だって俺は泣いちゃ、いけない……」
「どうして?」
「笑ってないと………姉さんが………」
「お姉さんが許さなくても、私が許してあげる。」
「違うんだ……ただ、俺は………」
高谷は原野の体を強く手で包んで寄せて、
「姉さんに、笑って欲しかったんだ………」
高谷自身は泣いて無いと思っているのかもしれないが、原野から見ると、高谷の目からは確かに水滴が流れ始めていた。抑えきれない感情が溢れ始めた証拠。原野は高谷の背中を摩って、最後のひと押しをする。
「笑って欲しかったの?」
「姉さんの笑顔を見た時、嬉しかった……。」
「どうして?」
「俺なんかよりずっと……綺麗だったから………。」
「それだけ?」
「それと……大好きだったから……皆に好かれていたから……幸せになる権利が確かにあったから………俺には、ない……!!」
「それは高谷君にもあるよ。」
「嘘、だ。俺は好かれちゃいない!!幸せになる権利なんてありゃしない!!」
「その権利は、ちゃんとあるよ。誰にだってあるの。それにね……」
一瞬体を離す。高谷の涙はもう顎まで滴っている。原野はそんな高谷の涙を指で拭うと、満面の笑みを浮かべて、
「私、高谷君のこと、大好きだよ。」
「………え。」
直ぐにまた原野が高谷に抱きついた。赤くなった頬を見られたくなかった。照れ隠し。幼い原野はそう思った。だが、ここまで来たら開き直るしかない。
「好きって……お前……」
「うん。大好きだよ。」
「そんな感情……」
「大好きだよ。」
「俺じゃなくて……」
「大好きだよ。」
「そんなの、有り得ないよ………」
「大好きだよ。」
「あ………」
「大好き。」
遂に出る言葉を失った高谷は動きを止めて、そして最後に強く抱き締め返した。原野は優しく朗らかな笑顔をしながら、
「愛してる。」
「ぐ………ぁ、うぇ、あ………は、はぁ………」
堰を切ったように溢れ出した涙。拭うことも忘れて、ただただ高谷は咽び泣き続ける。笑いも怒りも悲しみも全部籠った濃い涙。それを優しく、原野が受け止めた。
「うぅ……ああぁぁああぁああ!!!!」
「辛かったね。よく、頑張ったね。」
最後に上げた、産声に近い大声は、今まで高谷が攻撃を受けた時に上げたどの悲鳴よりも悲しく、大きな声だった。