兆し
外では凄まじいことが起きてしまっていることを知った2人、快斗とヒバリは茨の迷宮から抜け出すべく、地道ながら体を鍛えていた。
主に筋トレと模擬戦だ。
午前中はひたすら個人での鍛錬。午後はまず体術での模擬戦。第2に剣を使っての模擬戦をする。
ご丁寧なことにこの空間は人が何日も生活することを想定して作られているようで、快斗が地下から抜け出した際にできた穴の先には小さな滝があった。
それは清流のようで、飲むことも体を洗うことも可能。さらにはその傍に大量の果物と鶏が生息していた。
低く考えても、人1人が3ヶ月は生きていられるほどの食料の量だった。ただ不自然なのは、果物はきちんと1箇所に纏まっているというのに、鶏だけはそこらじゅうを歩き回って2人の邪魔をしようとしてくる事だ。
邪魔と言っても、生物的に興味があると言うだけで、彼らは故意的に邪魔をしようとはしていないが、それでも快斗は容赦なく彼らを焼いて食べる。
この鶏達については、2人の間で様々な仮説が生まれたが、あまりに不自然な表れ方と、9月だということが相まって、最も有力な説は、
「『十二支幻獣』の対となる魔獣達か。」
「名前は『支配者』の馬鹿野郎が忘れたから無かったことにするぜ。つか、そもそもつけたのかどうかも微妙だし、記憶だとリンが言ってたとか何とか……」
「?何を……」
「いや、なんでもない。」
疑問を口にするヒバリにそう答えて、快斗は仰向けから一気に立ち上がる。
「さて、もうかれこれ1週間も経つところだが………」
「あぁ。未だ壁を破ることg……」
「未だヒバリとのイチャイチャシチュエーションになって居ないのが不服だぜ。」
「ふん。」
「ぐっはぁ!?」
ふざける快斗にヒバリが力強く蹴りを入れた。完全に油断していた快斗は顎を蹴られたことによって下顎と上顎が強制的にくっつけさせられ、巻き込まれた舌が噛み切れしまった。
結局はこの空間の再生力で再生するのだが、舌が噛み切れる痛みというのは、口内炎よりも何倍も痛いもので、快斗は口を抑えて転がり回る。
「いっひゃ!!そんなにおこう!?」
「お前はまるで私の父だな。男が私に求めるものは体だけなのか。主に胸を……。」
「父だけに乳を求めるってか?」
「…………。」
「ごめんごめんってそんなに引かないで怒らないで!?もう100回ぐらい蹴っていいから許して!!」
世界中を極寒に陥れる程の寒さをもたらした快斗に、ヒバリは人生で1番鋭く暗い蔑んだ目を快斗に向けた。反射的に自身の豊満な胸を抱きしめてしまう。
そういう仕草が男を燃やしてしまうのだと言おうとした快斗だったが、火に油を注ぐようなものだと思い断念した。
ヒバリはふぅ、と溜息を着くと快斗にもう一度視線を向けて、
「とにかく、現状確認だ。」
「んあぁ。」
ヒバリの真剣な眼差しに快斗も真剣な表情でヒバリを見上げる。ヒバリは若干快斗の視線が胸に向かっているような気がするが、取り敢えず放っておくことにした。
「先ず、この鶏達は、外で誰かが倒した『酉』の対の魔獣だろう。」
「でも対の魔獣って、倒した人間の元に来るんじゃねぇのかよ?」
「そうなんだ。だからこそ不思議だ。私も今まで何度か『十二支幻獣』と戦ったことはあったが、大抵対の魔獣が現れる、もしくは恩恵を受けるのはトドメを指した人間だった。」
「だよな?じゃあなんで俺らのとこに来てんだ?」
「誰かが倒した『酉』の対の魔獣が、何らかの障害が生じて私らの所へ?そんなことが有り得るのか?」
「うーん……取り敢えず、この話は分からねぇから置いておこう。それよりも重要なのは、あの壁をどうするかって話だ。」
「そうだな。」
今のところ壁に穴をあけられる目処も、『真剣』を得られる気配もない。少なくとも、この場所からは抜け出さなければならない。
だが、魔力なしの2人が穴を開けるには、魔力以外の技の精度を高めるしかない。快斗は『魔技』を、ヒバリは斬撃を。
「そういやヒバリ、ボス蜘蛛を斬ったあの斬撃はどうやって出したんだよ?」
「?あれは天野のものでは無いのか?」
「前も言ったけど俺はあの時剣を振ってないぜ。てっきりヒバリが俺が見えないぐらい速く剣を振ったのかと思ってたんだが………違うのか?」
「………。まさか、」
ヒバリは顎に手を当てて思案する。表情は驚いているような訝しんでいるような、沢山の感情が混ざりあったものだった。
快斗はそんなヒバリの様子を見て、ヒバリが今考えていることに気がついた。
「あー……もしかしてお前さ。」
「あぁ。可能性は、ある。」
「今出来るか?」
「いや、今は出来ないが……何か条件があるのだろう。」
ヒバリはこれまでにないほど高揚とした雰囲気で拳を握りしめ、剣を引き抜いた。
「やるぞ天野。研究だ。私の、今世紀最大の大技を手に入れるために!!」
「それって俺いる?」
「必要だ。手伝ってくれ。未だ使い方が知れない剣なんだ。」
ヒバリは少し俯いた後、快斗に力強い視線を向けて言い放った。
「私は『真剣』を得て、壁に穴を開ける!!」
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「はぁ……はぁ……いやもう、マジ無理……。」
「きっつぃぃ………」
大木に寄りかかるカリムとイン。その近くではヒナとノヴァがストックの食料を調理している。トリックは木に登って見張り中だ。
「サリエルさん……」
かき混ぜる壁の中身を見つめながら、ヒナはサリエルを心配に思って涙目だ。今にでもひょっこり現れてくれればいいのだが、遥か遠くでは未だに爆発音が鳴り響いており、そんないい話が起こる気配もない。
「大丈夫だよ。サリエルさんは天使だし、絶対に負けてこない。だってあのサリエルさんなんだから。」
「うん……そうですよね……」
励ますノヴァの言葉に力なく応答するヒナ。その心中を、ノヴァは痛いほどに想像できた。
きっとヒナは、『自分にもっと力があれば』と考えているのだろう。
もっと判断力があれば、もっと能力が高ければ、サリエルを1人残して来ることもなかっただろうと、大きな罪悪感と後悔に駆られていることだろう。
カリム達もそれには気づいており、なんとかヒナを元気づけようといつものように馬鹿なことをするのだが、逆に楽観的すぎやしないかと引かれることを恐れてあまり大胆には馬鹿できない。
「とにかく、今どれだけ俺らが悩んでも意味が無いんだから、出来るだけ早く助けを呼んで、サリエルの所に戻らないと!!」
「そのためにはまず、ご飯をちゃんと食べて走れるようにしないといけないね!!」
「大丈夫ですよヒナさん。私達がいますんで。サリエルさんの元へ絶対に戻りましょう。」
「………はい!!」
ヒナは目尻に溜まった涙を拭って力強く応えた。その律儀な姿に全員が絶対に守ると決意を固め、出来上がった夕食を食べ始めた。
それから少し談笑をして、一行は木の根に隠れて野宿を始めた。以前までは夜襲ってくる魔物はサリエルが倒してくれていたが、今はそうはいかないため隠れながら生きるしかない。
「おやすみ~。」
「おやすみなさい。」
インとヒナの声を最後に明かりが消され、視界が完全に闇となった。
数分後には寝息が聞こえ始め、ヒナ以外の4人はもう寝てしまっているのがわかった。
ヒナは横に転がり、いつもならすぐそばにいるはずのサリエルを想ってなかなか眠りに付けない。
「今、どうしてますか?サリエルさん。」
誰もいないはずの虚空に、ヒナは1人語り掛ける。今までで1番大きな後悔を背に、ヒナは本人に会いたくて仕方がない。
「ッ……!?」
そんな時、ヒナは頭の上で何かが息をしているのが分かった。そっと目だけで上を見上げると、巨大な熊が涎を垂らして5人を見つめているのが見えた。
ヒナ以外の4人もその気配と殺気に目が覚めたようで、緊迫したように黙りきっている。
と、ヒナの頭の中に直接言葉が響いた。
『トリックさん。その傍の石をあの木に向かって投げてくれますか?あの魔獣は確か目が退化していて、行動する時は音に反応するみたいです。』
これはインが最近覚えた『念話』だ。教えたのはサリエル。戦闘時、又は音を出してはいけない時にこれはかなり便利になるとインに教えこんでいたのが項を制した。ちなみに、これはカリムも使うことが出来る。
『321で投げてくださいね。他のみんなも、熊が石の方を向いた瞬間に走ってね。』
『このまま音たてなきゃよくね?』
『いや、あの熊は僕達の存在を半分確信しているからこのまま居たら踏み潰されちゃう。だから気を逸らした瞬間に逃げるしかないんだよ。』
『おけまる水産。』
『何語それ。』
トリックが石を持って上に掲げるのが見える。ヒナはできるだけ音を立てないように体勢を変えて走り出せるように準備を済ませた。
『行きますよ。3、2、1……今!!』
トリックが石を力強く投げ、ヒナ達が隠れている気とは別の木に石がぶつかってコンと音がした。
熊がそちらに首を回す。その瞬間に5人は駆け出し、ノヴァが追加とばかりに炸裂弾をばらまいて音を撒いた。
「走れ走れ走れぇ!!」
「あれと戦っても死ぬだけだから!!みんな走ってぇ!!」
逃げ足の速いカリムとインが先頭を走り、その後をトリックとノヴァ、最後にヒナが追う。
普段陰に隠れて弓矢を打っているため、足の速さには自信が無いヒナ。その自己評価は正しく、ヒナはこの5人の中で最も足が遅く体力がない。
「ふぅ、えい!!」
だからそれをカバーするために、ヒナは自身の足裏の次元をねじまげ、戻ろうとする次元を踏み潰し、反動で勢いと速度を増す。
「はっはっはっはぁ!!」
「筋肉!!俺を担げ!!」
「おう!!分かったよ!!」
カリムがジャンプで跳び上がり、それをトリックが上手く担いで走り続ける。
「うわこわ!!こいつ目が4つあるんですけど!!」
「ええ!?」
「潰してやる!!マジできしょい!!このストーカー熊!!『土棘』!!」
カリムが地面から50センチほどの長さの棘を出現させる。目が退化した熊は自らその棘の山に足を踏み入れて足中が棘に貫かれた。
「ッッッーーー!!!!」
「おおーー!!いいねーー!!」
「ナイスーー!!」
声にならない悲鳴をあげ、熊はその場に倒れた。喜ぶカリムにトリックが褒め言葉を投げかけた。
だが、勢いが収まると思った熊は、逆に痛みによる怒りに駆られて更に勢いを増した。
「ちょ、なんで速くなんの!?」
「クソ!!マゾ熊だった!!攻撃は逆効果だったか………!!!!」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ!!」
勢いの増した熊の速度は先程の比ではなく、直ぐに距離が詰められた。
「やべぇぇええ!!!!」
「言わなくても分かってるからァ!!」
「ッッッーーー!!!!」
大きな叫び声を上げて、熊が腕を振り上げた。5人が今からどう頑張ったとしても、その腕を躱すことは出来ない。
「アアアァァァーー!!!!」
「いやうるせぇ!!」
カリムが悲鳴をあげて、インが頭をひっぱたいた。それを合図に、熊は一気に腕を振り落ろし、一行が同時に目を閉じたその時、
「全員、一斉射撃ーー!!!!」
「「「おおぉぉおおお!!!!」」」
男の声に続いて、何人もの人間の咆哮が轟き、熊の頭上から大量の魔術が放たれた。意識を完全に5人に向けていた熊はそれに気づくことが出来ず、直撃を食らう。
「刺し殺せーー!!!!」
再び声が轟いた。瞬間、何人かの人間が大木から飛び降りて、長い剣や槍を突き出した。その武器はあまり上物とは言えないものだと言うのに、不思議なことに分厚い熊の頭を貫いた。
「ッッーーー………」
脳を傷つけられた熊は喋ることを忘れ、動きを忘れ、やがて生きることを忘れて倒れ伏した。
「あぁあ~~、え?」
「なんか死んでるぅ~。」
よく分かっていない様子のノヴァが素っ頓狂な声を上げ、カリムが死んだ熊の瞼を持ち上げて呟いた。
「君達!!無事かい!?」
上空から何人かの男が降りてきた。格好からするに冒険者だとヒナは思った。
「いや、マジで危なかった。」
「ホントだよ~~!!助けるならもっと早くしてよ~~!!」
「いや~すまんね。リーヌ様が来るのに少し手間取ってしまってね。」
カリムとインにどつかれた冒険者は苦笑いをして頭をかいている。謝罪はしているが、カリムとインはなかなか許しはしないようだ。だがそれよりも重要なことが1つある。
それは、冒険者が発した、リーヌという名の人物だ。ヒナは驚きで目をこれ以上ないほどに見開いて問うた。
「リーヌって、あのリーヌですか!?」
「?えぇ、あのリーヌ様です。」
「あ?リーヌて誰?」
ヒナが冒険者の解答に興奮し、カリムが首を傾げたその時、
「リーヌ・レィドック。それは僕の事だよ。」
「リーヌ様。」
またもや上空から声が聞こえ、ヒナが上を見てみると、2人の冒険者に支えられた1人の青年がゆっくりと降り立った。
水色の髪に真っ白い肌。痩せ型の体型で声の調子も静かだ。いかにも病弱に見えるその人物は地面に降り立っても冒険者に寄りかかったままだ。
「やぁ。君達が無事で良かったよ。それとごめんね。囮みたいに使ってしまって。」
優しい声音に、カリムとインもいちいち突っかかることをしなかった。微笑む彼の表情があまりの弱々しかったからだ。
「えっと……あなたはどういった立場で?」
トリックがリーヌに尋ねる。リーヌはその言葉に少し驚いたような表情になったが、直ぐに笑って頬をかいた。
「あはは。まぁ、僕は結構マニアックな方だからね。」
「?」
「皆さん知らないんですか?」
首を傾げる4人に、ヒナが振り返って言う。4人は知らないと首を振ると、ヒナは溜息をついて言った。
「いいですか。この方はものすごく弱そうに見えますけど、一応、四大剣将なんですよ。」