嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い
『ディストピア』と言う言葉をご存知だろうか。
カコトピアや暗黒郷とも呼ばれるもので、希望がない世界と言われている。
彼は『日本』を、『地球』のネットワークをそう捉えた。
どうだろう。そう思うか。彼がそう思うならそうなのかもしれない。感受性豊かで、頭もそこそこいい彼の考えることは的中しやすい。
だが、そのせいで苦労することもあった。国語の小説問題では、主人公になりきるあまり問題文に書かれていないことまで深読みしてしまう。
捨てられた黒猫は拾い、カツアゲしている高校生を田んぼの中に突き落とした。金を要求されていた内気な女子と仲良くなり、精神病を患っていたその女子を慰めるため毎日電話した。
彼が拾った黒猫は、飼い手が見つかるまで彼の家で預かることになった。
優しい彼は黒猫を家に押し込めず、放し飼いにしてあった。野良猫だったその黒猫はすぐに逃げ出したが、夜8時になると必ず彼の家に赴いては飯を食らった。
常に共にいられる訳では無いが、彼としては美味しそうに飯を食らう黒猫を見ているだけで幸せだった。
だが、中学1年生だった彼は、まだまだ甘かった。未だ、世界の、人間の醜さを舐めていた。
ある日、いつものように飯を用意して、彼はテストの勉強をしていた。父がいない彼は、母が遅くまで仕事をしているため夜遅くでも1人だ。
ふと、毎日行っている、祖母の墓参りに言っていないことを思い出した。彼はすぐさま家を出て、いつもの道に向かおうとした。
すると、玄関を出た先で、皿の中の飯が減っていないことに気がついた。既に時刻は9時半。少しのズレはあったとしても、ここまでズレると少し心配になってしまう。
彼はとりあえずいつもの道を通って墓参りに向かっていった。冬の寒い夜だった。そして、彼は寒さの中、1人静かに絶望する。
いつも通る道は裏道で、その道はあまり治安がいいとは言えなかった。薄暗く、足元すらおぼつかない。
だが、彼の目にそれはハッキリと映った。前足を失い、代わりにそこから内臓が飛び出ていた黒猫を。
誰かが無理矢理黒猫の前足を引っこ抜き、内臓が繋がったまま出てきてしまったのだろう。既に黒猫は息をしていなかった。
深い絶望に駆られながらも、彼はその猫を抱き抱えて祖母の墓に向かった。大好きだった祖母の墓に。
墓場に着いた彼は、黒猫の遺体を落としてしまうほどに驚愕した。
祖母の墓が粉々に砕かれていたのだ。元々大層な墓石ではなかったが、それでも彼にとっては大切なものだったというのに。
近くには金槌が落ちていた。犯人はなんとなく予想出来た。
彼が突き落とした高校生らだろう。あの時確かに身元は特定されていた。問題ないだろうと放置していたが、そうでもなかったようだ。
崩れそうになる理性を必死に抑えて、彼は黒猫の遺体を、祖母の名が刻まれた石の欠片と共に置いて手を合わせ、静かにその場を後にした。
一刻も早く、この恨みを晴らしたかったが高校生らの場所を特定できない。今は憤慨せず、母に相談してどうにかするべきだと分かっていた。彼は頭が良かったから。
だが最悪なことは立て続けに起こる。
スマホが鳴った。嫌な予感がした。いつもの女子の家の場所は教えて貰って知っていた。
彼が出せる全速力で、田んぼの間を駆け抜けて向かった。何故向かったか。その女子は親がいなかった。
ここまでいえば分かるだろう。誰も、止められる者も、咎める者もいない。彼は初めて関心を持った人間を失いたくない一心で、女子の家に飛び込んだ。
鍵はかかっていなかった。2階では笑い声が聞こえる。
恐る恐る向かった。女子の部屋の中には何人かの高校生と思われる男子が複数人いた。
そして、奥には、台の上に乗って縄に首を通して震えている女子が、涙目になっていた。
彼が止めに入る前に、台は蹴飛ばされてしまった。彼が止めに来たのに気がついた女子は最後に微笑んで、命を失った。
トラウマなんてレベルじゃない。人間がクソだと、心底呆れて、殺意も湧かなかった。怒りは、憤りは、1周回ると笑いとなるらしい。
彼は先に呼んでおいた警察が到着するまで死の間際を味わった。負け犬の遠吠えは見苦しい。彼は振るわれ続ける暴力を、笑顔で耐え忍んでいた。
やがて高校生らは逮捕される。だが、日本の法律は高校生らを守ってしまった。あの女子の命の扱いに、絶望に打ちひしがれて何度も泣いた。
初めて、心の底から悲しみが湧いたのは、これで人生2回目だった。
彼は今、地獄のようなあの一日を過ごしたあの場所に近づこうとしない。悲しむ彼を心配した母が転校という話を持ちかけた。泣いているばかりでは何も始まらない。それを知っている彼はその話に乗っかることにした。
それ以来、彼はその女子の事を、破壊された墓石を、殺された黒猫を思い出そうとしない。だが、一つだけ、最も忘れては行けないことがある。それは、人間に対する絶対的な憎しみ。
ネットでこの事件に対しての裁判所の判断に、第三者達は避難の声をあびせたが、彼にとっては知り者顔で避難する第三者達も憎しみの対象だった。
経験したことの無い部外者が、1番悲しい人間を慰めず、その行為をおかした人間を責めてそれで満足する。自己満でしかなく、みなそれを求めている。
それこそ、希望のない世界。第三者達が得をし、加害者が守られ、被害者は放置。
つまり『ディストピア』。この言葉の使い方を上手く理解していない彼は、『地球の人間の性』を、『ディストピア』と呼んで憎み壊したいと願った。
の、かもしれない。
今までの話は実話だが、感情的な部分は全て憶測でしかない。彼がどのようにこの出来事を捉えたかは誰にも理解できまい。
だが、彼はこの後、『世界』を『ディストピア』と呼び、『ユートピア』を求めるようになった。
そして一学期を終えることも定期テストも終えないまま、新たな中学校で、彼は転校生として入学。そこで陰湿ないじめを受けている男子と出会った。
口調はウザったらしいがどこか憎めず、小テストでは0点のくせして定期テストや模試では満点や90点をたたき出す。紛れもない、天才だった。
そんな男子の性格は、彼が唯一好くことが出来た性格だった。嘘も何もつかず、いい意味での本音を言いまくり、こちらの話を素直に聞いて、いつだって笑わせようとしてくれる。
分からない問題も、知らない雑学も、彼に聞けばなんでも答えてくれた。
「『ディストピア』って知ってる?」
「あぁ?」
帰りの会話で、彼は男子に問うた。やはり知っていたようで概念から由来まで話された。
「この世界は、『ディストピア』だと思う?」
「んー……」
彼のこの問に、男子は少し悩んだあと、
「あぁ。そうじゃねぇかな。」
「どうして?」
「だって、働けば働くほど税が取られるなんて頭逝ってんだろ。アニメとボカロ曲はマジで好きだけど、制度まで好きにゃなれないんでな。希望のない世界だ。」
「海外にでも行けば?」
「流石にネイティブの発音をまんま聞き取るのは面倒だからな。あと、アニメが手軽に見れないし。」
「ハハ。そっか。」
あっけらかんと答える男子。軽はずみなその話し方も何もかも、面白くて仕方がない。
捉え方は人それぞれ。喜ぶポイントも、怒る場面も、何もかもが自由で、尊重されるべきだ。少なくとも、天才な男子はそう言っていた。
「んま、そわなこたぁどうだっていいんだよ。どう楽していくか。それが問題だ。」
男子は振り向いて、
「お前の苦手分野を今のうちに克服するぞ。ラーメンいっぱい奢るので授業料にしてやる。だがらさっさと行くぞ!!」
大声で叫ぶ男子の笑顔は清々しい。世界に絶望を感じていた彼が、最も憧れていたその表情を、男子はひけらかすように見せて、
「なぁ!!高谷!!」
「………うん。そうだね!!快斗!!」
2人は駆け出した。軽口を叩き合いながら。高谷はこの瞬間は、これだけは失いたくないと思った。
同時に、『地球』でのやりたい事も見つかった。それに人生を賭けようと誓うほどにやりたい事が。
神は高谷を嫌っているのか、それをなすことは許されなかったが。
地面に叩きつけられる衝撃で下半身がどこかへ飛んで、それでも生きる執念だけで10秒間ほど生き延びた彼。
しかし執念は消える。目の前の、親友の死体を見て、もっと彼を救ってやればよかったと後悔をして………真っ赤に血に埋もれて………絶望に溺れて………落ちて………落ちて………
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「高谷君!!高谷君!!」
「わ。」
勢いよく振り回され、高谷はベッドから床へと落ちた。起こした原野は小さく「ご、ごめん」と呟いて高谷を支える。
「何、さ。」
何が起きたと目を開いて擦る高谷の額を、原野がゆっくりと手ぬぐいで拭き取って、
「高谷君、凄くうなされてて、物凄く怖い物でも見たのかなって思って。最後には首を絞め始めるし、手首だってほら。」
「………あれ?」
高谷が原野に持ち上げられた右手首を見て驚愕する。
手首は荒く掘られており、血が流れている。その傷口の奥には、白い物体、歯が入っていた。気づけば口の中の前歯が1つない。
「再生する腕を噛みちぎろうとしたら、再生能力が高すぎて歯の方が先にダウンしちゃったのかも。」
「へぇ………」
高谷は中にある歯を取り出してから、傷口が再生する様をじっと眺めて、それから原野にお礼を言おうと立ち上がった瞬間、
「………うん?」
頭に凄まじい頭痛が走った。
「あ、あぁがああ……」
「高谷君!?どうしたの!?しっかり!!」
あまりの痛さに、痛み慣れした高谷でさえ呻いてしまうほどだ。原野が「直ぐに誰かを呼んでくるから!!」といって部屋を飛び出して言った。
「なん、あぁ……がァ……」
『わ、たし、ねぇ………』
「?」
女の声だ。1人暗い部屋で、高谷以外誰もいないはずなのに女の声が聞こえる。幻聴だろうか。見回しても誰もいない。
『ねぇ。』
「うぅ………」
声が聞こえるほど、頭痛の度が増していく。
『あな、たは、、、』
「俺、は………」
『泣いて、くれないの?』
「な、く?なんの………」
『泣いて、くれないの?』
「だから……なんのこと……うぅ………」
痛みが頂点に達し始める。目の血管が破裂して血が吹き出し、鼻血が流れ、鼓膜は破れた。
『悲しくないの?』
「悲しく……ない……。」
『ざ、ん、ねん、だよ、』
「うぅ………」
『ねぇ。これが、ユートピア?』
「はぁ?」
『ディスト、ピア。好き、でしょ?』
「嫌い………」
『好きでしょ?』
「嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌いだぁぁああ!!!!」
『嘘嘘。あなたはその世界で、悲劇の主人公ぶっていた。』
「そんなの……」
『自覚、しな。いや、していたはず、だよ。みて、いた、もの。私が、死んでから、ずっと。ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ!!』
「うううぅぅぅぅぅうぅぅうう!!!!!!」
声が近づく。大きくなる。頭痛が増す。いっそ死にたいと思うほどに痛い。だが、痛みで視界が赤く染って何も出来ない。
『あげる。あなたの好きな、ディストピア。』
「俺の……嫌いな……ディストピア……。」
『あなたの、大好きな大好きな、』
最後の声。耳元で囁かれたかのように感じた言葉。聞きたくないのに、耳を塞げない。
そして、紡がれた言葉は、想像以上の痛みを連れてきた。
『ディストピア♡』
「がぁぁああああぁぁああ!!あぁあ!!ぐぐ、ううぅぅぅううう!!」
30回の処刑よりも、クラスメイトを殺すよりも、手首を切り裂くよりも、左半身を失うよりも、この世の何よりも痛い痛みを感じて、高谷は絶叫する。
何かが、魂に無理矢理潜り込んできた。容量を超えた魂は、ひび割れ、地獄の責め苦を高谷に与える。
「ぐ、うぅううううう!!」
『楽しそぉ。』
「ああ!!あぁぁああが!?ぐ、ぎ、うぐうう!!」
地面をのたうち回る高谷は、壁に床に頭を叩きつけ、頭蓋が丸見えだ。
このまま、辛すぎる痛みを感じながら死んでしまうのだろうか。高谷が、本気で死を覚悟した、初めての場面だ。高谷にそう思わせるほどの、この辛さは、どれほどのものなのだろう。
「うるさい。」
そんな苦しみを、眠っけの混ざった声が一掃する。
高谷の視界が消え去った。首から上が消えている。再生してみると、不思議と痛みは消えていた。
「あ、え、?」
高谷の右の壁には剣が3本ほど突き刺さっており、逆に左には、眠そうに根を擦るヴィオラが立っていた。
「騒ぎ立てるな『不死』の騎士。余がいなければ死ぬ勢いだったぞ。『不死』の名が汚れるな。」
「別に欲しくて貰ったわけじゃないけど………」
「ふん。ほざけ雑魚。そなたでなければできない荒療治ではあったが、それでも苦しみから救ってやったのだ。感謝せよ。」
「うん。ありがとう。」
素直にお礼を言った高谷に少し目を細めたヴィオラが、高谷に近づいてその胸に手を当てる。
「そなた、今自分がどのような状況であるか分かるか。」
「えっと………えっと?」
「分からぬのなら素直に言え。今、そなたの魂はズタボロ。何者かの干渉により、無理矢理ゴミを擦り付けられたような状態だ。」
「はぁ………」
「余がこのゴミを斬り落とすことは可能だが、どうも、これを斬ればそなたが死ぬような仕組みになっているようだ。」
「ふーん……となると?」
「他の分野を削るしかあるまい。さて、何を捨てる。」
「え。急に?」
「早く決めんか。余の8時間睡眠の邪魔をしておいて随分と呑気なものだな。」
「あぁ、えっと、ごめん。」
高谷は少し考えたあと、ぽんと手を打ってヴィオラに削って欲しい部分を提案する。それを聞いたヴィオラは少し怪訝な顔をしたが、高谷があまりに素直にそれがいいと言ったので、納得して斬り落とすことにした。
治療が終わると、ヴィオラは欠伸をして高谷の手を引く。
「今夜は余と寝ろ。」
「………へ?」
「魂に変化が生じないとも限らんだろう。この世界で唯一余を楽しませる2人のうちの1人がそなただ。死なせる訳には行かん。」
「それって自分のためじゃん……」
「早く来んか。全身穴だらけにしてやろうか。」
「はいはい行きます行きますよ。あー、あと、原野は……」
「余が看病すると伝えた。何故か頬を膨らませていたが、まぁ、関係ないだろう。」
ヴィオラは顎に手を当てる。
「しかし不思議だ。原野とやら、余の部屋の場所を教えていなかったというのに。お前の症状を治せるのが余だけだと言うのも、初心者には分かるはずもないのだが………」
「あー………」
きっとそれは原野の『絶対未来視』による能力だろう。道理で部屋から出る時に躊躇なく走り出したわけだ。
高谷はそれを知らないヴィオラに能力の事を教えようと思ったが、それは意味のないように思えて却下した。
と、ヴィオラが急に振り返って、
「そなたの歌声はエレスト1と聞いている。聞かせてみよ。」
「え?急に?」
「余が絶対だ。従え愚騎士。」
「はいはい。その代わり、部屋でね。」
乱暴な扱いのヴィオラ。だが、それが彼女なりの優しさだと高谷は気がついている。話しかけ続けることで、少しでも先程の恐怖を取り除こうとしているのだろう。
魂の治療をしているとでもいえば、少しは安心できると思ったのだろうか。
とにかく、高谷はヴィオラの意外な優しさに微笑んで、その夜はヴィオラと共に同じベッドで歌声をきかせながら寝ることとなった。