……………言ってくれたから
突き出された拳が零亡の顔面に迫る。顔を横へ傾けようとするが、時が止まっかと勘違いするほどの速度のその打撃は、獄速の零亡でさえかすり傷を残してしまう。
「く………!?」
「『乱撃』!!」
拳を躱すのが困難な状況にまで追い詰められた零亡をさらに追い詰めるように、ライトは手足全てを駆使して零亡を殴り飛ばそうと打撃を放つ。
零亡の体の横スレスレを通り過ぎる打撃は、その勢いを抑えきれずに、波動が飛んでいく。
「『鬼神歌・怪魔妖姫乱』。」
零亡はバチに魔力を込め、ライトの攻撃に対抗するために、同じように高速の連撃技を放つ。
バチが空間を叩き、それが1つの曲のように穏やかに規則正しく音色を奏で、振るわされた空間が、ライトの体の隅々を攻撃する。
だが、直ぐにライトはその場から飛び去り、一瞬にして零亡の背後に移動した。だが、それは零亡も予想していた。
「鈍い鈍い!!」
「うぅ!?」
零亡が叫んだ瞬間、零亡が叩いていた空間が波動を放ち、ライトの身体中を穴を開ける勢いで打ち込まれた。
「『界雷光弥魅紅』!!」
ライトが地面に伏せて魔力を高める。界雷が
渦のように収縮され、灼熱の雷が零亡を包んで爆発する。
白光が零亡の視界全体を覆い、筋肉が強すぎる電撃に痙攣するが、それは妖力で簡単に抑えられた。
「やるな!!息子よ!!」
「そっちこそ!!」
零亡がバチを振るう。そのバチは全く見えない。速さなどは関係なく、純粋に見えない角度から迫っている。だが、ライトから見えていないということは、ライトの見えない死角から攻撃が来るということ。
つまり、そこを攻撃すればいい。
「『月光・三日月』!!」
「ぐぅっ!!」
左足を軸に、綺麗な弧を描きながら青緑色の雷を纏うライトの右足が零亡の横っ腹に叩きつけられた。
「『月光・三日月』!!『連撃』!!」
弧を描く攻撃が色鮮やかにライトを彩り、その美しさが増せば増すほど、零亡に叩き込まれる攻撃の数は増える。
「やり、おる!!はぁあ!!」
零亡は両腕を勢いよく広げてライトを弾き返し、空間を叩いてライトに攻撃を与える。
だがその飛んでくる見えない攻撃を、ライトは新たな技で躱す。
「『月光・新月』」
ライトがそう小さく呟いた瞬間、ライトの姿が消え、打撃が空を切る。音もなくその場から去ったライトの行方を探ろうと、零亡は周りに意識を向けるが、どこにもライトの気配を感じない。
感じないはずなのに、いつの間にか真後ろにライトが立っている。
「な………!?」
零亡が振り返った瞬間、腹部に強い打撃を受け、空へと打ち上げられた。
それから立て続けに見えない打撃を食らう。零亡は困惑していた。目の前にライトがいるはずなのに、体がそれを認知しない。
つまり、見えているのに見えないのだ。
「く………っ」
零亡の体が空高く吹き飛ぶ。零亡が苦し紛れに勢いよく目を開けると、そこには巨大な満月が見えた。
零亡は一瞬、月の高さまで飛ばされたのかと勘違いをした。そんなはずないと即座に否定したが、目の前にある光の玉は、間違いなく普段見ている満月そのものだった。
それは、紛い物であると言うのに、零亡の心に響くほどに美しく作られた完成品だった。
「りゃああああああ!!!!」
雄叫びが上がり、世界が振動する。零亡の視界に移る月が徐々に大きくなっていく。
いや、大きくなっているのではなく、落ちてきているのだ。
「『月光・満月』」
その言葉は、一切の音が消えた空間に明瞭に響き渡り、そして零亡の記憶に強く刻まれた。
落ちてくる。巨大な満月が、零亡に向かって落ちてくる。
本気のライトの攻撃を躱す術もなく、零亡はその攻撃を真っ向から受止めた。
「う、ぉぉおお!!」
バチを太鼓を叩くかのように強く満月に叩きつけ押し返そうとするが、流石に物量が違いすぎて押し負ける。
地面に着く最後の最後まで零亡は抵抗したが、結局は負けて地面と満月に押し潰される。
だがここで死ぬ訳にも行かず、零亡は隠していた奥義を発動する。
「『夢冠慈護苦』」
その瞬間、満月が一瞬にして破壊される。凄まじい数の打撃と威力が重なり、巨大な満月さえも粉砕した。
そして、代償として片方のバチが半ばからへし折れ、角にもヒビが入った。角の負傷というのは、鬼人にとっては凄まじい痛みを伴う。零亡も例外ではない。
苦渋の判断だったが、死ぬよりはマシだ。体もまだ動くし、戦うことも可能だ。ライトも、さっきの大技のおかげで大分魔力を消費したはず。勝機はまだある。
そう思っているのは、零亡だけだった。
「は………?」
零亡が立ち上がった瞬間、世界があべこべにひっくり返った。地面が上に。空が下に。文字通りに逆さまになったのだ。
それから、零亡自身が逆さまにされたと気がつくまで0.4秒。そして、足払いだけで零亡を飛ばしたライトの拳が零亡の腹に届くまで0.2秒。
ライトにとって十分すぎる時間だった。
「えい!!」
零亡が吹き飛んだ。だがその速度よりも、ライトの方が速い。
「えい!!りゃあ!!つっ!!ふりゃ!!」
零亡がされるがままに空中を飛び回り、その先に先回りしてライトが再び弾くという動作が何度も続く。
「負け、ぬぞ!!」
しかし零亡もずっと翻弄されるばかりではない。最後のバチを握りしめ、先回りしてきたライトに向かって妖気を纏わせた攻撃を繰り出そうとした。
瞬間、ライトの瞳の奥に凄まじいほどの鬼気が湧き上がる。これまでにないほどの『鬼』の力。零亡でさえ畏怖するほどの、最強の鬼を垣間見たような気がした。
そしてその拳はいっそう強く、突き出されたバチを正面から弾いてそのまま零亡まで拳を届かせた。
吹き飛んだ零亡は地面に足をつき、やっとのことで攻撃から逃れることが出来た。
ライトは左手に魔力を集中させ、強く握りしめた拳から血が流れた。
「最後の攻撃です。受けてください。」
左手の魔力は虎をかたどり、青白い雷を纏って輝いている。直視するのさえ苦労するほどだ。
零亡はバチに魔力を溜め込み、空間を叩く。すると、空気中に漂う魔力がいっせいにバチに集中し、凄まじい鬼気と共にその力を現世に顕現させる。
「ここらで大詰めといこう。我が息子よ。」
「はい。」
零亡は目を閉じてから、もう一度大きく目を開いて決心する。ライトは既に構えを取り、拳を引いている。
零亡の口元には笑顔が浮かんだ。自慢の息子が、弱いと思っていた息子が、自分を追い込むほどに強くなっているのだ。互いに神の因子を取り込み、されどそこには決定的な差がある。
それは何か。背負っている物が、いや、背負わせている者が違うのだ。
たった1人でここに立つ零亡と、何人もの期待を抱いてここに立つライト。力量に差が出る理由は分からないが、簡単に言えばやる気が違うのだろう。
零亡はバチを引いて構える。足を強く踏み込んでバチを振り上げた。それが合図のように、ライトも最後の一撃を放つ。
「『百鬼明星』」
「『神虎咆哮』」
赤黒い瘴気のようなものが集まって放たれた光線と、青白い雷が集って輝く虎がぶつかり合う。
それは不思議なもので、全く音を放たず、どちらも強大な技だと言うのに、呆気なく消え去ってしまった。
そう、全く同じ力だった。音も衝撃も、何もかも、周りに伝わらなかった。代わりに、2人の身体中に強い衝撃が駆け巡った。
「ぐ………」
「う………」
零亡は倒れ、ライトは何とかその場にたち続けることが出来た。
「はぁ、はぁ、はぁ………」
「く…………」
ライトが零亡に歩み寄る。零亡は抵抗しようとバチを握る。そして気づいた。バチが折れている。
もう手立てがない。近づいてくるライトは、いわば相手神の敵。零亡に容赦はしないだろう。
零亡は身体中の力を抜いた。角が消え、纏っていた強い妖気が消え去った。
ライトが止まる。まだライトには魔力があるようだ。先程の攻撃で何故その魔力を載せなかったのか。きっとそれは、零亡の攻撃と同等の力にまで調節したのだろう。そのうえでとどめを刺す。
ライトながらの詰め方だった。
「ふ………強いな、我が息子よ。」
「…………。」
「殺して構わん。お前の姉も、友も、仲間も、皆巻き込んでしまった。あろうことか、最悪な元神すら連れてきてしまった。妾ができることは何もない。ここでお前に殺されるのは本望だ。」
零亡は消えかけの意識を何とか繋ぎ合わせてライトに語りかける。ライトは動かずらずっとその場に立っている。
が、ライトはようやく動きだした。しゃがみこみ、零亡の頬に触れてその顔を上に向かせる。
それから、一言呟いた。
「僕は、あなたを殺しません。」
「………ッ。」
「本当は殺したくない、の間違いです。でも、これくらいのわがままは、きっと快斗さんも、許してくれますよ、ね。」
ライトの言葉は何故か途切れ途切れだ。よく見てみると、目尻に少し涙が溜まっている。
零亡は、まだ情を残すライトに呆れてしまった。
「妾は敵じゃぞ。殺さねば、いつかまたお前を………」
「その時はまた返り討ちにすればいい話です。」
「何故、そこまで妾を殺すことを拒む?生かす理由なんて、ないだろうに。」
「………それは、」
ライトは少し恥ずかしそうに頬を染め、
「あなたが、僕を、『美しい』と言ってくれたから。」
「ッ………」
「嬉しかったんですよ。僕はその言葉が。だからあなたを殺しません。」
零亡はため息をついた。消えゆく意識の中で、最後の言葉を告げる。それが、ちゃんと声として発せられたかは分からないが、それでもライトに伝わると信じて、涙を流しながら、
「お前を産んで、お前が強くなってくれて……良かった。」
暗闇に意識が落ちる。気絶した。魔力が切れた。なにかに抱きとめられる感覚と共に、温かさと小さな歌声が聞こえた。
「おやすみなさい。…………母さん。」