堕落せし愚かな風の神
異形なまでの魔力の膨大を感じた。
魔力の速さは獄速。ヒバリでさえ感じ取るのが難しいほど。だが、その膨大さゆえ、速度が早くても何人でも気づいてしまう。
それがライトのものであることは、感じたと同時に本能のように理解出来た。
因子を取り込んだということは、快斗達の参戦しているゲームに正式に参戦するということになる。
実際は既にゲームに参加させられているような形なっているが、因子を持っていなければ最終手段として逃げることは可能だった。
快斗達の敵は全て未知。どのような能力を持つかは分からない。逃げることすら難しいかもしれないというのに、そういう状況になってしまう可能性だって十分にあるというのに、ライトは何故因子を取り込んだのか。
それはライトに聞かなければ分からない。ヒバリがどうこうと悩むのも意味が無い。だが、何となく予想はできるのだ。
快斗の考えた配置を知った時に、少しそんな可能性があるのではないかと考えた。1度負けた相手とわざわざもう一度戦わせるというのは、完全なる自殺行為に他ならない。
当然ながら、ライトは1度負けたのだろう。いや、負けかけたと言う方が正しい。何らかのきっかけがあり、ライトの心は大きく動いて成長した。それが誰の言葉だったのか。ヒバリの予想は高谷。そして正解も高谷だ。
侮れないと思った。この2人の考えることは恐ろしい。人間の思考、欲望を先読みして、求められるであろうものに相応しいものを先に用意している。
どんな言葉で丸め込んだかは知らないが、ヒバリは2人に対して警戒心を高めることにした。2人ともヒバリより5歳ほど遅生まれだが、頭脳の作りも価値観も全て違うのだ。同じなのは、三大欲求と良心、罪悪感のみだ。
それ以外を共有することは出来ない。どこまで突き詰めても、結局は異世界人。戦いのない世界から来た強者。これほど信用のできない人物がいただろうか。
やはり悪魔なのだ。種族的に悪魔の快斗もそうだが、高谷も心に何らかの闇を抱えているような気がするのだ。ごく自然に垣間見えるその闇がヒバリは怖いのだ。気づかず触れ合うライトがどうなってしまうのか、考えただけで恐ろしい。
だが、高谷は必要不可欠な存在でもあるのだ。現に高谷から渡された血入瓶があるおかげで回復することが出来ているのだ。
突き放すことも出来ず、かと言って完全信用するのは少しばかり危険だ。
そこまで考えて、ヒバリはこう思った。
「高谷殿は、苦手だ。」
手の中で光る『魔神因子』が、ヒバリの視線を引きつける。不思議な魔力の波長。思わず抱きしめたくなるような奇妙な魅力。
なにがそこまでヒバリの感性を刺激するのか、本人も誰にも分からないことだが、ヒバリは『魔神因子』を取り込むことに理由が出来てしまった。
ライトを守る。もうそれほど弱い存在ではなくなったが、一筋縄では行かない敵もいるだろう。自分の身を捨ててでも、ヒバリはライトを守るという責任があるのだ。
『剣聖』として、誰よりも彼を愛している存在として、そして姉として。
そのためには出来るだけ彼と同じフィールドに立たなければならない。今のヒバリよりもライトの方が圧倒的に強いのだ。
「私は………」
守るべきもののために、自ら身を投げ出す。そう、心に決めたこともあった。
『魔神因子』を取り込めば悪魔になる。比喩ではなく、種族的に悪魔になってしまう。
と、思われる。
これはヒバリの推測でしかない。ただ、高谷と快斗の2人を見てそう思っただけだ。悪魔になることに抵抗はもちろんある。出来ることなら拒絶したい。
だがライトを守るという観点からみれば仕方の無いこと。
因子を取り込むことと、ライトのために身を投げ出すのは同じこと。違うことなど何も無い。だから、この決断に対して後悔はしない。
「私は、間違えて、いない。」
自分にそう言い聞かせ、ヒバリは『魔神因子』を胸に抱いた。因子はヒバリの思っていたよりもすんなりとヒバリの中へ入り込み、その膨大な魔力を身体中にめぐらせた。
浸透する。深い所まで闇が支配する。それを感じながら、ヒバリは自身の体を抱いた。
変化が、訪れる。
髪の色が抜け、見事なまでに白髪となった。目元には赤い紋章が浮かび上がり、爪と牙が伸びた。
瞳は真っ黒から血が滲んだような赤黒いものへと変わり、視界が変化する。動きが遅く感じるのだ。
暁の攻撃が見える。先程まで早すぎて見えなかった攻撃が見えるようになっていた。
踏み出した瞬間に、足に伝わる感覚も違うものに感じた。まるで自分の足で歩いているのではなく、誰か他人が歩いているのを、その人物の視点で見ているような。
「ッ………?」
そこで気がついた。体が言うことを聞かない。脳からの指令を、体が正常に受け取っていない。
否、受け取り違いなのではなく、受け取らせないようにしている何かがあるのだ。
足が勝手に動いた。今までにないほどの速度で阿修羅に斬りかかった。6本の刃がヒバリの肌に振り下ろされるが、ヒバリは、ヒバリ自身が知らないような形で、その斬撃を躱した。
「『暗技・彩骨風乱』」
ヒバリが知らない技名を、ヒバリの知らない動きで体が放つ。黒く光る風龍剣が、瘴気のような汚れた風を無理矢理光らせ、阿修羅の胴体を大きく斬り裂いた。
そこでヒバリは気がついた。自分が意図せずに笑顔を浮かべていることを。
大笑いでも引きつった笑みでもなく、穏やかに笑っているのだ。ヒバリの体の主導権を握った者が、穏やかに笑っているのだ。
そして思った。ヒバリは因子を取り込んで『浸透』させたのではなく、因子に『侵食』されているのだと。
全ての動作は今、因子の本当の感情を表したものだ。魔力に感情が宿すなど並大抵の技ではないが、魔神なら出来ないことも無いのだろう。
唯一動く瞳を快斗に向ける。
表情は苦虫を噛み潰したようななんとも言えないもので、こちらに向かって手を伸ばしている。
軽はずみではないが、大きなきっかけもなく『魔神因子』を取り込むべきではなかったようだ。ヒバリは後悔はしないが、不安を抱いた。
これがこれからどう自分を導いていくのか。予想しえない未来に恐怖を抱き、同時に高揚感に駆られる。
ヒバリは誰にも、ましてや自分にさえも聞こえない声で小さく呟いた。
「楽しみだ。」
本心か、偽りか。ヒバリ自身の感情か、因子の感情か。
そのどちらでもなく、因子に侵食されたヒバリの本心が、それなのだ。
『堕落せし愚かな風の神』。
新たな固有能力が今、ヒバリ自身を堕とし続けていた。