歪
遠く離れた場所に、新たな雷の魔力が生まれたのを感じた。
魔力の変動に敏感な悪魔の快斗でさえ見失うほどの速度で動くそれは、濃い邪気を振りまく敵とぶつかり合っているようだ。
「やってくれたか高谷。後でなんか奢ってやんねぇとな。」
何かと奢りで解決しようとする快斗の癖は治っていない。ヒナにだって王都で1番のスイーツやらなんやらを奢ると約束してしまった。
結果としていい方向に傾いてくれたようだが、今考えるとかなりの出費だ。ヒナのことだろうし、どうせ食べれるだけ食べるのだろう。頭を抱えたくなるほどの出費である。快斗はルーネスに泣き寝入りしようと決心するのだった。
「んま、それはどうでもいいとして、問題は………」
快斗は、自身の後ろで『魔神因子』を見つめたまま立ち尽くすヒバリに目を向ける。
この緊迫した状況下で迫られたこの大きな選択は、ヒバリにとってどれほどの衝撃を生み出したのかは分からないが、それでも多少なりとも戸惑いがあるはずだ。
実際正解なようで、阿修羅からの攻撃を躱したり反撃したりということは出来ているが、どうにも動きが鈍い。やはり『魔神因子』を取り込むかどうか悩んでいるようだ。
更にそれを拡張するように、ライトが『鬼神因子』をと取り込んだ。ライトからの微弱な魔力が急激に莫大な量へと変化したしたのを感じ取った瞬間、ヒバリは快斗に驚きとも怒りとも取れる表情を向けたのだ。
少し、心が傷んだのだ。その表情を見て。
だから快斗としては無理に取り込んで欲しくないというのが本心だった。
『魔神因子』は、自動的に体に浸透し、その莫大な力を体の持ち主が使うという流れになるが、ヒバリや高谷のように、暗黒属性出ない者は適応するのが難しい。
もちろん完全にそれを受け止めようという気があるのなら話は別だ。高谷も多少の暴走はあったが、それでも体は簡単に『魔神因子』を取り込んで力とした。
だから戸惑いのあるヒバリがそれを取り込むのは非常にまずい。どうなるのか予想できない。
暴走する可能性だってあるし、内側から魔力が爆ぜる場合もある。どちらにしろ危険なのだ。
今からでも遅くはない。ヒバリがもし戸惑いを残したままそれを取り込んだ場合の危険性と、今じゃなくてもいいということを伝えに行かなくてはならない。
「余所見するなよ悪魔ァ!!」
「チ……。」
だが、それは快斗の前に立ちはだかる阿修羅が許さない。出来ることなら押し切りたいが、今の快斗にはそれほどの力はない。
それに、あと数分でこの覚醒状態も切れる。刻一刻とヒバリは決断を迫られているのだ
もし、ヒバリがそれを取り込まず、快斗の覚醒状態が切れた場合、快斗は心臓が消えるといえ諸事情でしばらく動くことが出来ず、ヒバリと暁の2人に多大な負担を背負わせてしまう。
暁だって人間であるし、必ず限界がある。実際、彼女の息が上がっているのが事実だ。元神と戦うのは、暁レベルの戦士でさえ余裕を持つことが出来ないということだ。
「出来ればこの数分で、お前をぶちのめしてぇんだけどな。」
「無理な話だ。私は貴様ら如き容易く滅ぼされるような貧弱な存在ではないわ!!」
阿修羅は言い終わると同時に刀を振り下ろした。草薙剣を滑り込ませて受け止める。
が、体の限界が近づいているのか、今まで以上にその攻撃が重く感じる。地面に足が埋まり、骨が軋む。
「別に、俺らに負けたからって、貧弱ってわけじゃねぇだろ。」
快斗は俯きながら小さく呟いて、阿修羅の刀を弾き返した。
草薙剣が黒い光を放ち始めた。刀身の表面にはヒビが走り、文字通り殻を破るように中身が露出した。
「『神斬刀・草薙剣』。元神のお前には少しは特攻があるんじゃねぇの?」
快斗が阿修羅に飛びかかる。草薙剣を頭上から勢いよく振り下ろすという単純な攻撃を繰り出した。当然のように阿修羅は刀を構えてその刃を受け止めようとする。
その瞬間、阿修羅の両膝から急に力が抜けた。
「な………」
跪き、更には6本の腕にも力が入らなくなった。草薙剣を防ぐことが出来ず、阿修羅は無様に首元を斬り裂かれた。
「な、ぜだ!!」
「言ったろ。お前は術中にいるってな。」
阿修羅の行動不能を引き起こした原因は、快斗の『魔技・踊れや踊れ』の効果である。
あの時に舞った真っ黒な花びらは、快斗が敵と認める存在に対してのみ、効果を発動する。あの花びらを視認すると、一時的に全身の神経が麻痺するという時間稼ぎのような技なのだが、その戦場において、それは絶大な効果を発揮する。
快斗は阿修羅の顎を蹴りあげ、左の1番上の腕に草薙剣を突き刺した。すると、
「く……!?」
草薙剣が突き刺さった部分が灰に変化して崩れ落ちる。腕を通じてそれは徐々に広がり、阿修羅の体を侵食する。
「やっぱり、この剣はお前にとって特攻効果があるみてぇだな!!」
「ならば、どうしたというのだ!!」
阿修羅は『覇気』を発動。生じた魔力波で快斗を吹き飛ばし、体を使わずとも快斗に対抗できるということを証明する。
だが快斗は笑って、
「まぁ、いいのさ。この剣は一旦預ける。」
「何?」
「別に俺が使わなきゃ行けねぇ訳じゃあねぇのさ。」
そう言って快斗は草薙剣を阿修羅の頭上に投げた。すると、1つの影が草薙剣を受け取り、快斗よりも圧倒的に鋭い斬撃を阿修羅に放つ。
「頼むぜ暁。俺が復活するまでな。」
「うむ。その前に倒すでござるよ!!」
髪色を真っ赤に染めた暁が大声でそう答え、草薙剣に炎を纏わせて刃を振るう。
「クソガキがァ!!」
だんだんと体が動くようになってきた阿修羅が大きく咆哮し、6本の刀を以て暁に迫る。
快斗はそれを見ながら心配そうな表情になったあと、ヒバリに視線を向ける。
遠くからいつ参戦しようかと構えてはいるのだが、その姿勢はツギハギに見える。『魔神因子』が頭から離れないようだ。
戦闘に勝つという観点から見れば、取り込んで欲しい。阿修羅との戦いに早めに終止符を打ちたい。だが、それと同時に、ヒバリが快斗と同じゲームに参戦してしまうことになり、そのことに対して快斗は少なからず抵抗がある。
「にしたって、今の俺じゃ、それをいえそうもねぇよな………」
その一言を呟いた瞬間、身体中から力が抜けた。盛大に吐血し、目から血涙を流す。
髪色が黒から白に戻り、十字架が消え去った。心臓がないため激しい痛みと苦しみに襲われたが、快斗は今持つ対策法を発動する。
「はぁ、はぁ、機能してくれよ……」
快斗はルーネスから貰ったピアスに触れる。埋め込まれた宝石が輝きだし、快斗の体を纏うように柔らかな魔力が舞い始める。
ルーネスが回復効果のあるピアスを渡してくれていたことを思い出したのだ。
心臓がゆっくりと再生され、鼓動を始める。だがそこで止まった。心臓を貫いた際に出来た穴は、未だ開いたままだ。
「ぉぉぉおおお………!!」
血と共に苦し紛れの呻き声がこぼれる。黒い魔力が傷穴を埋め、肉を繋ぎ合わせて回復させる。
「はぁ、はぁ、はぁ、あ、危ねぇ……」
死と隣り合わせの戦いだと言うことを改めて感じる。首を回して阿修羅と暁を見ると、やや暁が押され気味である。
紅蓮の炎が龍のように阿修羅に襲いかかるが、その勢いは戦い始めに比べると弱々しい。
「俺も………いかねぇとな……肉壁でもなんでもやって、やる……!!」
心臓が回復したとはいえ、ただ肉を繋ぎ合わせて止血した程度では痛みは消えず、出血多量で意識も朦朧としている。
「や、べぇ………な……」
苦笑いをしながら、快斗は小さく呟いた。呻き声に似たその声には、誰一人として聞こえない。
快斗は、動く度に訪れる痛みを紛らわすために首を回す。すると、立ち尽くしたままのヒバリを見つけた。
『魔神因子』を手に持ち、何故だか顔を近づけている。
「あ?……おい、ちょっと、待て……」
快斗は情けない声を出しながら立ち上がり、ヒバリに歩み近づく。
ヒバリは天を仰いだ後、ある方向を眺めた。それは、ライトが『鬼神因子』を取り込んだことを感じた方向だった。
そして、何かを決心するように頷き、しかし少し戸惑いを感じながらゆっくりと、『魔神因子』を胸に埋めた。
「おい………マジ、かよ……」
止めようとしても間に合わなかった。ヒバリを中心に新たな魔力が爆発的に増大する。
激しい風が快斗を吹き飛ばし、真っ黒な竜巻を纏ったヒバリはゆっくりと顔を上げる。
そして、何をするでもなく、阿修羅へと飛びかかっていく。
その速度は尋常ではないものであり、力量も上がっているようで、戦況は一気にひっくり返る。
「な、貴様………悪魔だと!?」
阿修羅がヒバリに対して叫んだ。ヒバリは答えない。ただ阿修羅を排除しようと剣を振るう。
「良くない………気がする……ク、ソ……」
動けない快斗は再び倒れ、それでもなお起き上がってヒバリに視線を向ける。不安そうな表情をしながら。
快斗にはヒバリの存在と魂が、とても歪なものになってしまっていたから。