暗い表情
「高谷、もうちょいゆっくり進んでくれ。傷が痛む………。」
「ゆっくり進んだらさっきの人が直ぐに見つけちゃうでしょ。」
時の流れが遅くなった世界で、高谷は快斗と談笑を交えながら進んでいく。
「向かう先は?」
「安全地帯さ。60重塔が倒れた裏に、ちょうど隠れやすそうな場所を見つけてね。」
高谷がその場所がある方向へ指を指した。快斗はその方向へ目を向け、
「へぇ。原野達もそこにいるのか?」
「うん。ライト以外は、そこにいる。あ、あと暁さんは今女帝と戦ってるよ。」
「あ?なんで暁がいるんだよ?てか、女帝ってことは零亡だろ?あいつ、暁とやり合えるぐらい強かったのかよ。」
相手が相当な手練であることを今更ながらに知って驚く快斗に、高谷は苦笑した。
「ライトは何処にいるんだ?あの塔がぶっ壊れたんなら逃げ出してると思うんだが………」
「うーん………それは分からないなぁ。」
「そこらで俺らのこと探してんじゃねぇの。ほら、あれとかそうじゃね。」
快斗がなんとなく黄色っぽい色が見えた方向を指さした。高谷は一応と思い、その方向へと目を向ける。
「…………え?本当にライトじゃないあれ。」
「マジ?今完全にネタだったんだけど……やっぱ俺の視力って馬鹿にならねぇな。」
「そうかもね。」
両目とも視力2.5を誇る快斗は、背負われながらも胸を張る。まぁ、それは生前の話で、今は体が変わっているため、正確な視力は分からないが。
「なめんなよ。学年2位の視力をな。」
「学年1位の視力を持つのは俺って知ってる?」
「え?マジ?」
高谷の両目の視力は2.7。その視力の度数が圧倒的すぎて、一時期は高谷が日本人なのかどうか疑われる程だった。
「学年1位と2位が見えたんなら間違いはないと思うけどね。行ってみようか。」
「頼むわ。俺全く今動けねぇし。」
傷や右腕は完全に回復したが、体力や魔力までは回復することはなく、快斗は未だ歩くのがやっとという状態であった。
高谷が瓦礫を飛び越えて、ライトと思われる物の近くへ向かう。
それに近づくにつれ、だんだんとそれがライトだと確信できる特徴が見えてきた。それと同時に、その体が傷だらけであることも。
「寝てるね。」
「こんな傷だらけでよく寝れるよな。」
「快斗だって寝る時あるじゃん。これぐらい傷ついて。」
「あれは寝てんじゃなくて気絶してんだよ。」
快斗を背から降ろし、高谷は手首を斬り裂いた。慣れた手つきでライトの口に血を流し込み、身体中の傷を回復させた。
「慣れたもんだよな。血液恐怖症のお前が。」
「自分の血ならね。未だ他人の血を見ると寒気がするよ。克服しなきゃね。こんな世界なんだし。」
「いや………」
快斗は笑いかけてきた高谷の視線から逃げるように目を逸らした。
その眼差しは、この世界の住人、特に戦士や四大剣将によく似ていた。この最悪な世界に、純粋な精神が染まっていくのは快斗も好きではない。
クラスメイトは完全に遊び気分で生きていたようだが、高谷は既にこの世界に馴染んできているようだった。
昔の高谷をある程度知っている快斗は、その変化を好ましく思わない。この世界の住人達はみんな、生存意識が著しく低い。
死に抗うのではなく、死を受け入れる方が多いのだ。他人を庇って、他人を想って、誰とも知らない人間達の為に死んでいく。
馬鹿らしいと感じた。傷つくのは自分だけで十分。そう考える人間が多すぎて嫌気が指すのだ。そう考えるのは、自分だけでいいと、快斗は強く思っているから。
「俺はそのままの高谷が好きだな。」
「ふーん。それはどうも。」
無意識に言ったとはいえ、少しは照れるかと思っていた快斗に、高谷はいつも通りに素っ気なく答えた。
快斗が言った『そのまま』を具現化したように、高谷は反応して見せた。まだ高谷が高谷でいるのだと、快斗は少し安心した。
「よし。治療は完了したよ。治療って言っても、血を飲ませるだけだけど。」
「十分治療さ。誰かの為に血を分けるとか、少年漫画の主人公の親友みてぇな立ち位置だな。」
「実際、そんな立ち位置にいると思うよ俺は。」
高谷は立ち上がると、
「もう歩ける?運ぼうか?」
「流石にもう歩ける。いつまでも世話になる訳には行かねぇからな。」
「へぇ。律儀だね。」
「いや、借りはできるだけ小さくしたかった。」
「なるほど。快斗らしい。」
苦笑いをして、高谷はライトを背負おうと脇に手を滑り込ませた。その瞬間、
「快斗!!」
「おわ!?」
高谷が勢いよく振り返り、その勢いのまま快斗を突き飛ばした。
快斗は急いで起き上がり、高谷に視線を向けると、
「は………おいおいマジかよ……。」
そこには、高谷の下半身が力なく倒れていた。内臓と排泄物がぶちまけられていて、独特の異臭が包み込む。
「う………」
悲惨な状態の高谷を哀れみ、そんな状態にした犯人を睨みつけた。
「エリメア………!!」
光り輝く美しい1本の角を携えた1人の鬼人、エリメアは無機質な瞳を快斗に向けた。
感情が感じられないその瞳を見て、快斗は一瞬だけ恐怖を覚えた。小動物が捕食者に睨まれた時と類似している。
なにせ今の快斗は魔力が切れており、歩くのがやっとの状態では、エリメアに勝つことなんて出来るはずがない。
「ここで強敵現るってか………詰みの状態じゃね?これ………。」
流れ出る冷や汗を拭き取り、快斗の顔に引きつった笑みが浮かぶ。
「ま、出来るだけ長く生き残ってやる。」
「……………。」
好戦的な態度で話す快斗。エリメアは時々足が前に出たり出なかったり、腕が伸ばされたり伸ばされなかったりと、不思議な動きを繰り返している。
まるで、快斗を攻撃するのを渋っているような、そんな雰囲気を感じさせる。
「抵抗してるって感じか………こっちから手助けできるものなのか?あれ。それとも単に俺に近づきたくないのか?そうだとしたら結構傷つくんだけど。」
なかなか動かないエリメアを見て、快斗が頭をがしがしと掻きまくる。
と、動かないエリメアが、何かに強く突き飛ばされて瓦礫へと突っ込んだ。
「はぁ……はぁ………大丈夫?快斗。」
「いや、俺は大丈夫だけどよ。どっちかってっとお前の体の方が心配なんだが………」
エリメアを突き飛ばしたのは、肥大化した高谷の腕だった。
先程まで消え去っていた上半身は綺麗に再生し、高谷はいつも通りの口調で笑っていた。
「頭がとれようと心臓が潰れようと、俺は死なないよ。」
「なにそれ無敵じゃん。どうしたって勝てない相手なんだけど。寝返えんなよ?」
「………寝返ないよ。」
高谷の再生力に舌を巻き、快斗は冗談めかして高谷に言った。その返しは少し歯切れが悪いもので、快斗は一瞬暗くなった高谷の顔が、何故だか脳裏に強く焼き付いた。
「とにかく早く行こう。エリメアさんは一旦後回しだ。ライトを連れてここを去るよ。」
「お、おう。そうだな。」
ライトを背負い、高谷は快斗に手を差し出した。快斗がその手を握ると、高谷は快斗を引っ張りながらその場から去っていく。
エリメアには、先程突き飛ばした瞬間に血を付着させたようで、暫くは動けなくしているとの事だった。
快斗は寝ているライトに目を向ける。やはりその顔は少し乙女チックで端麗だ。女に見えてしまうのは快斗だけではないはず。
だがそれは、高谷が回復をしたおかげでこうなっている。先程まではライトの顔は血だらけだった。
快斗を助けたのも高谷であるし、エリメアを拘束したのも高谷だ。快斗は、高谷が快斗が思っている以上に奮闘しているということにたった今気がついた。
だが、何故だか礼を言うのは気が引けた。曖昧な返事とともに返ってきた、あの暗い表情を見てしまったから。
月は黒い雲に隠れ、その穏やかな光を見せられずにいる。夜も深けてきた。暗くなる一方の空は、高谷の心情を表しているような、快斗はそんな気がした。