決意、殺意、恐怖
「よいしょ。」
「ふぅ。とりあえず、ここらでいいでしょう。」
崩れた建物の中、サリエルとリンを並べて寝かせ、原野とヒナは瓦礫の上に座って休んでいた。
「なんだか凄いことになってますね。」
「前にもこんなことあったよ。あの時は死ぬかと思った。さっきも思ったけど……」
津波に呑まれた先程の光景を思い出す。津波は一瞬で消え去ったが、投げ飛ばされた挙句に、見たことも無い不気味な黒い水の中に放り出された恐怖は消えなかった。
それ以外にも、どこから飛んでくるか分からない光線を躱すという所業。光線の中に閉じ込められたサリエルを苦渋の判断で殴ったこと。その他諸々のせいで、原野は今とても疲れていた。
「あまり緊張感を解いては行けませんよ。流れ弾が来るかもしれませんし。」
「うん………でも眠いんだよね………結構寝てないから………」
移動や王都での生活はそれなりに充実していた。朝昼晩の三食はもちろんのこと、寝床も清潔で快適な場所だった。
それから、急激な緊迫空間に引きずり落とされた。久々とも言えないが、それなりに戦闘から離れた意識での勃発だったため、心身共に疲労が溜まりやすかった。
決して戦闘員向きではない原野は、最大限を出して可能かどうかという希望的観測の間をすり抜けて生き延びた。同時に、大きな犠牲を抱えてきたが。
「……………。」
自身の不甲斐なさ、情けなさに反吐が出る。転生者、メサイア、強い強い強い。
そんな言葉に惑わされ操られていた様な気がしてきた。転生者という強者の称号に、浮かれていたのは自分だ。
他のみんなを見て、良くも悪くも活躍していたクラスメイトを見て、勝手な勘違いをしていただけだ。
自分は強くなんかなかった。今回だけでなく、エレストでも、それは心の隅に存在していた自虐の気持ちだ。
想い人も、友達も、助け出すことが出来ない。どちらかが傷つかなければ、助かることがない。
「なら…………」
自分が傷つけばいい。自虐思想になるのは仕方の無いことだ。それしか、生きる術がないのだ。全員で、生きる術が。
幸せには、それなりに対価を払わなければならない。原野は強くそれを実感した。
「原野さん。嫌な顔してますね。」
「顔のこと悪くいらないでよ。もうどう頑張ったって変えられない顔なんだから。」
「そういうことじゃなくて、今の表情が、ってことですよ。」
「?」
「いいですか?」
ヒナが原野の鼻を摘む。
「んん!?」
「まずはその顔をやめてください。」
原野が驚いてヒナの手を振り払う。地味に痛かったので、目尻に涙が浮かんだ。
「な、何するの……。」
「さっきみたいな表情をされると、私少しイラつくんです。許してください。」
「別にいいけど………。」
「話を始めますね。」
原野の返事を聞いて、ヒナは笑いながら話し出した。
「原野さんのさっきの顔は、昔の私によく似ています。」
「え?」
「自分が何者なのか分からず、宛もなく放浪していた頃。それこそ師匠に見つけてもらうまで、私はただのヒナでした。半耳長族の、『雛』でした。」
ヒナは目を閉じて懐かしげに呟いた。
「師匠に会うまでは、私は別に死んでもいいと考えていたんですよ。生きてるだけ無駄でしたし、誰からも必要とされていなかったですし、そもそも生きていくための経済力もありませんでした。」
「…………。」
「トイレする時は、街の公衆トイレをよく使っていたんですけどね。その時に鏡に写る自分の顔が嫌いでならなかったんです。活力も希望も感じない、無機質な表情。そうじゃない時はいつだって下向いて………昔の私は根暗でしたよ。」
足をふらつかせ、ヒナは話を続ける。
「でも、セルス街に着いた時、冒険者って物を知ったんです。そこで、薬草採取と小魔獣の討伐を中心になんとか生活していたんです。家はありませんでした。食べていたのはいつもとった薬草のあまりとか、倒した魔獣の生肉とか。何度も食あたりして、下級の回復薬で何とか乗りきってましたけど、楽とは言えませんでしたね。それで、ある日たまたま希少なキノコを採取しましてね。ポインルームっていう弾力性のあるものなんですよ。それでいつもより多くの報酬を貰えて、思い切ってまともなものを食べようと思ったんですよ。でも、普通の飲食店じゃ、私にとっては高すぎたんで、居酒屋みたいな、言ったら悪いですが、あまりちゃんとしていないものでもいいと思ったんです。とにかくお腹が空いてたんで、目に入った酒屋らしきところに飛び込んだんです。そこが、『怒羅』でした。師匠にあった場所はそこです。師匠は綺麗で、話も親身に聞いてくれましたし、私の名前だって、つけてくれたのは師匠です。生き方とか稼ぎ方とか男の誘い方とか。色々なことを学びました。初めてちゃんとした『教育』をそこで受けました。男はなぜだかおじさんしか集まりませんけどね。」
鬱憤を吐き出すような、そんな声音だった。口調は早く、目はしどろもどろで、何故だか落ち着かない。
「師匠は私に、『縄を使ってでもいいから上を向きなさい』と言ってました。いつもです。でもずっと続けてきたことをやめろなんて言われても出来ないんですよ。根は明るくなっても、枝が上をむくとは限らないんです。」
ヒナはそっぽに顔を向ける。
「鏡を見るのが憂鬱でした。だから鏡を見ないようにしていたんです。長い間、自分の顔がどうなっているのか分かりませんでした。師匠の表情で何となく察してましたけどね。」
原野はヒナの話に聞き入っていた。今はサリエルやリンの事を一時的に忘れている。
「ある日、知らない男の子が来たんですよ。見た目は10歳ぐらいでした。常連さんじゃなくても、大抵の人の顔を覚えてたんですが、その子にはあったことがなくて…………師匠は知ってたみたいですけど。その子は女の子みたいな子で、女の子テンションで話しかけちゃいました。」
その子が何となく原野には誰だか分かった。
「その子が私に言ったんですよ。『悲しそうな顔してる』って、『小銭落ちてましたか?』って。下向いてるよって意味でしょう。その子にはお姉さんがいるようで、そのお姉さんのことが大好きだったらしいんですよ。その子は、いつも上を向いているらしくて、なんでですか?って聞いたら、『姉さんの顔が見たいから』って言いました。姉さんの方が背が高かったんですね。その時ピンと来ました。上をむく理由は、なんでもいいって気づきました。小説のように、自分で立ち直るようなことは出来ませんでしたが、私は、店のランプの形が好きだったので、それを見るようにしたんです。そしたら、常連さんとか、お客さんたちが、私に『変わったね』って言ってくるようになったんですよ。自信が着きました。やる気が出ました。自然と笑顔になりました。それからはずっと上を向いて来ました。下向いた情けない自分が嫌いだったから。だから下を向いてたり、自虐思想の人を見ると勿体なく感じるんです。上を向く機会は、沢山あるのにって。」
ヒナは原野を向き直る。目は少し、涙で潤んでいた。
「原野さんだってあるでしょう?上をむく理由が。あなたの好きな人はあなたよりも背が高いんですから。その人を見たいから上をむく。それでいいと思うんです。何に悩んでるかは分かりませんが、私は今あなたができることを精一杯やって上を向いてればいいんです。私はそう生きてきましたから。私ができたんですから、原野さんだってできますよ。」
ヒナが原野に小さな手を伸ばした。
「私はこの2人を見ておきます。原野さんは、やりたいことをやってきてください。」
「……………やりたいこと。」
「そうです。」
ヒナに励まされ、原野の心は揺さぶられた。
近くでは何か強大な者同士がぶつかり合っているようだ。波動は徐々に迫ってきている。
決断するなら今だ。原野は2人をヒナに任せて戦闘へ向かうか、ここに残るか、このふたつの選択肢を、原野は選ばなければならない。
「mayじゃなくて、mustなんだよね。多分。」
「何を言ってるか分かりませんが、何となく意味は察します。さて、どうしますか?」
「……………私は……」
手が震える。自分の決意で、自分の未来は大きく変わる。重傷を負うかもしれない。重体になるかもしれない。そもそも、生きて帰れないかもしれない。クラスメイトのように、誰にも気づかれない意識の端で、孤独に。
恐い。恐ろしい。世界の人々みんなが恐い。だがそれを乗り越えてこそ、新たな発見と力が、そして自身が溢れるのだ。原野自身、それをよく分かっているのだ。
原野の決断は………
「私は………ここに、残るよ………。」
「………そうですか。」
挑むのはまだ早い。14歳の原野には荷が重すぎた。ヒナはそう納得したが、原野は情けなくてならない。
恐いのだ。恐すぎる。大きな恐怖が、人生に横たわった。それを越えたとして、その先には何があるか。
今のものよりさらに高い、巨大な恐怖が再び現れる気がしたのだ。
不甲斐ない。恥しかない。原野は羞恥で涙を流した。快斗なら迷わず飛び込んでゆく。高谷なら嫌がりながらも、全力で仲間をフォローするだろう。
自分がどれほど弱いか、原野は今、もう一度思い知った。
上を向くのはまだ時間がかかる。さらに深く下を向かせてしまったと、ヒナは原野を見ながら後悔をしたのだった。
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「なぁ、それ本気か?」
「ぐぅ…………」
快斗が本気で拍子抜けという様子で、阿修羅の腹部に拳を連続で叩き込む。
肋がひび割れ、心臓などの内臓が外部からの衝撃に疼く。
「調子に乗るなよ悪魔ァ!!」
「るせぇ。」
阿修羅は雄叫びを上げて腕を勢いよく振り下ろしたが、快斗は面倒くさそうに悪態を着くとその拳を軽く殴り返した。
押し負けた阿修羅は跳ねる。自身を圧倒する力に、阿修羅は驚愕した。
「なぜ……貴様……あの鬼娘にさえ負けていたというのに………何を得た!!何を得てそれまでの力を!!その力はまるで………」
「黙れよ。いちいち耳障りだ死んどけ。」
快斗が鋭い一撃を放つ。頬をぶたれた阿修羅は回転。口から大量の血を吐いた。ついでに、折れた歯も。
「何を得たかって?チッチッチ。俺は何一つとして得ちゃいねぇよ。少し、この体の本来の力を戻しただけさ。」
「チィ………舐めるなよ……若造!!」
「老害が。のたれ死んでろ。」
全方位から高速でつかみかかってくる腕。その隙間をすり抜けて、快斗は力ずよく鳩尾に拳をねじ込んだ。心臓に今まで以上の衝撃が走り、停止しかける。
「ぐ………せぇいい!!」
「威勢はいいな老害。」
快斗の脳天を向かって拳を振り下ろした阿修羅は、フェイントで後ろへ瞬間移動して快斗の死角から光線を放つ。
至近距離から放たれた光線を防ぐ手立てはないが、交わすことならできる。
「俺の能力、忘れ割れたら困るんだが?」
「な………!?」
眠そうに呟いた快斗は、光線の攻撃範囲から一瞬で消え去った。地面を蹴った訳では無い。その場から一瞬で移動したのだ。
その場所は言うまでもなく。
「は………!!」
「『死歿刀』」
快斗が上空に設置しておいた、草薙剣のすぐそば。獄炎をまとった刀が唸り、阿修羅の体を斜めに切り裂いた。
「我が肉体を………」
「硬さには自信があったってか?悪ぃな。切れ味には自信があるんだ。俺。」
至近距離返し。すぐそばから『ヘルズファイア』を放った。
「くぅ………」
「弱ぇなぁ……づっ………」
獄炎を巻き込まれ吹き飛んだ阿修羅を見て、呆れたような声を上げた快斗の頭脳に痛みが走る。
「ち………この姿も時間制限付きだってのかよ。」
せっかくのおもちゃを壊された子供の如く、その事実を知った快斗は地団駄を踏む。
「なら、速攻倒して、ヒバリを探すか。流石にこんなやつと戦いながらだときっちぃからな。」
快斗は裾を直し、耳に着いているピアスを触る。
立ち上がる強大な敵に、笑みが止まらない。溢れ出す歓喜は、何を喜んでいるのか。快斗はそれを理解していないが、楽しければそれでいいと、今は忘れることにしたのだった。
そんな快斗を心配する視線がある。崩れた瓦礫の隙間に隠れた小さな生物。
「キュイ………」
親分に迫る黒い何かに怯えるキューは、2人の戦士の戦いをただ見守ることしか出来なかった。