見逃して
暖かい何かに包まれたまま、朦朧とする意識の中で、ヒバリは懸命に掴むことの出来る場所を手探りで探していた。
「く………あぁ………」
息苦しい。体が重い。気分が悪い。
酸素という生命に必要不可欠な存在が、体から抜けてゆく。
「うあ………」
空気を求めるように、ヒバリは上へと手を伸ばした。否、それが上かどうかでさえ、今のヒバリには分からない。完全に方向感覚を失っている。
「あ…………」
息が途切れる。ヒバリは限界へと到達した。
意識が遠のいていく。空気を求める意思と手は力を失い、体から力が抜けていく。
死ぬ。そう思ったその時、
「がは……?」
身を包んでいた液体は消え去り、ヒバリはいきなり空間に放り出された。
「はぁ………はぁ………」
先程までの苦しみが嘘のように消え去り、視界が開け、真昼間のような明るさが頭脳を刺激する。
痛む頭を押え、傷だらけのヒバリはふらつきながら立ち上がった。
水から開放されたとはいえ、ヒバリの状態は良好とはとても言えない。
大量出血。脱水症状。酸欠。
最悪な身体状態だと言うのに、未だ立つことが出来るのは、『剣聖』の固有能力あってのことである。
だが、今立てたとして、なんの意味もない。
「はぁ……はぁ……」
ヒバリは建物の壁に寄りかかり、少しばかりの休眠をとることにした。少しでも体力を回復させようという、ヒバリの考えだった。
しかし、そんなヒバリを見逃すほどの理性が、その近くにいた敵には無かった。
「…………?」
微かな足音と気配。そして殺意。足音の大きさは無に近い。実力者と考えられる。ヒバリでさえ感じ取れるかが微妙なところだ。ヒバリ自身が瀕死であるからということもあるが。
「ぁ………?」
気配が止まった。ヒバリが視線を上へ向ける。
ぼんやりとした視界には、淡く光る1本の角が写った。その下には女体が着いている。実際は、角を額に生やした女が立っているのだ。
その女の正体は言わずもがな、特にヒバリはそれにすぐ気がついた。
「エリ……メア……か…」
「……………。」
返事はないが、肯定したような相手の雰囲気で、ヒバリは納得した。
「エリメア……私は今死にかけている………お前と戦える……自信が……ないんだ………。」
「……………。」
「私、は……愛弟を救わなければならない………こんな…ザマだが……」
視界が暗くなってゆく。瞼が重い。眠気が凄まじい。ヒバリの体は今、休眠を求めている。
ヒバリは、今エリメアがどんな表情をしているかさえ見えない。視界が暗すぎる。それでも、心の中には愛する弟の姿が見えていて。それを助けたいという一心でエリメアに縋る。
「頼む………私が言うのは……おこがましい話だ……呆れずに……聞いて、欲しい……」
「……………。」
「見逃しては………くれないか………」
エリメアがどんな反応をしたのかは分からない。だが、ヒバリの目の前に数秒とどまっていた気配は、ゆっくりとヒバリから遠ざかっていった。
見逃したのか、興味が無くなったか、死んだと思われたのか。どれだとしても、今のヒバリにとっては、この時間は救いだった。
「ふ…………」
情けない自身に対しての嘲笑が零れ、ヒバリはそれを最後に深い眠りについた。
1歩間違えれば、二度と起きることの出来ないほどの深い眠りに。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「ふむ………。」
崩れた60重塔の瓦礫の上。可憐な着物を揺らし歩く零亡は、瓦礫に埋まったライトを魔力だよりに探していた。
「まさか、この塔を破壊するとは思っても見なかった。油断も怠慢も許されぬ状況じゃな。」
妖術で瓦礫をはね飛ばしながら、零亡はライトのものと思われる魔力が埋まっている場所を掘り進んでいく。
と、掘り進んでいる途中で、ライトの魔力が急激に高まっていくのを感知した。
「ほう。」
零亡はその場から飛びず去る。途端、瓦礫に雷が直撃。爆煙と暴風を撒き散らしながら、瓦礫を全て灰にした。
「ゲホッ………ゲホ………はぁ………」
咳き込みながらも、命に別状はないといった様子のライトが、煙から這い出してきた。
「ふむ。なかなかのものよ。自身に魔力を直撃させずに、瓦礫だけを吹き飛ばすとは……制御はできるようじゃな。」
肩で息をするライトを優しく抱き上げ、自身の豊満な胸の中へライトの顔を押し込んだ。
「少し休め。ここを破壊されるとは思ってもみなかった。」
「……………。」
「して、輪廻はどこへ行ったか。妾はこの空間に用はない。早いことここから出てしまいたいところじゃが………」
零亡はライトの頭を撫でながら、爆音が鳴り響く街の方へ視線を向ける。
黒い魔力の塊が、もう1つの強大な魔力とぶつかり合っているのを感じる。待機がピリつき、緊張感が高まる。零亡は、この場所から一刻も早く、ライトを連れて避難したかった。
「姉さん………」
「『剣聖』か。実力者ではあるが、流石にあの者共とは対等には戦えまい。死んでるかもしれんな。」
「助け……ないと……!!」
「待て。」
ライトが零亡を振り切って街へ向かおうとするが、妖術によって引き止められてしまった。
「あ………」
「今のお前に何が出来るか。『剣聖』にも及ばない実力のお前が行くのは、死にに行くようなものよ。大人しく待つがよい。」
「うぐ………」
ライトは壁に叩きつけられ、地面から生えのびた蔦のようなもので全身を縛りつけられた。
「妾は輪廻を探す。お前はそこで待っておれ。必ず戻ってくる。」
零亡はライトに背を向け、爆音響く街へと足を向ける。輪廻を探し出し、この空間から抜け出すために。
だが、ライトは零亡をその場に行かせなかった。
「ま………て……」
「ふむ?」
「僕が行く……姉さんを……助けるんだ!!」
「お前が、『剣聖』を、助けると?角が生えた程度でいきがるでないぞライト。お前は動かずに縮こまってるが良い。無駄な犠牲を増やすな。」
「僕は………」
脳裏に浮かぶ。エレストでの騒ぎ。愛姉が冤罪をかけられ、囚われ、処刑されかけたこと。父を犠牲に、とんでもない化け物が生み出されようとしていたこと。
自分がもっと強ければ。そう思った回数など計り知れない。ライトはもう、そんな考えをしたくないと、エレストの騒動が収まった後に誓ったのだ。
前のようには逃げない。もう惨めに他人に縋ったりしない。
「逃げない縋らない泣かない。僕はそう誓ったんだ!!」
『鬼人化』が発動する。青緑色の雷を纏い、蔦が燃えて灰と化す。
「僕が行く。僕が姉さんを助ける。もう前みたいにはならない!!」
「お前一人で行けるか。世は甘くない。その程度で一瞬で砕かれるだけだぞ。」
零亡は閉じた扇子をライトを向ける。
「なにゆえ、お前はそこまで姉にこだわるか。血は薄い。容姿も似ても似つかない。微量に繋がっているのはいえ、何故そこまで姉に生きることを願う?」
「………姉さんが大好きだから。」
「何?」
返ってきた言葉は短く明瞭に響き渡った。瞬間、ライトの姿が消える。零亡は自身の横を、恐るべき速度でライトが通り抜けていくのを察知した。
「待てと言っているだろう!!」
「く………」
零亡もまた、恐るべき速度で反応を示し、妖術を持ってライトを縛る。
「邪魔するんですか!!」
「当たり前じゃ!!愛息子が死に場にのこのこ走るのを見届けるほど、妾は無関心ではない!!」
「チィ…………」
振り向いて激昴するライトに零亡は今までの落ち着いた雰囲気とは打って変わって、本気で怒号を上げてライトを制する。ライトは動かない体に舌打ちをし、全身に待とう雷を炸裂される。
「何を………」
「『轟雷』。」
ライトを中心に、大量の稲妻が放たれた。零亡は扇子を開き、自身に向かってくる稲妻を弾き消した。
「親心にも気付かぬのかライト………。」
「今の僕にとってそれは、親心でもなんでもなく、ただの邪魔です!!」
「く………愚か者め!!」
零亡が耐えきれないと、取り出した木の棒でライトを殴った。
「落ち着かんか。ここで待てと言っているのだ。聞こえないのか。」
「聞こえない聞こえない聞こえない!!僕は姉さんを助けるんだ!!」
「く………」
光り輝く稲妻の刃が、零亡を穿つ。木の棒で防いだが、ライトとの距離は離れた。
「よし。」
今のうちに、と、そう思ったライトの目の前に、ライト以上の速度で零亡が回り込んだ。
「な………」
「お前の速さは、妾の遺伝よ。」
高速に振り下ろされた木の棒が、ライトの脳天に直撃した。
「ん………ぐ…………。」
「お前の気持ちは分かった。」
零亡は項垂れるライトに語りかける。
「お前にとって姉がどれほど大切な存在かは理解した。」
「なら………」
「じゃが、やはり死に場に愛息子を行かせる訳には行かん。」
零亡は木の棒、否、バチを構え、
「妾を越えよ。妾の速さを超え、妾を圧倒せよ。さすればここを譲ろう。ライトよ。」
「………望むところ!!」
ライトは腕を交差して構える。
零亡はライトを鋭く睨みつけ、飛びかかる。ライトもまた、同時に飛び掛る。
2つの閃光が、交わりぶつかる。世界最速の戦いが、今始まった。