嘘の笑顔
迫る『ヒト』。その行く手を、地面から唐突に生え並んだ白い腕が阻む。
破壊を試みる『ヒト』。が、傷つければ傷つけるほど、白い腕は分裂し、増殖する。
やがてそれは、1人の『ヒト』の体を覆い尽くし、その強力な握力で握りつぶした。
血飛沫は上がらない。偽物の肉体は、真っ赤な内臓と内面を曝け出しながら地面にころがった。
別の『ヒト』が、崩れ落ちた仲間の肉体を喰らう。微量に能力が上昇し、目の前の腕を、刃と化した右腕で斬り裂いて強引に進んだ。
鋭い爪で肉体を抉られ、大腸小腸が露出する。だが痛みを感じない『ヒト』は、そんなことお構い無しに進んでゆく。
第1ウェーブ突破。
『ヒト』の視界に、たった今殺された仲間の姿が写った。
先程と同じように、地面から生えのびた白い腕に握りつぶされてしまったらしい。『ヒト』はその遺体の一部を手に取り、ゆっくりと自身の口に運ぶ。
無味の肉が胃に届いた瞬間、傷が塞がり、能力が微量に上昇する。
目の前の腕を斬り裂く。今度は一斉に。肘から上を失った腕は、瞬く間に増殖して再生する。その前に、『ヒト』はその腕を飛び越えて先へ進む。
第2ウェーブ突破。
歩む『ヒト』は、片腕をなくし、所々に大穴が空いた仲間を発見。
既に虫の息で、今にも闇の中へ意識を投じそうな、ほぼ屍のような状態だった。
『ヒト』は刃を振り上げ、死にかけの仲間を助けるでもなく、命の根源、心臓を1寸の違いなく刺し潰した。
肉を切り裂き、口に運び、それが喉をすり抜けていく感覚を味わいながら、『ヒト』は立ち上がった。
瞬間、高速で迫った光に、右腕をもぎ取られた。
もがれた腕が宙を舞う。そして、力なく落ちる腕は、地面に接する前に、続けざまに迫る光に消し飛ばされて灰となった。
痛みはない。だが驚きがある。『ヒト』は仲間の死体を切り分けて口に運び、腕を再生。ストック分として、一欠片の肉を握りしめて歩き出した。
その先には、またもや白い腕が生え並ぶゾーンがあり、『ヒト』を通らせまいと、今までの腕よりも積極的に『ヒト』の肉体を潰そうとした。
『ヒト』は、伸ばされた腕を躱すと、刃と化した右腕で斬り裂き、蹴りあげる。
全ての腕が見えなくなるほど小さく細かくなるまで斬り裂いた。白い粒子が舞い、『ヒト』は、腕の再生速度が完全に遅くなったのを確認して、その先へと進んでいく。
第3ウェーブ突破。
歩み続ける。前方から迫る光を躱し、地面から飛び出す腕を斬り裂き、仲間の死体を喰らっては歩んでゆく。
そして、ついに最後の壁と思わられる、今までの腕の2倍以上はあるであろう腕が生え揃うゾーンへと辿り着いた。
腕は高速で『ヒト』に迫る。能力が底上げされた『ヒト』は、傾けた体の横をとおりすぎてゆく腕を見つめながら、丁寧に全ての腕を斬る。
その戦いがいつまで続いたか。15分ほど経った所で、『ヒト』はついに、最後の難関を突破した。
第4ウェーブ突破。
内蔵は剥き出し。目玉は片方が何処かへ消え、左腕は失われた。
『ヒト』は、後ろの腕が再生する前にその場から離れていく。
その先は、腕が生える気配はなく、前方から飛んでくる光もない。
安全な場所へとたどり着いた。『ヒト』がそう感じ、はみ出す内臓を、ゆっくりと体内へ戻そうとした。真っ赤な、忠実に人間の物を再現した内臓を見つめながら。
『ヒト』が見た景色は、それで最後だった。
天空から振り下ろされた、金色に輝く鎖。それは瀕死の『ヒト』の体を容赦なく縦に真っ二つに叩き割った。
『ヒト』は、自身に何が起こったのか理解することが出来ぬまま、理不尽に意識を地獄へと叩き落とされたのだった。
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「結構ギリギリじゃない。」
「うん………サリエルが来てくれなかったら危なかったよ………」
「そうですねぇ。近づかれると私も撃ち抜けませんし、まだ上手く急所を狙えませんから。サリエルさんさまさまですよ。」
崩れゆく『ヒト』を見つめながら、鎖を纏う少女サリエルは、原野の隣に降り立った。
岩に寄りかかりながらぐったりとした様子の原野。広範囲に『死者の怨念』を配置、制御するのは、原野にとってはかなりの負担だったようだ。
だが、それもこれも全ては今の今まで寝ていたヒナを守るため。
回復して魔術を使える程まで元に戻ったヒナが寝ていた場所には、今はリンが寝ている。
両腕の骨が粉砕し、他の骨にも多大なダメージを受けている。
サリエルが少し使える回復魔術を何度もかけているが、一向に骨が治ってゆく気配がない。
「高谷君の血が欲しいね。こんな時こそ。」
「高谷さんはまだ異空間でしょうか。なかなか、帰ってくるのが遅いですねぇ。何かに手こずっているのでしょうか?」
「分からないけど、多分あっちも、私達みたいに何かを倒したらこっちに戻ってこれるんだと思う。何かと戦ってるのは間違いないと思うよ。それに、高谷君はきっと1人だけだと思うし………」
近づいてきた『ヒト』を鎖で引き裂き潰すサリエルは、自身が戦った『神殺し』を再現した諸刃を思い出す。
再現したといっても、その力量は大分劣っている。だからといって、全く手こずらなかった訳では無い。むしろ限界スレスレだったのだ。リンが両手を犠牲に捧げなければ、勝つことは出来ても、多少なり大怪我を負っていただろう。
リンには感謝しかないが、やはり『神殺し』の本来の力量は計り知れない。サリエルが本気を出して限界スレスレの諸刃。その諸刃は、本人の力の10分の1にも満たないのだから。
「……………」
快斗達の飛ばされた空間がどうだったかは知らないが、少なくとも、異空間では何らかのアクシデントを起こさない限り、時空の裂け目を作り出すことは出来ない。
だが、単に巨大な力で空間に傷を作ればいいという訳では無い。先ず、そんなことが出来る者はそうそういないが。
空間というものは複雑で、1つの空間は、別の空間といくつも繋がっている。異空間への道は、その空間の場所によって異なる。作り出された異空間だとしてもそれは同じことで、快斗、ヒバリ、原野、サリエル、リンは当たりを引いた、ということだ。
まぁ、当たりといっても、元の世界に通じる時空の裂け目は、目の前の試練を突破すれば出現するなど、容易に想像できるものだが。
そこら辺の知識は、このメンバーの中では高谷がダントツで詳しい。それに、魂に干渉されない限り死ぬことは無い高谷だ。心配入らない。と言いたいところだが……
「最悪、高谷君の『不死』に対抗しうる固有能力がある可能性だって十分にある。もしかしたら石になって帰ってくるかも。」
「こ、怖いこと言わないでよ……」
予想を無意識に口にしたサリエルに、原野が怯えたような様子で言う。サリエルは原野の頭を撫でて、
「大丈夫だよ。仮に石になって帰ってきても、原野ちゃんだったらそれを部屋に置いて楽しむでしょう?」
「何その偏見!?私はそんな変態じゃ……」
「えー。部屋でコソコソ1人で何してるのかなってこの前覗いたらさぁ。原野ちゃんはぁ、」
「ッ!!もう!!サリエル!!黙ってて!!ていうかいつ見たのそれ!!」
「さぁ?」
サリエルは原野に軽口を叩いて雰囲気を和ませる。怒り心頭な原野が、サリエルの体を何度も何度も殴る。「痛い痛い。」というサリエルの顔は笑っている。なおも続く原野の攻撃を、ヒナが後ろから捕まえて抑えた。
「余裕ですねサリエルさん。私なんてずっと気を張ってるのに。」
「私だって気張ってるよ?今だってほら。あっちで『ヒト』が鎖で死んだでしょ?」
「あ~~………ご愁傷さまです。」
『死者の怨念』でも、ヒナの矢でも死ぬ事が出来なかった『ヒト』は、無惨に鎖で叩き潰されていた。転がる死体の1部を見て改めて吐き気を催したヒナは、リンを寝かしている岩の上へと移動した。
「とりあえず見張りを続けますね。サリエルさんは少し休んでください。」
「大丈夫?」
「ええ。これくらいは。耳長族は索敵能力が優れてるんですよ。戦闘時になれば、ハーフの私でも落ち着いて索敵できます。」
「そう。じゃあ、頼んだわ。」
サリエルはヒナにそう声をかけると、岩の下敷きになっている輪廻の目の前に降り立つ。
「堕天使………!!」
「私の事、覚えてるんだ?」
「忘れるものか。貴様のせいで、どれほどの命が………!!」
「私には関係ないわ。それに、死んだのは人間とか動物とかじゃなくて、『天使』でしょう?」
サリエルは輪廻の前で煽るように体を回して、
「私にとって、天使なんてこの世界に必要ないのよ。死んだ方がマシ。」
「なにを………」
「よく聞きなさい。」
輪廻の首に鎖が巻き付けられ、その顔が力ずくで上に引き上げられた。
「私の声は、阿修羅にまで届いてるはずよ。」
「く…………」
「阿修羅、お願いだから、私の友達を傷つけないで。快斗君だって、傷つけたら許さないんだから。もし傷つけるのなら、あなたは昔から何も変わっていないのね。」
サリエルは、乱暴に輪廻の頬を叩いて弾いた。
鎖をしまい、サリエルは大きくため息を着いて原野の横へ座る。
「サリエル……?」
「なんでもないわ。気にしないで。原野ちゃん。」
綺麗な顔を笑顔で彩り、サリエルは原野に心配無用と伝えた。
その時の表情と裏腹に、原野はサリエルの内なる怒りと悲しみを感じ取った。
嘘で塗り固められた笑顔が、原野の記憶から離れることは無かった。