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3話 外の街

 太陽が真上に来た頃に、シャルが身を寄せている街についた。


 薄汚れて老朽化が進んだ建物が立ち並んでいる。行きかう人々の格好は、いまのミローディアの服が上等に思えるようなものだった。


 だけど市場には活気があり、人々のざわめきが支配していた。


「素敵な街ですね」

「本気で言ってるのか、お前」


 呆れたようなシャルに問われたが、笑顔を返した。そして歩きながら周囲の様子を見回すことに戻る。実に興味深く、新鮮な体験だ。


「なんだよ、そのはじめて下界に来たような反応は」


 内心を見透かされたようなことを言われ、ミローディアは動揺を押し隠して立ち止まり、シャルのほうを振り返った。


「歌姫とはそういうものですから。歌うため、響奏の秘密を保持するために、奏楽団からは本来、出られないのです」


 響奏を披露するためにどこかに赴くときも、舞台や会場ないし客の家まで使用人や衛兵が取り囲んでいる。知らない街に行ったところで、お決まりの有名どころに護衛と一緒に行くことがあるくらいで、自由に観光などできるはずもなかった。


 必要なものはすべて奏楽団が用意してくれるし、欲しいものがあればそれが入手しにくいものでもすぐに届けてくれる。


 歌の稽古のための人員はもちろん、同年代の少年少女から紳士淑女まで様々な人が訪れる。さらに奏楽団は類稀な才能を持っていたりなにかを成し遂げたりした人を客人として招き入れ、紹介してくれる。


 退屈する暇なんてないくらい、恵まれた生活をしているのだろう。だけどそれは誰かに与えられたものでしかない。お供もつけずにこうして自分の足で知らない場所を歩くなんて、はじめての経験だった。


 雰囲気を暗くさせるつもりなんてなくてなんでもないことのように言ったのに、シャルの表情が曇った。


「だったら……せっかく抜け出せたんだから、自分が行きたいところに行けばよかったんじゃないのか? 待ち合わせでオレなんて待ってないで」

「いいのです」


 それではわざわざ抜け出した意味がない。本末転倒だ。


「優しい怪盗さんに協力したくなったのですよ」


 なんでそこまで。そんなかすかな声が耳に届いたが、聞こえないふりをしてミローディアは足を進ませた。


「それに、おかげで夢がひとつ叶いました」

「夢?」


「私、もし歌姫に生まれなかったらどういう生活をしたのか考えたことがあるのです。きっと毎日贅沢なんてできなくて、暮らしが大変なこともあって。それでも普通の温かな家庭があって、普通に友達と街を歩いたり遊んだりしたのかもしれない、と」


 いくら同年代の若者を集めたのだとしても、使用人も機嫌を伺いに来るお嬢様方も、本当の友達ではないのだから。


「そっか。大変なんだな」

「いいえ。歌姫だったおかげでシャルさんと会えましたから」


 しばらくして、ふと路肩の露店に目が留まった。地面に座って品物を並べている店主。広げられた商品は、色とりどりの装飾品だった。


 普段身に着ける装飾品より遥かに安物のはずなのに、興味を惹かれた。この値段なら本物の宝石ですらない、模造石だ。だけど、だからこそ。


「欲しい?」


 不意にシャルに問われ、ミローディアは顔を上げた。


「え、いえ。先を急ぎましょう」

「ああ……いやその前に、もう昼だ。飯でも食ってくか」


 横道に逸れる道を指差し、シャルはそう提案した。




 響奏を歌うと、人々の顔に驚きが生まれた。


 願いを込めて歌う。伴奏も適切な設備もないけれど、この家の住人と集まった人々、シャルの恩人の助けになるように。


 もっとも、そのうちのひとりが床に伏せっているとまでは想像の範疇外だったけれど。


 歌が終わると、拍手が起こった。


「素晴らしかった」

「まさか本当に歌姫が……」

「疲れが取れたよ」

「歌姫様、すごーい! ありがとうっ」


 老人から子供まで様々な年代の人々が、素直な感謝の気持ちを口々に伝えてくれた。


 響奏で喜んでくれた人がいた、助けになった人がいた。それだけでここに来た甲斐があったというものだ。


 貧しい家の広間に集まる人々は、奏楽団の音楽会に来る観客たちよりもずっと満足そうな笑顔を浮かべていたのだから。


「聞いていただきありがとうございました」


 万感の想いを込めてミローディアは言った。


「礼を言うのはこっちです、歌姫様。まさかシャルが本当にあなたのような人を連れて来るなんて」


 家の住人である男性が頭を下げ、「そうだよな、父さん」と床に伏せっている老人に声をかけた。


「ああ……まさか生きているうちに響奏なんてものをじかに聴けるとは」

「これを聴いたからにはもう大丈夫だ、じいさん」


 老人を励ますようにシャルは言う。


「病気なんて、どっかに飛んでくって。だから弱気になるな。薬だってどうにかするから」


 シャルを助けてくれた家の家主は病気を患っているという。ミローディアの響奏は人間の心と身体を癒し自己治癒能力を高めるが、病気そのものは正規の治療を受けなければどうしようもない。


 歌姫なんて持てはやされていても、無力だ。


 人々の賛辞を受けながらも、ミローディアの心は沈んでいった。


「にしてもすごいよな、兄ちゃん。音を盗んで来たかと思ったら、今度は歌姫様を盗んでくるだなんて」

「馬鹿、今回は盗んだわけじゃねえ」

「じゃあ誘拐だ! さらってきちゃったんだ」


 シャルの周りに子供たちが集まるが、どうやら彼らの認識は事実とは違っているようだ。誤解は正しておこうと、ミローディアは彼らに近寄った。


「そうではありません。私はシャルさんに協力しているのです」

「わっ、歌姫様」

「えー、だって歌姫様や奏楽団って、いけ好かない金持ちってみんな言っ」


 子供の口が、その子の親と思われる女性の手でふさがれた。


「あらあらごめんなさいねえ、しつけがなってなくて」


 ごまかしの笑顔を無理やり浮かべた女性は、そそくさと子供を引きずって遠くに離れた。別に噛み付きはしないというのに。奏楽団に所属している者が庶民にどう思われているのか、よくわかるというものだ。


「悪いな。あいつらに悪気はないんだ」

「ええ。わかっています」


 悪いのは貧富の差が激しいこの世の中なのだろう。




 やがて集まった人々が帰って行き、それを見送っている最中にシャルが言った。


「綺麗な歌だよな」

「え?」


 独り言かとも思ったが、どうやらミローディアに話しかけたらしい。


「その響奏。いや、ディアの歌声が、かな」

「それは……お褒めいただきありがとうございます」


 でも、素直に喜べなかった。


「歌姫なんて称号をいただいているのですから、逆に素晴らしい一級の出来でなければ非難轟々ですけどね。実際――長く聴かれている方からは昔のほうがよかったとお叱りの言葉を」

「そんなの関係ないって。オレはこの前奏楽団の音楽会に忍び込んで、歌による響奏をはじめて聴いた。ディアの歌だ」


 シャルは奏音機を取り出し、それに目を落として言った。


「感動した。いままでに聴いたどんな歌よりも」


 言われ慣れているはずの賞賛の言葉。だけど、シャルの言葉は音楽会の客が言う上辺だけのものではなかった。


 頬が熱くなり、鼓動が高鳴るのを感じた。


 何故だろう、こんなことははじめてだ。はじめてといえば、名前を呼ばれたのもいまが初なのではないだろうか。


 普段はミローディア様、なんて呼ばれているが、シャルに名乗ったときは愛称で呼んで欲しいと申し出た。歌姫としての自分をほかの誰もそう呼ばない。彼からだけの呼ばれ方だ。


 それがこんなに嬉しいなんて、提案したときには思わなかった。


 頬を冷やすために顔を背けて頬に手を当てていると、どこからか乾いた拍手が聞こえてきた。


「いやあ、素晴らしいものを聴かせてもらったよ」


 振り返ると、ひとりの人間が手を打ち鳴らしながら近づいて来るところだった。銀髪に色素の薄い肌。薄汚れた旅装束を着た若者だ。


「お前旅人か? 呼んだ覚えはねえぞ」

「家の壁、薄いからね。嫌でも聞こえてしまったんだ」


 はあ、とミローディアは曖昧な返事をする。すると旅人は歌姫をまじまじと見つめた。


「にしても、こんなひなびた街で響奏を拝めるとはね」

「他言無用にしてくださるとありがたいのですが」

「どうしようかねえ。そこの彼は僕が気に入らなくてしょうがないみたいだし?」

「なんだよ、口止め料でも払えってか? 金ならないぞ」


「そんなものはいらないさ。ただね、君のような響奏師がいれば、ここに来る途中で遭遇した騒音獣も倒せるんじゃないかと思ってね」

「騒音獣?」


 どうやらこの時代の人間ではないシャルは知らないらしい。ミローディアもそこまで詳しくはないが、声を潜めて説明することにした。


「その名の通り、周囲に騒音を撒き散らす存在です。実体のある獣かどうかははっきりわかっていませんが」

「へえ、そんなものが……」


 納得したようだが、シャルは不意に言葉を切る。その顔には、なにかに気づいたような表情が浮かんでいた。


「その騒音獣、どこにいたって?」

「退治する気になったのかい。それは僥倖。では場所を教えよう」


 口先ばかりでその実ろくに喜んでもなさそうな態度。つかみどころのない旅人だ。


 旅人が教えてくれた場所は、この街と奏楽団のある街の間にある森の中だった。


「それでディア、騒音獣って響奏で倒せるものなのか?」

「攻撃的な効果のある響奏を使える響奏師なら倒せるかもしれませんね。私の響奏では無理かもしれません」


 癒しの効果では、どうあがいても人間に害をなす生物と思われるものを倒すことはできないだろう。


「でも、騒音獣がオレが考えたものなら……」

「考えというと?」


 旅人が話に入ってきた。


「まだいたのかよ。ひとまず見に行ってみて倒せるなら倒す。だからもうお前には用なしだ」

「頼んだよ。あと、彼女の力は必要になるだろうから連れて行ったほうがいい。では、また」


 ひらひらと手を振って旅人は去って行った。


「もう会いたくないっての」

「そうおっしゃらずに。あの方がこの街に滞在するのなら、これから顔を合わせることもあるでしょう」

「ああ――どうかな」


 ありえそうな未来を言ったつもりだったのに、シャルの反応は芳しくなかった。そこまであの旅人と顔を合わせたくないのだろうか。


「では行きましょうか」

「そうだな。その前に、ちょっと挨拶してくる」


 家に駆け込んだシャルは、なかなか戻ってこなかった。


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