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1話 歌姫と少年

「聞いてください」


 舞台に立ち、そう宣言して歌姫は歌い始める。人々の心と身体を癒すために。


 比喩的な意味合いではない。聞いた者に込められた効果を発揮する、特別な力がある歌、あるいは旋律。それが響奏(きょうそう)だ。


 街の人々のために、集まってくれた観客のために、歌姫は癒しと安寧の歌を歌う。


 世界の平穏を、みんなの幸せを願って。楽師によって演奏された旋律に詞が乗り、優しい物語を紡ぎ出していく。


 この街ロンターノで一番広い屋外の舞台に、よく晴れた空に、歌を響かせる。


 これが響奏の力を授かった歌姫の仕事だ。


 現在、楽器を用いるのではなく歌声で響奏を奏でられる人間は限られていて、ミローディアはそのわずかな響奏師のひとり、歌姫の称号を賜った存在だった。


 淡い茶色の長い髪を華美になりすぎない程度に整え、舞台に上がるときは清楚な淡い色のドレス。癒しの力を持つ歌姫と聞いて人が思い描く姿をそのまま形にしたかのような姿で、少女は歌う。


 緑の瞳は視力が弱いが、それすら特殊な力を持つ故の欠落のように宣伝されていた。


 もっとも、響奏の恩恵を受けられるのは音楽会に来られる上流階級の者のみだ。響奏だけではない。音楽を楽しむ時間的金銭的余裕がある人は、限られている。


 だからなのか知らないが、最近音を盗む怪盗が世間を騒がせているらしい。音楽なんて形のないものをどうやって盗むのだろう。


 規定通り数曲こなして一礼すると、観客から盛大な拍手が巻き起こり、賞賛の声が聞こえてくる。しかしそれは、響奏の恩恵に慣れてしまった上っ面だけの賛美だ。


「安らぎの担い手、歌姫ミローディア様の響奏、お楽しみいただきましたか? 次は管弦楽団による――」


 司会者の案内を聞きつつ、歌姫は舞台から裏手へ引っ込んだ。これで今日の仕事は終わりだ。


 あとはいつも通り音楽会終了後に社交の場に出て観客の相手をし、それから歌の稽古。頭に描くまでもない、繰り返される決められた予定だった。


 だけどいま、奏楽団には外部からの客人が滞在している。一度話をしてみたが、なかなか刺激的だった。また会う機会があればいいのだけれど――などと考えながら控え室に向かっていると、廊下で言い合う声が聞こえた。


「なにかありましたか?」

「ああ、ミローディア様」


 衛兵が気付き、焦ったように歌姫のほうを向いた。彼の前にはバツが悪そうな顔をした少年が立っていた。


 くすんだ金髪で、平民が着るような簡素な服。細い手足と薄い体つきは成長途中の少年のもので、背丈はミローディアより少し高いくらい。二、三歳ほど年下だろうか。


 青灰色の瞳と、一瞬視線が交錯する。


「こいつ、どうやら奏楽団の中に忍び込んだようなんですよ。まったく、新しく雇われた雑用係だなんてすぐ露見するような嘘を吐いてまで……」


 なんだか面白そうなことが発生したようだ。ミローディアはにっこりと営業用の笑顔を浮かべて衛兵に言った。


「その通りですよ。彼は新しい雑用係見習いです」

「……は?」


 目を丸くして衛兵は少年と歌姫を見比べた。ミローディアを見る目が泳ぎ、挙動不審になっていく。


「いやそんなまさか……」

「まあ、私の言葉が信じられませんか」

「それこそまさか! し、失礼致しましたっ」


 勢いよく敬礼すると、衛兵は小走りで廊下の向こうへと去って行った。廊下には静寂が訪れる。


 しばらくして、少年が口を開いた。


「いいのか? 天下の歌姫様ともあろうお方が嘘なんか吐いて」

「人間ですから嘘のひとつやふたつ、吐いて当然です。さて、ひとまず控え室に行きましょうか。ほかの方にあれこれ詮索されるのも困ります」


 それだけ告げると、少年の返事を待たずに建物内にある控え室に向かった。やがて後ろから足音が続く。ミローディアは控え室に入り、少年が入ったのを確認してから扉を閉めた。


 椅子をひとつ少年に勧めると、少年は訝しげな顔をこちらに向けた。部屋の主が自分の椅子に腰掛けても、彼は腰を下ろそうともしない。


「……なんのつもりだ? どうしてオレを助けた」

「あら。こういうときは、素直にありがとうと感謝しておくのが正解ですよ」


 水差しからふたつのグラスに水を注ぎ、自分の分を飲み干す。


 少年は自分の前に出された水を見下ろし、手をつけずに反論し出した。


「あのな、歌姫様。オレが極悪非道な悪人だったらどうするつもりだよ。ふたりきりになったところで刃物を向けられでもしたら」


「ミローディアと申します。歌姫ではなく、ディアとお呼びください。それで貴方のお名前は?」


「シャル……ってそうじゃねえ! こっちの質問に答えろ」


「少しお話をしたいと思ったからですよ。現在世間を騒がせている怪盗さんが、せっかくこの奏楽団までいらしてくれたのですから」


 青灰色の瞳に驚愕が浮かぶ。


「……なんでわかった?」

「ああ、やはりそうなのですね。当たってよかったです」

「はったりだったのか?」


「音が盗まれているという話を聞きました。響奏を披露する公演にその怪盗が出てもおかしくない、その舞台に忍び込もうとしたあなたがそうかもしれない、と思ったまでです」


 もっとも、証拠なんてなにもないただの勘でもあるが。


 しかし、この繰り返すばかりの束縛された退屈な日常において、刺激はなによりも代えがたい。閉じた奏楽団に騒動の種が紛れ込んできてそれを運よく発見できたのなら、それを易々と逃すことなんてできなかった。


 返答を聞くと、シャルは目を閉じ頭をかいてから、音を立てて椅子に腰を下ろした。


 話をする気になってくれたらしい。よかった、と内心でこぶしを握りしめてから話の続きを口にする。


「それでシャルさん。いま話題の怪盗さんなのですよね? 音を盗むという」

「そんな洒落たもんじゃない。ただの泥棒だ」


 泥棒はないだろうに。怪盗のほうが、浪漫があるではないか。


「どうやって音を盗んでいるのです?」

「秘密」


 ここではじめて、シャルは辟易したような顔から笑顔になった。こちらのほうが素なのか、人好きのする笑みだ。


 それはそれとして、質問に答える気はないようだ。もっとも、いままで盗みに成功し続けている泥棒が手の内を明かしては差し障りがあるのだろうが。ここまで来て寸止めでは、面白くない。


「……衛兵さーん、ここに泥棒さんが」

「あーはいはい言います教えますっ」


 シャルの焦った声が、ミローディアの上げかけた呼び声に被さった。そして彼は懐から手のひらに乗る大きさの小さな薄い箱のようなものを取り出した。箱からは細い紐が伸びている。


「これを使った」

「なんですか、こちらは」

「演奏録音装置」


 シャルが答えた耳慣れない言葉を、途切れ途切れに繰り返す。


「演奏、録音、装置……?」

「通称奏音機。これで録音再生できるってわけ」

「録音……音を記録するということですか?」


 そう、と頷き、シャルは箱から紐を引き抜くとなにやら操作した。


 すると、音が箱から聞こえてきた。聞き覚えのある旋律。歌姫がここ最近歌っている響奏のひとつだ。


「まあ、すごいですね!」


 音楽技術の粋が集う響奏の本場、奏楽団に長年所属しているというのに、音を記録して再び奏でられるようなものがあったなんて知らなかった。しかも奏音機から発せられる音色は澄んでいて、雑音のひとつもない。


 しかもわずかながら、響奏の効果が生じたようだ。歌って疲れた身体が少しばかり回復したのを感じた。響奏は歌や演奏を奏でる本人には影響は出ないので、自分の歌で癒されるというのも変な感じだ。


 音の広がりや迫力は生歌に比べるべくもないが、これだけのものを目の前に提示されてミローディアは感嘆した。


「こんなものが巷では出回っているのですか。不勉強ゆえ、存じ上げませんでした」

「……いや、出回っちゃいないさ」

「ではお作りになったのですか? 発明家さんでしたか」

「まさか。使い方はわかっても、こんなの一から作れる技術は持ってねえよ」

「ではどうして?」


 手を口元に持っていき、シャルはわざとらしく咳払いした。


「オレがこの時代の人間じゃない、って言ったら信じるか?」


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