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1話 三歳と恐怖症

「…ちちうえって、あんなにこわかったでしょうか?」


 三歳の誕生日の日に、前世の記憶という大量の情報を脳に叩きつけられたインフィニクス王国の第一王子、ウォルプタース=ノクス=インフィニート=レクス。

 先日前世の記憶が蘇った彼は、大量の情報にオーバーヒートを起こした脳の影響で熱を出し、一昨日まで寝込んでいた。

 そして昨日行われたのは、数日遅れた第一王子の誕生会。

 この国の王族と貴族は、五歳でお披露目となる為に四歳までは内々で祝うのが通例で、昨日もその通例に漏れず少人数で行われた。


 参加者はウォルプタースの父である国王、母である側妃、そして王子が三歳である残り一年間でお勤めが終了する乳母だった。

 もちろん、会の主役である幼い王子と、各々の従者数人もその場にいたが、同じ席に着く事はない。

 ただ、正妃は参加していなかった。

 側室と正室合わせて二人しかいない妃達は、特に仲が悪いわけではない。

 単に、もうすぐ一歳となる正妃の息子を放置しておけず、かといって共に参加するとウォルプタースとどちらが主役か怪しい事になってしまいそうな為、と彼女自らが辞退しただけだ。


 当然、ウォルプタースが問題視しているのは、正妃達の事ではなかった。

 では一体何が問題なのかと言うと、いつも無表情な国王である父が、今までと比べようもない程怖かった事だ。

 前世の夢を見るまで、父は自分の失敗を叱る為に目を光らせているだけだと、ウォルプタースは思っていたのだが…。

 今は、違う。

 幼い王子には、彼がいかにしてウォルプタースを自分好みの子供に育て上げ、美味しく頂くか等、何か企んでいる事を隠している策謀系エロ親父にしか見えなくなっていた。

 前世の自分、萌花(もえか)ならば「王様、両想いになると良いね。…権力で縛ったら許さないけど」と、呑気に眺めていられたのだが、いかんせん問題の対象はウォルプタース自身。

 そんな他人事のように呑気な事など、言っていられるはずがない。


 何せ前世の自分には、隠し事をする際、表情が乏しくなるという知人が数人いたのだ。

 ここは彼女の世界とは違う世界だと幼いウォルプタースにも理解できてはいたのだが、人間である事には変わりがない為、どうしてもそんな疑いを持ってしまう。

 それで冒頭の言葉をこぼしてしまった訳だが、タイミングが拙かった。


 一応、ウォルプタースが前世の記憶である、あの忌々しい夢を見ていなかったのであれば、特に問題は無いタイミングではあった。


 何故なら今は、三歳になったからと開始された座学の時間。

 五歳までの間、基礎中の基礎は第一王子の専属従者である、プルーデンス=アダマース=コメスが教える事になっている為、現在はウォルプタースの部屋で彼と二人きり。

 頼りの乳母は、きっと昼食の時間にならなければ戻って来ない。

 幸いな事に本日の座学は、既に読みだけは完璧な肌文字と言われる文字の表をひたすら書き写す事だった為、近くにいたら気が散るからと、少し離れた位置へ追いやる事に一応は成功していたのだが…。


 集中力が足りなくなった切っ掛けは、前世の記憶に出て来た漫画を描く道具と酷似した形の付けペンが、予想以上に紙へと引っ掛かった事だろう。

 しかも紙はぱっと見ただけでも全体的に引っ掛かりそうな見た目の為、紙に書く間は全てにおいて引っ掛からないよう注意しなければならないのだ。

 結局、紙に引っ掛かった付けペンが小さな霧吹きのように黒いインクを撒き散らす、という失態を何度も繰り返してしまい、それによってガリガリと集中力が削られ、ついに独り言を漏らすに至ってしまったというわけである。

 ウォルプタースが自分で自分の苦労を無駄にしてしまった瞬間だった。

 いくら知識だけは前世の分までプラスされて思考能力も高まったとはいえ、経験に関しては三歳児でしかないが故とも言える。


 当然、ウォルプタースの不穏とも言える一言を耳にしたプルーデンス……今現在、先生の役目を務めている十四歳の少年は、幼い主に近寄り隣から尋ねた。


「殿下、何か心配事が?」

「…え、―――っ! ひぅあっ!?」

「殿下っ!!」」


 結果、ガタタンッとけたたましい音を立てて、ウォルプタースが座っていた豪奢な椅子が、横倒しになる。

 …体が、反射的に己の専属従者から逃げようとしたせいで。


「――…殿下、お怪我はありませんか?」


 しかし、逃げようとした体は、対象に掴まえられていた。

 もちろん、ウォルプタースを掴まえた張本人であるプルーデンスに、この時点で悪意など無い。

 傍から見ても判る通り、倒れる椅子に巻き込まれないよう、咄嗟に幼い王子を両腕で抱き上げただけであり、誰が見ても善意、もしくは専属従者としての義務感であると判るだろう。

 ウォルプタースだってそれを理解できては、いた。

 それでも今、幼い王子は己の体に起きている現象を止める事ができなかった。


「…殿下?」

「っ! ……っ!!」


 銀の大きな目を零れ落ちんばかりに見開き、カチカチという音が止まらない口内。

 いつも軽く赤みが差していた頬からは色が抜け落ち、全身の筋肉が硬直したかのように動かない。

 呼吸は浅く早く乱れ、それなのにどこか息を殺すかのように音を消していて、肺まで空気が届いているのかも少々怪しかった。

 明らかに、恐怖からくる反応。

 当然、異様な事態に気付いたプルーデンスはウォルプタースに声を掛けるが、その成果は芳しくない。

 しかも専属従者である彼にとって幸か不幸か今までこんな事が無かった為、よもや原因が自分だという予想は欠片も出て来るはずがなかった。

 だからこそプルーデンスはまず、毒を疑った。

 時々熱で寝込む事になる幼い王子を知っているが故に、いつもの体調不良でない事だけは、一目で判るのである。


「殿下、医務室へお連れします! 今しばらく、辛抱なさってください!」


 彼は顔色の悪さから一刻も早い処置が必要だと判断し、体をあまり揺らさない為にもウォルプタースをキャッチした時のまま、寝せる事無く縦抱きにして扉へと向かう。

 そして扉を開けようと片手を伸ばしたところで、自動的に扉が廊下側へと開いた。


 当然、王子の部屋の扉に、自動開閉機能など無い。


 開けたのは、ウォルプタースの乳母、エレジー=テネブライ=コメス。

 ガラスのフードカバーで覆われた柑橘系の実が浮かぶゼリーと、紅茶のセットを載せた小型のワゴンを、ちょうどここまで押して来たところだったのだ。

 彼女はウォルプタースの母である側妃の叔母であり、闇の番犬テネブライ伯爵家に名を連ねたままの、所謂嫁に行き遅れた淑女。

 側妃の父である現テネブライ伯爵家当主によって、お行儀見習いとして王城へと送られていたのだが、本人曰く気が付けば第一王子の乳母に選出されていたという、一種の運と才能の持ち主でもある。


 そんな彼女が初めての座学を行う王子の為に、一息吐けるよう手配してやって来たタイミングが見事に重なったわけだが、もちろん彼女だってここまでは予想できなかった。

 扉を開けるとすぐそこに、強張った顔をした王子の専属従者の少年と、彼の腕に収まって青い顔で震える幼い王子自身がいるなんて、普通は思わない。


「あら? 殿下にルーデン君……?」

「エレジー殿、殿下が急に…!! 毒かもしれません。一刻も早く医務室へお連れしないと!」


 だが、そこは闇の番犬テネブライ伯爵家の人間らしく、毒という言葉にすぐさま驚きの表情を浮かべていた顔を引き締め、ここまで押して来たワゴンを王子の部屋の隅へと素早く押し込み、プルーデンスの背を押して廊下へと移動させた。

 あまりの素早さに、一瞬プルーデンスの思考が追い付かなかったぐらいである。

 ここだけ聞くと、国で三つ指に入る剣の腕もたいした事が無いように思えるわけだが、闇の番犬テネブライ伯爵家自体が他の貴族と一線を画す変わり種の為、このインフィニクス王国内では伯爵家と他の者を比べる者は中々いない。

 ただし、三つ指に入る、剣を使う者達が気にしていないか否かについては、別である。


「殿下の飲食物については、わたしの方が詳しいわ。殿下はわたしがお連れするから、ルーデン君は陛下へ報告を」

「っ、お願いします」


 本当に毒ならば、専属従者のプルーデンスと乳母のエレジー二人の失態と言っても過言ではない。

 この事態を報告する事に対し、とてつもないプレッシャーをプルーデンスは感じていたが、それでも報告しないわけにはいかなかった。

 何故なら毒である場合、狙われているのはウォルプタース王子一人ではなく、王族全体が対象の可能性もあるのだ。

 ここで報告が遅くなり、別の王族まで被害を受けようものなら斬首ものの話へと発展する。それだけは防ぎたいのが、プルーデンスの本音だ。

 現在の国王陛下が即位してからというもの、先代まであった、何か不祥事が起きれば一族郎党処罰やら、当主は男でなければならないやら等、いくつかの風習が廃止されてきている為に家族への心配が少ない事だけは救いだったが。


 と、そこで問題が起こる。


「……ルーデン君?」


 幼い王子をプルーデンスがエレジーに渡した一拍後、エレジーがニコリ、と笑みを浮かべたのだ。

 ただし、声と彼女が醸し出す空気は笑っていない。

 理由はハッキリしていた。

 彼女の腕の中へと移った王子の震えが一瞬にして収まり、目を見開いたまま真っ青になっていた顔色が元に戻って、涙をこぼし始めたのだ。

 しかも王子の小さくやわらかな手は、しっかりと己の乳母の服を握りしめている。


 そう。

 途中から来たエレジーからすると、可愛い王子が今まで異常事態に陥っていた原因は、どう考えてもプルーデンスだとしか思えない変化だった。

 王子の突然の変化に呆然としていたプルーデンスも、エレジーの声によって自分の置かれた立場を瞬時に理解し、狼狽える。

 闇の番犬テネブライ伯爵家のエレジーが、そんなプルーデンスの反応を見逃すはずがなかった。


「ちょ、ちょっと待ってください! 俺…違っ、(わたくし)は何もしていません!!」

「…それなら、殿下が怖がっている何か(・・)からお救いしなかった為、ということね?」


 何故か状況が、プルーデンスにとって理不尽な話へとシフトしていく。

 ただ、彼は運が悪いわけではなかった。

 何故ならプルーデンスは当時十三歳にして、第一王子の専属従者になる為の厳しい選抜を乗り越える事ができたのだ。

 当然、実力と家名の影響も大きかったのだが、数十人の中からたった一人を選ぶそれに運が無い者が通るのは非常に困難を極めただろう。

 我に返った幼い王子が口を挟んできたのも、一重にプルーデンスの強運からくるものであった。


「まって、エレ。ルーはわるいこと、なにもしてないです」

「殿下…!」


 プルーデンスが安堵のこもる声を上げる一方、ウォルプタースはへにゃりと眉尻を下げ、一生懸命に言葉を紡ぐ。

 安堵により涙をこぼしてはいたが、きちんと二人のやり取りを聞いていたのだ。

 そもそもの原因が自分の前世にあるというのに、プルーデンスが悪者のような扱いをされるのは、流石に申し訳なさ過ぎたのである。


「…それなら、さっきまでは何に怯えてらしたの?」


 エレジーの疑問は、最もだった。

 何せプルーデンスが原因でないならば、暗殺者でも侵入しない限り幼い王子を自室で恐怖させる要素なぞ無かったはずである。

 エレジーは、本日から始まる勉強が始めての行為な為、少々恐ろしかったのかという考えがチラリとだけ頭を過ったが、すぐにその考えを消した。

 そもそも本日は肌文字の書き写しのみであり、既に完璧に読める王子が恐怖するとは思えないからだ。


「…ゆめで……」

「「夢?」」


 そして王子の専属従者と乳母の耳に届いたのは、何とも言い難い単語だった。

 そういえば、とプルーデンスは思い出す。

 確か幼い王子はつい先日、自身の誕生日になろうかという時刻に叫びと共に飛び起き、異様に怯えていたのではなかったか? だか、あれから数日経っている。

 プルーデンスは何となく心当たりがあったものの、確信は持てなかった為、エレジーの腕に収まっている王子に話の続きを促した。


「ゆめで、いろんなおとこのひとたちが、おなじおとこのひとに、こわいこと、して……」


 たのを見たんです、という、言葉の最後につくべき部分は掠れて二人の耳には届かなかった。

 たったそれだけの言葉で、ウォルプタースは体を大きく震わせる。

 当然、意識的な動作ではない。

 自分の反応のせいであらぬ疑いを掛けられている専属従者を助けるには、あの恐ろしい漫画のストーリーを口で説明しなければならないのだ。

 その為には、どうしても脳裏にあの恐怖の漫画を思い浮かべる必要がある。

 ウォルプタースは、己の乳母であるエレジーの服を握りしめる事で恐怖に耐え、どうにか続きの言葉を絞り出した。


「ほかのひとをみてほしくないから、と、ルーよりもちいさなひとを、かぎのかかったへやにとじこめたり…、だれにもわたしたくない、と、こんやくしゃがいるひとのてあしをきり、おとして、じぶんのへやからでられないように、したり…、すきだからからだだけでも、と、おくすりでねむるひとをしばって、おしりにおおきくなったはいせつきを、さして、ちをながさせ―――」


 部屋から出られず、何をされるかわからない恐怖に泣き叫ぶ少年。血溜まりの中、痛みと失血に失神し、再び目を覚ませても命の危機に怯え続ける青年。目を覚ませば心当たりのない場所が痛み、友人だと思っていた人物から自分の知らない時間の事で脅される成年。突然家に押し入られ、刃物を突き付けられた状態で服を脱がされる壮年。家への道のりを塞ぐように現れた車という乗り物へ押し込められ、暴力によって体を弄ばれる少年。


 前世の記憶から掘り起こされる恐怖のストーリーが、次々とウォルプタースの脳裏を駆け巡ってく。


 その暴力によって支配されてしまう者達は皆、今の幼い王子と同じように無力だった。

 だからこそ、ウォルプタースは自分に重ねて認識してしまうのだ。

 …これから自分の身に降りかかる可能性がある事として。


「「―――殿下!!」」

「っ!」


 びくりと、ウォルプタースの体が大きく跳ねる。

 続いて周囲をきょろきょろと見回したのは、仕方のない事だろう。

 その幼い王子の反応にプルーデンスとエレジーはぎゅっと唇を噛みしめたが、当のウォルプタースは身に危険が迫っていないかを確かめる事に意識が向いていて、気付けない。


「…ルーデン君、行き先は魔法庁の方が良さそうね。本当は殿下の行動を一番把握している貴方が行って、私は陛下へ報告に上がった方が良かったのだけど……」

「先程のご様子から、エレジー殿が居た方が良いでしょう。殿下の言葉から推測するに、(わたくし)以外にも同じ反応をする可能性があります」


 何せ魔法庁に限らず、王城内にある庁舎で働く人員は、八割から九割が男性なのだ。

 ウォルプタースの話に出て来た人物は全て男性であり、怯えられたプルーデンスも男性。

 その共通点は無視できるものではなかった。

 これが正妃の子である第二王子の身に起きた事であれば、また話は違ったのだが、居ない者を頼れるわけがない。


 そう。

 ウォルプタースが現在住んでいる側妃用の後宮・月の宮には、最低限と言えるかも怪しい人員しか配置されていなかった。

 プルーデンスとエレジーの他に仕える者といえば、側妃であるレーヴ=アーテル=インフィニート=レクス専属の女官一名に召使い一名、そして月の宮の出入り口を警備する交代制の衛士が二名だけ。

 よってウォルプタースに何かあった際の初動は、基本的にプルーデンスとエレジーの二人だけで対応するしかないのだ。


「仕方ないわね。行きがけにレーヴ様にお伝えして、陛下への報告は魔法庁で検査し終わった後か、レーヴ様にお任せする事にしましょう」

「ごめん、なさい…」

「…殿下、そのお言葉は不要です。これは殿下ではなく、陛下が気になさるべき事ですから」


 エレジーの嘆息にウォルプタースは反応する。

 前世の記憶がある為に、月の宮の人員が少な過ぎる事に気付いているのだ。

 だから迷惑をかけてしまったと思い謝罪を口にするも、プルーデンスが柔らかな微笑で否定する。

 あんなにウォルプタースは怯えてしまったというのに、安心させようとしてくれているのだ。


 けれど、彼が幼い王子の頭を撫でようと伸ばしてきた腕に、ウォルプタースは身を竦ませた。

 気まずげな顔をして腕を下ろす従者へ、謝る事しか、できなかった。

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