プロローグ 前世の目覚め
書き溜めしていない為、更新はカメさんです。
高確率で数ケ月かかります。
「わあぁっ!?」
ばさり、とその幼い体に見合わぬ大きなベッドの上で、彼は跳び起きた。
銀の目に不安の色を滲ませて、周囲をキョロキョロと見回し始めた彼の目にハッキリと映るのは、カーテンの隙間から僅かに零れる月明りだけ。
本日、三歳の誕生日を迎える彼は、このインフィニクス王国の第一王子、ウォルプタース=ノクス=インフィニート=レクス。
王位継承権第三位の王子であり、側妃の子だ。
この歳にしては利口であると評判で、同い年の子を持つ貴族達からも一目置かれた存在だった。
その彼が、いつもの将来を期待させる凛とした顔を大きく歪ませ、恐怖に怯えているのも無理は無い。
原因は、先程まで見ていた、とある夢。
「殿下! いかがなさいましたか!?」
幼い彼の叫び声に駆け付けたらしい若者の少々しゃがれた声が、扉を殴り開くような荒々しい音と共に部屋へと響き渡る。
ウォルプタースは、ビクリと大きく肩を揺らした。
王子のその仕草に気付かない若者…―――、いや、姿だけを見るならば少年と言っても差し支えない姿の彼は、その手にあるランプ型の光源と共に、広い部屋の中心に置かれたベッドへと足早に近付いていく。
普段ならば光を宿す魔石が埋め込まれたランタンによってもたらされる明かりは、ウォルプタースを落ち着かせるものだった。
けれど今はそんな効果など、欠片も無い。
「だっ、だいじょうぶです! あ、あの、えっと…。そう、ゆめがとてもこわくて…!!」
「殿下…? もしや、また発熱が始まりましたか?」
少年が近付くのを拒むようにウォルプタースは大きく声を張り上げたが、その少年には全く通じない。
それどころか、普段から体調を崩しやすい王子の身を案じて、さらに距離を縮めてくる。
そしてウォルプタースが身を起こしているベッドへと辿り着いた彼は、幼い王子へ向かって手を伸ばした。
「ひっ!」
「…やはり…。殿下、ひどい熱ですよ。そのせいで悪夢を見たのですね。医師を呼んで参ります。眠っていても大丈夫ですよ」
「………」
少年はウォルプタースにそっと囁いて言い残すと、幼い主の柔らかな夜空色の髪をかき分けて額に当てていた手を離す。
続いて幼子を安心させるかのごとく柔らかな笑みを見せ、踵を返して扉へと歩いて行った。
その後ろ姿には、ウォルプタースの寝室の扉を開けた時の焦りなど、欠片も残っていない。
広い部屋の中心にあるベッドの上に残されたウォルプタースは、彼が自分から離れた事に安堵の息を吐きながらも、ショックを隠せないでいた。
今、医師を呼びに出て行ったのは、乳母の次に信頼していたはずの専属従者だった。
彼は土の元帥アダマース伯爵家の次男坊、プルーデンス=アダマース=コメス。
ウォルプタースは個を指す名と家名の間にあるべき彼の隠し名を知らなかったが、通常隠し名とは自分と肉親、そして婚姻を結んだ相手のみが知る名の為、何の問題も無い。
ちなみにプルーデンスは在学中に二回飛び級した上、去年騎士学校を次席で卒業した実力者で、魔法の才能には恵まれなかったものの、剣の腕だけならば現在僅か十四歳にして国で三つ指に入る程。
その彼に対し、幼い王子は自分が恐怖を抱いた事に、大きく動揺していたのだ。
上手く口が動かせない頃、言葉を話す練習に根気強く付き合ってくれ、つい昨日だって知らない言葉を幼いウォルプタースにも解るような言葉へと何度も噛み砕き直し、丁寧に教えてくれていた。
ウォルプタースが体調を崩すといち早く察知し、寝込む程となると甲斐甲斐しく世話を焼いてくれていた彼に抱いた恐怖。
それは全て、あの悪夢が原因だった。
ウォルプタースは思い出したくも無いのに、勝手に脳が夢の記憶を反芻する。
どう見てもこの国ではないと判る風景。
とても高い直方体の、ビルという建物が、群棲するかのように立ち並ぶ街。
石材で作った、天井を支える事のない柱である電柱という物を、毛糸よりも太い電線という物を使って繋ぎ、各家々へ供給される、魔法の雷とは違う電気というエネルギー。
“彼女”が真面目に勉強したであろう小学校と中学校という、十五歳までの子供達が通う学校での学問。
苦戦した事がよく判る、高校と大学という、中学校を卒業した者の中の希望者が通う学校での事。
そして彼女の仕事と趣味、事故で死亡する寸前までの記憶だ。
だが今の幼い王子に最も影響を与えたのは、彼女…前世の自分である、故・深見 萌花の趣味、いや、彼女と同じ趣味を持つ友人が押し付けた物に関する記憶だった。
萌花は少女漫画家を目指していたにも関わらず、とある種類の漫画をこよなく愛していた。
それは、下は外見幼児から上は外見中年までの男達がほぼ全裸で組んず解れつし、最終的には色々な意味でベタベタな展開になる様が描かれた、書籍のようなソレ。
所謂、成人向けBL漫画だ。
将来的に世継ぎが求められる幼児が見るには教育に悪過ぎる内容が大量に含まれていたが、生憎前世の彼女は転生を信じていなかった為、当然来世の幼児時代への配慮など一切無い。
しかも最悪な事に萌花の記憶には、彼女が好きな相思相愛でハッピーエンドな物だけでなく、腐女子友達から押し付けられた一方的もしくは愛の無い暴力的……無理矢理致すは軽い方、下手すると監禁、切断などの流血沙汰な物まで含まれていた。
相思相愛の漫画だけであれば、恐らく王子は恐怖する事も無く、ただの知識として受け入れていただろう。
だが、幸か不幸か、萌花の友人の趣味である漫画の記憶まで脳に叩き込まれた王子は、目覚めた一瞬でこう思った。
このままじゃ、男に殺される!
ここでウォルプタースがそう思わなかった場合、萌花が攻略本のみ見て積みゲーとなっていた乙女ゲーム『こっちも向いて』の設定通り、王族という子孫を残さなければならない立場でありながら、女性恐怖症の同性愛者な青年へと育ちかねなかった事を、彼は知らない。
そして幼い王子は自分の身の安全を確保する為にも、夢を媒体に叩きつけられた前世の情報にまで手を伸ばし、対策を考え始めた。
ちなみに、いきなり脳内へと滑り込んだ情報をウォルプタースが前世と断定しているのは、一重に萌花が読んだ事がある漫画の中に、転生という概念が盛り込まれた話があったから、という理由である。
前世の日本という世界で、国民に多大な影響を与える媒体として知られていたテレビやインターネットは、今のところこの国、インフィニクス王国には無い。
この国で今、人々に多大な影響を与えるものといえば、ご婦人達の噂話と、恋愛小説である。
何故幼い彼がそんな事を知っているのかといえば、ただ単に彼の母親である側妃が、恋愛小説の大ファンだからという事に他ならない。
そこでウォルプタースは思った。
恋愛小説が人気ならば、恋愛漫画を作れば広まるのではないか?
男女間の恋愛を題材にし、多くの美男美女を漫画のキャラとして登場させれば、ご婦人達の噂に上るかもしれない。
男女の恋愛に憧れる者が増えれば増えるほど、自分の身の安全は保障されると、幼い王子は推察したのだ。
「…まずは、えをうまくかけるようにならないと」
男への恐怖に取り憑かれた彼は気付かない。
この世界が、前世の世界にあった乙女ゲームと同じ世界だという事を。
自分が、かのゲームでラスボス兼、隠しキャラという名の攻略対象であった事を。
彼の生涯における男対策は、今、この時、幕が上がった。