【新】17.(マ)王の力
私用で遅れました。
――ボクは、ボクは、今まで、全く知り得なかった。
ライムは人知れず震えていた。
――悦楽の、快楽の、欲望のために、人間はここまで残虐な行為をしえるのか。
目の前で行われる悪魔のような所業が自身よりも少し背丈の大きく、華奢な腕を持った女性が行えるものなのかと戦慄し、彼女と同じ人間に生まれたのかと思うと、自らの首を目一杯握りしめて、意識が一生戻らないところまで堕ちてしまいたいと思ってしまう。
「あはははっ!!」
狂気に染まり切った笑み。
狂気に染まり切った声。
狂気に染まり切った行動。
すべてがすべて、恐怖でしかなかった。
「ほら、ほら、ほらぁ!」
手足を切り落とされても、次の瞬間には何事もなかったように再生されて。
木っ端みじんにされても、その次の瞬間には何事もなかったように再生され。
どんなに抵抗をしようとも、彼女の圧倒的すぎる力の元に、ライムを殺そうとしていた大狼は、殺され、蘇り、殺され、生き返り、そして殺されその絶望的すぎる繰り返しを味合わされていた。
「駄犬! 駄犬! 駄犬!」
彼女はそれでも嗤い続ける
今までライムの目の前で、圧倒的な強者として君臨していた大狼を。細身で黙っていれば美しい女性が道端の石を眺める様に見やり、それから大狼の質量が消失してしまったかの様に宙へと浮き殴られ続けている。
「抵抗しろよ雑魚!」
その巨体を浮かばされ、瞬きをすれば再び別の場所で浮遊し、もう一度瞬きをすれば、数十メートルほど吹き飛ばされている。
いったい、彼女の小枝のような細腕からどうやればあんな質量が生まれてしまうのか。もしくは外部からどこにそんなエネルギーがあるのか、ボクには見当がつかなかった。
「ギャッ!?」
次の瞬間には、浮かび上がった大狼が勢いよく女性に殴られ、皮膚が破れ、臓物をぶちまけるというスプラッタを見せられた現代日本の、一中学生でしかないライムは吐き気を催しながらも何とか視界を自らの手でふさいだ。
殴られた途端体の中から爆発するようにして血肉が爆散し、骨骨は木端微塵となり、腸やら胃やら何やらが飛び散った様子を直視してしまった彼は、腰を抜かし涙を流し始めてしまった。
「ふんっ、つまらない『甦れ』」
そんなライムの様子を見ているはずもないその女性は、唯我独尊と言った様相を見せながらも、散り散りとなった肉片と骨粉。それから汚らしく木々に付着した体液を囲むようにして、一つの魔法のようなものを使ったのだ。
すると、淡い緑色の光がその場所に満ちる。
「さぁて、仕置きは終わらないぞ? 駄犬?」
今すぐにでも果ててしまいそうな程に赤面し、恍惚な表情を浮かべた彼女が、蕩けきった瞳で血肉が散乱していた場所に焦点を当てた。
すると、その血肉や骨に彼女が放ったであろう淡い緑の光がまとわりついた。
「ぐ、ぐぁ」
その途端、何があったのかが分かっていない大狼が、再び依然と同じ生物として存在している姿へと戻ったのである。
次の瞬間、再びその大狼は吹き飛ばされた。
「ほら? さっきまでの威勢はどうした」
まるで道端の石ころにでも発声しているのか、何一つ感情の籠っていないその声は、大狼や、耳をふさいでも入ってきてしまったライムの精神を徐々に汚染して行く。
彼に至っては「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」と、泣きじゃくりながら死んだ眼で祈るかの様にぼそりぼそりと言い続けているのである。
……それも、はたから見れば呪術の儀式でもやっているのかと思ってしまう程に必死の様相で。
「わっ、わふっ!」
そして次の瞬間、今まで殴られっぱなしのサンドバックになり、最終的に木端微塵の臓物スプラッタへと転職した大狼は、屈服した! 従う! 従うから! と言わんばかりの必死さで彼女へと一番の弱点であるお腹を見せる為、仰向きに寝転がる。
「はっ! 無様だな! 駄犬!」
しかしながら彼女はその大狼を許すことはしなかった。
最大の弱点である腹を見せ、屈服したと、従うと言っている大狼の腹を、勢いよく踏みつけたのだ。
これには大狼も、涙を流しながら必死に逃げ出した。
「きゃっ、きゃいん!?」
ふと周囲を眺めてみれば、もうそこは森”だった”空間が広がっている。
あれほど巨大な大狼が吹き飛ばされ、地面に落とされ、そして嬲られているのだ。その被害が森に行かないわけがないのだ。当然、木々は倒れ、折れ、地面は抉れ、隆起し、見るからに滅茶苦茶な荒れ地がそこに広がっていたのだ。
「しかしなぁ? お前に、”神”の”狼”とは、もったいない名前だなぁ?」
くふふ、と不気味に笑いながら、再び不思議な波動を逃げ惑う大狼に対して再び波動を発射した。
「きゃうん!?」
しかし、その大狼も長き時を生きてきた狼なのだ。伊達に”神狼”と呼ばれる種族へと昇華した生物ではないのだ。
だからこそ、その賢き大狼は彼女が唯一攻撃を行わない場所へと駈けるのだ。
「……ほぅ、貴様にしてはなかなかに考えたな」
まるで機関砲のように連発される波動に、周囲の森は、まるで近代兵器を使った現代の戦場が如く様相になり、本当にどこかに塹壕があるのではないかと疑ってしまう程、地面がえぐれ空駆ける女性はさながら爆撃機か対地戦闘機だ。
「ひぃぅ!?」
「わ、わふっ!」
そうして、ジグザグに回避行動をとり、時折彼女から放たれる機関砲じみた波動に直撃しながらも、この状況で最も安全な場所にたどり着いたのだ。
その瞬間、目からハイライトを失い、死んだ魚のように虚ろで悲しげな何とも言えない瞳を見せていたライムが悲鳴を上げた。
「……駄犬、そこをどけ」
すると、彼女は波動を打つことを止め、滅茶苦茶に震えているライムを挟みながら大狼に対して凄む。
しかしながら、突如として目の前に現れた美女の皮を被った悪魔以上の極悪非道な何か。冥府の底の、更に奥底にいるであろう異形が目の前に、更にはそれが凄んでいるのだ。
間にいるライムにとってこの場はもはや地獄、辺獄、冥府、そんな月並みな言葉では言い表せないほどの絶望を、感じていたのだ。
――そう、大狼が見つけた唯一の安全な場所とは、その女性が助けようとしていた一人の少女の近く。だったのだ。
それから瞬くして、その尋常ならぬ威圧感を肌身に感じた少年は気絶してしまったのであった。




