【新】16.淘汰し淘汰され
ごめんなさい、すごく遅れました。
「グルルルッ!」
突如とした現れた、ボクを守るようにして生まれた膜。
突如として背後から発生した、中性的な声。
そうして”犬っころ”と、確実に目の前にいる大狼を侮蔑する言葉。
大狼は、ライムの背後にいるであろう人間に向けて、殺意を発していた。
「……ひっ」
殺意を向けているのが自身ではなく、自身の後ろにある何か、であることを理解していても、目の前にいる、ライムの数倍以上の体躯を持つ大狼の憎しみや唸り声は、ライムと言う一般的な日本人を慄かせることは容易だった。
「…………へぇ?」
しかし、慄いているライムを知ってか知らずか、今度は後ろにいるはずのなにかから、全てを凍てつかせてしまう様な、底冷えした声色で、大狼の唸りに答える。
その時ライムは本能的に理解したのだ。
後ろにいる奴のほうがとんでもないのだと。
「駄犬駄犬とは思っていたが、まさかここまでとはなぁ?」
声しか聞こえないのに、姿すら見ていないのに、瞬時に殺されてしまうと、理解してしまうのだ。
しかも、それを確信付けた理由として、明らかに今までライムを圧倒し、屠殺しようとしていた大狼が、明らかに変化し、ライムですら確信できてしまう程に、怯え切っていることもあった。
「まだ、調教が足りないとは」
彼、もしくは彼女が口を開き、一言一言喋るたび、大狼の中にある闘志と言うものが、矜持と言うものがすり減っていく。抵抗する気が消えて行っている。怯えや恐怖と言った物が増えていく。
先程までは牙をむき出しに唸っていた大狼は、今やもう口を閉じ小さく唸っているだけで、もう少ししたら子犬のように”くぅん”と言う鳴き声を上げてしまいそうなほどだった。
今までライムを殺そうとして来ていた姿とは全く変わり、いっそ哀れだった。
「まぁ、私も最近ストレスがたまってたからなぁ?」
その時、ボクはその人に心臓を掴まれたような衝撃と恐怖に、瞬時にして息が詰まる感覚に襲われる。
なぜだかは分からない、なぜだかは分からないが、ライムは後ろの人が、にたりと、口裂け女のような笑みを浮かべている様にしか思えないのだ。
「くひっ、それに死んでも、死んでも、生き返らせるから、存分に痛みを味合わせてやるよ」
その猟奇的すぎる台詞がライムの耳を通り抜けた瞬間、今まで餌としか見ていなかったライムに対して、大狼が助けを求めるような視線を送ったのだ。
しかし、ライムもここから一歩でも動いたら殺されてしまうと、恐怖心から、動くことどころか、しゃべることすらままならず、哀れな大狼の目線を肌で感じることしかできなかったのだ。
「く、くぅん」
大狼は恐怖に負け、矜持もかなぐり捨て子犬のように鳴き声を上げる哀れ極まりない姿は、人間を超える捕食者を、更に超える捕食者がいるのだとライムの本能に刻み込ませる。食物連鎖と言うものを、主従関係と言うものを、弱肉強食と言うものを、心に植え付けたのだ。
ただ、その大狼の必死の助けを請願する声もむなしく、後ろから歩む音がわずかに聞こえてくるのだ。
「なぁ、犬っころ、私は前に言ったよなあ?」
徐々に近づいてくるその声に、助けてもらったとはいえ、異常すぎる殺意やら威圧感に、ボクの全身からはとめどなく冷や汗が流れ始める。
さらに、大狼も懇願するが、一向にソレの歩みは止まらない。
「一つ、妖精たちを傷つけるな」
ぶおん。
何かが風を切るような音がした後、ライムの長い髪の毛が風を切った後に発生する風に靡いた。
そうして、ライムの真横を通り抜けたなにかは、大狼のかぎ爪によって防がれるが、圧倒的すぎるその力に、一体どちらが自らを害す者なのかが分からなくなっていた。
「二つ、妖精たちが連れてきた客人を傷つけるな」
すると、今度は大狼やライムの足元に生えている芝生が急激に成長し、大狼の体を巻き付くように大きく、太く、力強くぐんぐん、気持ち悪いくらいに成長して行く。
「そして三つ、私は中途半端な奴が、一番嫌いなんだ」
その瞬間、ボクの真横を再び何かが通り抜け、次に瞬きをしたときには大狼がいる場所で爆発音が聞こえた。
そこには、一人の蒼い髪をした女性が、華奢な右手で大狼の顔面を殴り、狼の巨大な体躯を軽々と吹き飛ばしていたのだ。
「ひひっ、もう少し強くなってから楯突いてくれないとなぁ?」
にたり。
やはり自らの予想は何ら間違っていなかったんだ。大狼を文字通り殴り飛ばした彼女の、気持ち悪いほどに弧を描いた口元と、狂気じみた瞳や言葉に、ライムは確信しながらもこんな化け物に襲われている大狼のことが、本気で心配になってしまうのだ。
たとえそれが自らを屠ろうとしていても、明らかに地上の災厄、天災、魔王。そういった類の化け物に襲われている様子を見たら、自ずとそう思ってしまったのだ。
「面白くないだろう?」
すると、彼女はその気持ち悪く、不気味な化け物染みた笑みを浮かべたまま、どこか少年漫画に出てくる手と手を合わせて波動を打ちだすような格好になる。
まさか、そんな一抹の不安がライムの脳裏を千里馬の如く走り抜けた。
「『神拳波動:一式』」
その言葉がキーワードになって、ライムが想像していた通りに、かめなんたら波のように手と手の間から、突如として煌めきが発生し、それから空中に飛ばされている大狼にめがけて、一筋の光が発生した。
すさまじい熱量か、それともすさまじい質量があるのか、その光の周辺が歪んで見えて、更には木の葉や砂埃と言った物がその光の周囲に吸い取られていく。
「『影之手』」
次の瞬間には、その光の筋のおかげで生まれた影から、うねうねと人の腕のようなものが生まれる。また、どうやら大狼の体からもその腕が生えたのか、腕によって狼の全体が覆い隠されようとしている。
「『影之手:拷問』」
それから、大狼にまとわりつく黒い腕が、好き勝手の方向に大狼を引っ張り始め、次の瞬間――。
ライムはその残虐さに目をそらしてしまった。




