諸刃のつるぎ
「あら、もう怪我はいいのかしら? お嬢さん」
日よけに開いている日傘を、クルクルと回しながら、彼女はクスクスと啜り笑う。
どうやら完全に私は、下に見られているようだ。
発する言葉も態度も、次は丁寧に捻り潰してあげまましょうか、とでも思っているような口振りだし。
「それはお互い様でしょう、吸血鬼」
コレを言ったとたんに、彼女は目を細め、露骨に不愉快と言わんばかりの視線で私を睨みつけてくる。
やっぱり、夕闇さんに負けたのは悔しいらしい。
もっと言ってやろうかとも思ったけど、やめた。
ここからは実力で示さないと意味が無いから。
万が一私がやられそうになったら、後は夕闇さんと火摺さんが、何とかしてくれる。
少しズルイけど、その条件の下でのみ一対一での戦闘を許すとの事。
私が言いだした、ワガママだ。
私自身の手でケリをつける。
それが王道というモノだろう。
「いつでもどうぞ、か弱い人」
「なら、お言葉に甘えて」
私は勢いよくジャンプして、そのまま踵落としを彼女にお見舞いする。
彼女はクスクス笑いながら、ソレを難なく避けた。
避けられた私の踵は、コンクリートの床に直撃し、直径二メートル程のひび割れた窪みを作る。
彼女は一瞬、この威力に驚いていた。
しかし、まだまだ余裕を顔に張り付かせている。
例えるなら、遊んでいたら危うく車に轢かれそうになった、程度のモノだろう。
「あらあら、野蛮ですこと」
彼女は私を危険だと判断したのか、一瞬で私の背後に回り込み、首にギラついた牙を穿った。
しかし、私の首に吸血用の穴が開く事は無かった。
彼女の鋭い牙はまるで、マチ針で太い鉄パイプを貫こうとするが如く、弾かれていた。
彼女は起きた事実を受け入れられず、人形のような美しい目をダルマのように見開き、ほんの一瞬だけフリーズしていた。
しかし私は、そのほんの一瞬を見逃さない。
私は彼女の水月に肘を炸裂させる。
急所にモロに入った一撃は、彼女を生まれたての子牛のようにおぼつかない足取りにさせた。
彼女は肘で打たれた部分を、両手で大事そうに重ねて膝をつき、まるで詫びるかのようにこうべを垂れる。
吸血鬼といっても、体の構造はさして、人間とあまり変わり無い。
無論、吸血鬼の種類にもよるけど……
今回の吸血鬼は、血を調べてみた限りでは、体が我々人間と、あまり大差無いタイプの吸血鬼だと、入院中に夕闇さんから教えてくれた。
しかしそうは言っても、やはり吸血鬼は吸血鬼。
体の見た目からでは、とても想像できないような怪力の持ち主であり、加えて弾丸のような素早さを兼ね備えた、超強敵である事実に変わりはない。
だからほんの少しでも油断したら、まず間違いなくコチラが殺されてしまう。
反射神経も人間の比では無いらしいし……
「ガフッ! やってくれたわね……」
彼女は腹を抱えたまま、私を深く睨んだ。
彼女が私を見つめるだけで、背中を冷たいナメクジがゆっくりと這うような、激しい悪寒が全身を身震いさせてしょうがない。
まるで全身が、彼女の眷属になる事を拒むような。
吸血鬼に血を吸われた者は、同じ吸血鬼になる。
吸血鬼になると、人間の食事はほとんど摂取できなくなってしまう。
主食は人間の血液、そして人の肉の二つだ。
もしも私が吸血鬼になってしまったら、夕闇さんと火摺さんは、まず間違いなく私を標的の一人として捉えるだろう。
つまり、殺されるという事だ。
一匹の妖怪として処理されてしまう。
ソレはまっぴらゴメンだし、食べ物がかなり限定されるのも我慢できない。
だから私は何としても彼女の牙を、避け続けなければならない。
正確には血を吸われる訳にはいかない。
死ぬとしてもせめて、人として死にたいし……
「ところで、何で私の牙が通らないのかしら?」
「さぁ? 手入れでも怠ったんじゃ無いですか?」
私は精一杯の虚勢を張る。
一方、吸血鬼は無言のまま私を、ジッと見つめている。
多分、牙が通らなかったカラクリを解明しようとしているんだろう。
しかし、考えた所で到底分かる筈も無い。
コレは言ってしまえば、私の切り札であり最後のチャンスでもある一撃必殺のシロモノ。
故に、見ただけでは絶対に解明する事はできない。
私がコレを使うとすれば、敵が瀕死の致命傷を負って動けなくなった時か、あるいはソレが必ず当たると、確固たる確信が持てた場合の状況のみ。
そして、コレはおそらく一度しか使えない。
運が良くても、もう一度使えるかどうか……
使うにはそれなりの覚悟と、大きな深いリスクを背負う必要がある。
運が悪かったら、私が死ぬ場合も……
「まぁいいわ、牙が通らないなら、力でねじ伏せるだけよ」
次の瞬間、彼女の姿はフッと瞬く間に消えた。
そして間髪入れずに、右の脇腹に鈍く重い衝撃がひた走る。
これは……パンチか……
なんて事のないただの普通のパンチ……
でもこの、ただの普通のパンチ一発で、普通の人間は死を免れない、鍛えた私でも致命傷を負ってしまう程の威力。
始めっからコレで来られてたら、即アウトだわこりゃ。
私はそのまま、横転を繰り返し、数メートル先まで吹っ飛ばされた。
多分、肋の何本かはヒビが入ったと思う。
しかし私は、そんな事は意にも介さず、すぐに立ち上がって彼女を視界に入れる。
彼女は上機嫌そうに、コチラを見て、クスクスと啜り笑いをしていた。
そしてまた、すぐに消える。
私は彼女が姿を消した瞬間、目で探す事を捨てて、自分の最大の急所である、首を肩で阻み、頭部を腕で囲った。
そして案の定、彼女の攻撃は首を阻んでいた肩に当たる。
まるで鉛で出来た巨大なハンマーで、肩を殴られるような衝撃と痛みだった。
そして咄嗟の行動だったから、ガードが甘かったのか、私は大きく体勢を崩してしまい、そのまま無防備にも地面に倒れこんでしまった。
「まぁ頑張った方だと思うよ! じゃあね!!」
彼女の鋭い手刀が、私の肋骨の隙間から心臓を狙って迫ってくる。
「アンタがね!!」
瞬間、私の左腕から大鎌が、皮膚を突き破って出てくる。
「何だと!?」
現れた鎌の切っ先は、彼女の首を横から貫通していた。
彼女は血反吐を吐き、その場に倒れる。
濃い赤の水が、首の傷を中心に、徐々に広がっていく。
「痛ッ!! 〜〜〜〜〜〜ッ!!!」
痛い!! 痛い!! 痛い!!!
マズイ……下手に動かしたから、破れた皮膚がさらに裂け広がって、血がどんどん腕から漏れていく!!
このままだと、私……死ぬよね……コレ
私も左腕を中心に、赤い水がどんどん広がり始める。
私は鎌が飛び出した左腕を抱えながら、左腕に容赦なく襲ってくる激痛に、必死に耐えていた。
「腕を見せて下さい!!」
遠くで見守っていた火摺さんが、大きなバッグを持って慌てて来てくれた。
火摺さんはバッグの中から、大量の包帯とアルコール、そして出血を止める為の裁縫セットを取り出した。
「鎌を抜くと、出血が酷くなるので、一先ずこのまま縫合します!!」
そこからの火摺さんの動きは、流れるような手さばきだった。
火摺さんは、ポケットからジッポを取り出して火を灯し、針を炙る。
そして炙り終えると、一瞬で針に糸を通して、あっという間に、縫合の準備を終えた。
本来なら私は、注射が大の苦手だ。
あのギラついた針の先を、見るだけで体が震える……
でも今はそれどころじゃあない!
この激痛が、上手いこと麻酔の代わりとして働いている今のうちに、是非終わらせて欲しい!!
「では始めるので、動かないで下さいね!」
ああ、頭がクラクラする……
既に血を失い過ぎちゃっ…た……か……
私はそこから、意識がプツンと切れてしまった。
☆
「アレ……ここは……」
見渡す限りの広大な芝生。
宝石の粉を一面にまぶしたような、膨大な夜空の星々。
そしてそんな芝生の上、星空の下、巨大な一本の桜の樹が、妖々と咲き誇っていた。




