働かざる者、ゲロ撒き散らす
心地よい風に髪を撫でられ、思わず加速板を踏み込む。
駆動機関が小気味よくうなりを上げ、加速した車は一気に海岸沿いのゆるいカーブへと滑り降りていく。
私の操る銀色の二人乗り新型高機動車に、真っ白な海鳥たちが寄り添うように飛んでくる。
さらに加速板を踏むと、先端に輝く女神のエンブレムにどうにか追いすがろうとしていた海鳥たちは諦めて、くるりと反転していく。
穏やかな青い海、雲一つない空。
このまま、ずっと車を走らせたい気分だが、目的地はもうすぐだ。
そこでは、次なる楽しみが私を待っている。
美しい南の海を一望できる高台のホテルでの豪華な晩餐会に、私は王女として招待されているのだ。
ホテルのロータリーに車が到達すると、この最新鋭車の斬新なフォルムに来客者の注目が集まる。
洗練された仕草のホテルボーイに導かれ、車を降り立ち、予約した部屋へと向かう。
そこは最上階のロイヤルスイート。
広々とした部屋で、夕暮れの美しい景色を眺めながらくつろぎ、時を過ごす。
日が落ちたころ、部屋着からドレスに着替え、会場へと向かう。
真紅のドレスをひるがえし、オーシャンビューの席に身を沈める。
王女ならば、まずは最高級の美酒と洒落こみたいところだが、残念ながら私は未成年だ。
潮風で乾いた喉に、南国の果実を搾った清冽なジュースが染み渡る。
そして、次から次へと贅を尽くした料理がテーブルを埋めていく。
どの料理も美味きわまりないが、私が待つのは最後に出される究極の逸品だ。
それは、海鮮料理の最高峰。
南大深度海でしか獲れない、目を疑うような虹色に輝くニジイロタカアシガニの料理だ。
筆舌に尽くせぬその珍味は万人をとりこにしてやまない。
我慢できず、人目もはばからず、素手でカニの脚をつかみ、ガブリと噛みつく。
「うう……、なんだか異様に生ぐさいし……。それにクソ暑い……」
◇◆◇
顔が灼けつくように暑いし、眩しくて目が開けられない。
体は横になっているようで、背中に硬い感触を感じる。
向きを変えようと、少し身をよじった途端、吐き気が込み上げてきた。
「うぉろおろ、おろっ……」
口いっぱいに酸っぱいものが湧き上がってくる。
「おい、セフィール! ここで吐くなよ! 吐くなら海にしろ!」
強い力で引き起こされ、立ち上がる。
朦朧とする視界に映るのは、上半身裸の浅黒い男。
その男の小脇に抱えられ、数歩くらい動いてから、高く振り上げられた。
「よし、セフィール、吐いてよし!」
「うぉろおろ、おろ──!」
男の威勢のいい声がするやいなや、眼前に広がる海にセフィールは思い切りゲロをばらまいた。
少女の口から溢れ出る汚物が、キラキラと輝きながら南国の美しい海に消えていく。
「セフィール、これで口でもすすげ」
黒髪の浅黒い男から水筒を受け取り、そうしたところ、やっと一息ついた。
濡れた口を手の甲でぬぐい、肩にかかった金髪を振り払う。
「クソ暑いし、生ぐさいし、ここはどこ?」
セフィールは周囲を見回した。
彼女がいるのは漁船の上らしく、魚がつめられた木箱がそこかしこに散らばっている。
そう広くもない甲板の上は箱でいっぱいだ。
「あれ? 転生して私は王女になったんじゃ? 今日は晩餐会でニジイロタカアシガニを食べるはずなのに……?」
「なに言ってるんだ。暑さと船酔いで気絶して、夢でも見てたんだろ。それより、さっさと働けよ。ルフィールはちゃんと仕事してるぞ」
浅黒い男が、少し先の木箱の横にいる少女を指さした。
「ふふふ、お姉様。働かざる者、食うべからずですわ」
ふわふわした金髪の少女が、澄んだ碧い目でにこりと微笑みかけた。
着ている服は質素なワンピースなのだが、ちょっとした振る舞いにもどことなく優雅さを感じさせる。
セフィールの妹、ルフィールである。
エラの張ったいかつい顔に、薄汚れた白シャツ一枚の漁師が近寄ってきて、なれなれしくセフィールの背中を叩いた。
「双子のくせに、お前さんは全然ダメだなあ。ちょっとは妹さんを見習えや」
その妹はというと、小さな手でテンポよく器用に網から魚を取り上げている。
「威勢だけはいいんですが、不器用なんですよ、こいつは。親方、一つ勘弁してやってください」
浅黒い男がセフィールの頭をポンポンと叩く。
「こら、キース! なによその言い方は! それじゃ、私がまるで役立たずみたいじゃない!」
セフィールは、浅黒い男こと、キース・ゴドフリーの腕を叩き払い、にらみつけた。
「みたいじゃなくて、実際、ちっとも役に立ってないけどな」
キースは白い歯を見せつけ、垂れ気味の目で意地悪そうにニヤリと笑った。
「こ、この! キース、覚えておきな……、おきな……、なぉろおろ、おおおろっ!」
再び込み上げてきた強烈な吐き気に、船べりまで駆け寄り、またまた盛大にリバース。
吐き終わった彼女は、息をするにも肩を上下させ、とても苦しそうだ。
「おやおや、ろくろく食べてないのに、どこからこんなに出てくるのでしょうね?」
誰かに背中をやさしくさすられ、横を向くと、背の高い牧師姿の男がいた。
銀髪の超イケメンが、やさしそうな緑色の瞳でセフィールを見下ろしている。
ルフィールの聖従者、ピート・ロトシールドである。
「ピートはこんなにやさしいのに、それに引きかえキースは鬼みたいじゃなくて、鬼そのもの……、おにょろおろろろぉ!」
再三のリバースに甲板で作業中の漁師たちも声をあげる。
「この姉ちゃんがいれば、撒き餌も要らねえし、助かるよなあ」
「お姉様のゲロを食べた魚なんて、前線で捕虜になって拷問されても食べたくありませんわ」
魚を網から取り上げながら、ルフィールがぼそりと独りつぶやく。
そんな妹のつぶやきを知らないセフィールは、海面に向かってまだえづいている。
ピートは相変わらず、彼女の背中をさすり続ける。
と──、生気を失っていたセフィールの目が突然輝き、波間の先を指さした。
「あ、あれ! あれ! 見て! ニジイロタカアシガニじゃないの?」
いかつい顔の漁師が見向きもせず、馬鹿にしたような声でそれに返す。
「ニジイロタカアシガニはこんな近海にはいねえよ、嬢ちゃん」
「だって、あれよ、あれ! こんな海にあんなきれいな虹色の生き物って、ニジイロタカアシガニしかいないでしょ!」
「嬢ちゃん、ニジイロタカアシガニはな、南大深度海にしかいねえんだよ。ここより、もっともっと南の海さ」
「だからぁ、あれだって! あれ!」
あまりに必死な身振り手振りでセフィールが訴えるので、面倒臭そうに漁師も波間をのぞきこんだところ、その顔つきが瞬時に変わった。
「あの輝き……、ま、間違いねえ! ありゃ、ニジイロタカアシガニだ! なんてこった! こりゃ、一大事だ! 大儲けじゃねえか! なにやってんだ! お前ら、急いで網を打て!」
甲板の漁師たちは皆血相を変え、船べりに駆けつけ、次々と網を放った。
ニジイロタカアシガニは一匹ではなく、一群が海面近くをゆらゆらと漂っていた。
海面は光り輝くような虹色に覆われている。
「なして、こんな近海にニジイロタカアシガニがいるんだ? しかも、こんなに沢山?」
獲物を網に捕らえながら、漁師たちは一様に首を傾げる。
そんな、漁師たちをよそにセフィールはご機嫌だ。
「今晩は豪勢にニジイロタカアシガニの料理づくしね。楽しみすぎ〜」
「カニ! カニ! カーニ! カーニ、カニ!」
セフィールの珍妙な音頭で網は徐々に引き寄せられ、あと少しというころ──、
漁船の後方から、体全体で振動を感じるほどの爆音が聞こえてきた。
何事かとセフィールたちが、その方向を向いた途端、灰色の巨大な影が横切り、大波が漁船を襲った。
「うわあああぁぁぁ!」
セフィールたちは波の直撃を食らって、甲板に勢いよく流し戻された。
大波はすぐに引いたが、甲板上は箱がひっくり返り、収めた魚が大量に散らばってひどい有様だ。
「こりゃ、ひでえな」
ずぶ濡れになったキースが、むくりと起き上がる。
「水もしたたる、ひどい有様ですわ」
大の字に倒れ、着衣も乱れたルフィールの金髪には青い海藻がからみついている。
「そんなことより、ニジイロタカアシガニは!」
いち早く立ち上がったセフィールは、一目散に船べりに飛びついた。
どうやら網ごと波に流されたようで、ニジイロタカアシガニの姿はどこにも見えない。
「親方、今のはなんでしょう?」
大波をかぶった割にきれいな身なりのピートが、漁師にたずねる。
「ああ、ありゃ、海軍の高速艇だな」
「海軍の高速艇?」とセフィールが小首を傾ける。
「そうさ。近いうちに、この国の王女様の結婚式があって、色んな国の王様や大臣が集まるのさ。それで海上を警邏してるんだが、海軍にもタチの悪いのがいるみたいだな」
セフィールたちの視線の先、その高速艇は既に洋上はるか彼方に停泊していた。
高速艇から立ち昇る黒い煙をぼんやりと眺め、セフィールはため息まじりにつぶやいた。
「はぁ……。今晩のニジイロタカアシガニが……、高級ディナーが……」
紺碧の空の下、高速艇の汽笛が「ボー」と低く重く響いた。