~名前~
「夏木さん、何を……話していたのですか?」
レイファー兄妹とも別れて、夕暮れの中を歩く蓮花と夏木。
いつも通りを装っている夏木へ、蓮花はどのタイミングで疑問を聞こうかと様子を伺っていた。
「……そうね」
ぽつりと声を発した夏木は辺りに誰もいない事を確認すると、辿り着いた夏木の家の中へ蓮花を招き入れた。
そのまま自身も家の中へ入り、扉を閉めた夏木。
蓮花を椅子に座るよう促すと、対面する形で夏木も蓮花の前に腰を下ろす。
暫く沈黙が続いた二人。
すると、大きく息を吸った夏木が短く息を吐き出して、蓮花へ話し掛け始めた。
「子どもが、一人……いなくなった」
――……えっ?
予想していなかった事実に驚く蓮花。
そんな蓮花へ、夏木は更に言葉を続ける。
「昨日会った子たち、いるでしょ? その内の一人が、いなくなったの」
……いいえ、正確に言うと連れ去られたと言う方が、正しいわね。
そう言って立ち上がった夏木。
蓮花に顔を見られたくないのか、そのまま背を向けて小屋の唯一ある窓へと歩いていく。
「昨日会った子って……」
――カナタ君と、サラちゃん以外の子って事だよ……ね。
思いもしていなかった出来事に、蓮花は言葉を無くしてしまう。
――だって、つい昨日一緒に行動していたじゃん!
まだ鮮明に覚えている子どもたちの顔。
レイファー兄妹の他には、一つ結びが良く似合っている元気いっぱいな女の子、ライラ・ベスフィル。
そして、この村で育ったとは思えない程頭の回転が速い男の子、ヨウスケ・フグラス。
つい先程まで蓮花はレイファー兄妹と一緒に遊んでいた。
その途中で夏木は呼ばれた為、必然的に連れ去られたのはそのどちらかだろう。
「……ヨウスケ君と、ライラちゃん、どちらですか?」
今朝来た時にはまだ付いていなかった筈のカーテンを閉めて、外からの視線を遮断した夏木。
蓮花が声を振り絞るようにして出した言葉へ、返事をした。
「……ヨウスケの方、よ」
部屋が暗くなった為、ランプを出してきた夏木。
しかし、ろうそくへ灯す火の元が無いのか、辺りを見回していた。
その姿を見て黙って自身の手に火を灯した蓮花。
その火をそっとろうそくへ近付けると、ぼんやりと部屋が明るくなった。
「……なんで、ヨウスケ君、なんですか?」
そもそも、本当に連れ去られたん……ですか?
火は無事についたが、じっとしていられないのか再び座ろうとしない夏木。
そんな夏木へ蓮花は、なんとなく気が付いてしまっているが、そう聞かずにはいられなかった。
――だって……まだ、信じられない……。
つい昨日は普通に会話し、一緒に村の中を歩いて行動を共にした男の子。
それがいきなり連れ去られたと言われても、中々ピンとくる事が出来ない蓮花。
そんな蓮花へやっと視線を合わせた夏木は、ゆっくりと口を開いた。
「名前……日本人みたいでしょ?」
決心を固めたのか、静かに椅子へ腰かけた夏木。
「……はい」
聞きたくないような、でもきちんと事実を把握したい思いが蓮花の心の中で渦巻く。
「そうよね、私たち地球の日本人には馴染みやすい名前……」
テーブルの上で肘を付き、自身の手を組んでそれをおでこへ近付けた夏木は、抑えるかのようにため息をついた。
「ヨウスケの両親は、地球人だったみたい」
組んでいた両手をそのままテーブルへ落とし、蓮花に改めて顔を向けた夏木は言葉を続ける。
「私たち大人なら、馴染のある名前だったとしたら、敢えて口にしなくてもその人が元地球人だって、ある程度予想が付くけど」
蓮花へではなく、まるで自分に言い聞かせるかのように言葉を落とす夏木。
「でも、連れて来られた後にこの星で生まれた地球人の子どもは、自分が本当は地球人の血を引いている事も知らないし、名前に馴染みもないから……」
だからヨウスケは、名前を聞かれて普通に答えちゃったみたいなの。
そう言って夏木は、少しずつ伝えようとする。
「誰に……答えちゃったんですか?」
そう聞かずにはいられなかった蓮花。
再び口を閉じた夏木は、やっと声を発して答える。
「……昨日会った、商人の男よ」
予想はしていたが、蓮花はやりきれない思いがどんどんと溢れてくるのを感じる。
「昨日の夜、母親と井戸へ水を汲みに行っていたら、ふらっと現れたあの男が声を掛けてきたらしくて……その時に名前を聞かれて、母親が止める前に答えてしまったんだって」
そしたらその商人が、目をかっ開くと同時に母親を突き飛ばして、そのままヨウスケを連れ去ったって。
そこまで話し終えると、夏木は黙って静かに目を俯かせた。
――そんな……。それじゃあ、私がやよいさんの家へ帰る直前に接触してきた後、連れ去ったって事?
なんとなくではあるが、連れ去られたと聞いた時から頭の何処かでその商人がチラついていた蓮花。
あの男は、家を訪れて初めて接触した時から蓮花は不信感を抱いていた。
しかしそれは、蓮花の思い過ごしだと個人的に解釈し、昨夜会った事も不信感を持った事も蓮花は誰にも言っていない。
――もし私が、不信感を夏木さんへ言っていれば……いや、昨日帰る前に接触してきた事を、すぐに鎧塚さんへ伝えていれば……!
決して蓮花のせいではない事は分かっているが、それでも子どもたちと関わった楽しかった記憶がまだ鮮明な蓮花。
後悔が押し寄せ始めて、見えない渦が蓮花の心の中へ流れ始める。
「ごめん、なさい……」
思わず口から、そんな言葉が零れ落ちる蓮花。
ゆっくりと視線を蓮花へ戻した夏木。
「私、昨日夏木さんと別れた後、あの商人と会ったんです……」
そう言葉を落とした蓮花へ、夏木が僅かに反応する。
「あの人、私に『地球人ですか?』って、聞いてきたんです……『廃人がこの村に住んでいるって噂があるから、何とかそれを捕まえて、仕事の手伝いをさせようとしたんですが』って……」
ごめんなさい、すぐに言うべきでした!
そう言うと、泣きそうになっている顔を隠すように勢いよく顔を下げた蓮花。
そんな蓮花を夏木は黙って見ている。
短くため息をつくと、立ち上がって蓮花から視線を外した。
「ごめん、あんたのせいじゃない事は分かっているのだけど……」
敢えて頭を下げている蓮花を見ないように、夏木は身体ごと背を向ける。
「あんたを責めたって、どうしようもない事は分かっているのだけど……」
まるで蓮花の言葉を噛みしめるように口を一度閉じた夏木は、蓮花を見ないままこう告げた。
「今日はあんたを責めてしまうかもしれないから……、帰ってもらっても、いい?」
そう言うとテーブルから離れていった夏木。
蓮花はそれに従うしかなく、小さく返事をすると、そっと椅子から立ち上がった。




