~握手~
「こちらのバケットにお入れ致しますので、暫くお待ちいただけますか?」
張り付いた笑顔の下が、明らかに強張っている様子の店員。
一刻も早く、このお店から立ち去ってあげたいのは蓮花も同じだが、手土産に買ったバタースコッチとくるみパンを入れる物がなかった蓮花。
その為、急遽パン屋の店員が用意してくれたバケットを、申し訳ない気持ちになりながらも、使わせてもらう事になった。
――この間行った時は、セルフィーナさんが果物を入れる物まで、全部用意してくれたからな……。
此処では元いた場所みたいに、買い物をしたら当然のように付けてくれる袋はない。
その為街に買い物へ出る時は、自身で入れ物を用意していかなければならなかった。
蓮花はファイターとなった翌日早々に、必要なものを教育係となったセルフィーナと買いに出た。
その際に自身が使うバッグは購入したのだが、手土産などに使う物などは買っていなかった。
――ファイターとしてデビューするまでの生活資金も、そんなにないしなー。きっと言えば多分、支配人はもうちょっとくれるんだろうけど……、あの人にそんな、やたらと借りは作りたくないしな。やっぱり、そろそろファイターとして稼ぎ出さなくちゃいけない、って事だよね……。
蓮花は無意識にまた、自分の掌を見つめた。
もう、流石にその掌を見てしまう理由は考えなくなったのだが、それでもやはりその手に残る感触だけは、消えないでいた。
暫くぼうっとしていた蓮花。
すると、店の奥で買ったパンをバケットに入れてくれていた店員が、やっと現れて蓮花に声を掛ける。
「大変、お待たせ致しましたー」
出来立てとなっておりますので、食べる際は十分にお気を付け下さい。
そう言って、バケットを蓮花に渡す店員。
「あっ、ありがとうございます」
我に返った蓮花はお礼を言うと、そっとバケットを受け取った。
「そうだ、このバケットはいつ頃までに返せば、大丈夫ですか?」
蓮花が受け取ると、すぐに店のカウンターの中へと入ろうとしていた店員を引き止め、質問した蓮花。
――流石に、今日帰ってすぐには持って来れないかもしれないし……。
少し不安になった蓮花を余所に、パン屋の店員は苦笑いをして答えてくれた。
「ああ、返しに来なくても、大丈夫ですよ」
そう言って笑う店員に、驚く蓮花。
「いや、でもお借りした物を、返さない訳には……」
蓮花が反論するのを遮るように、店員は言葉を続ける。
「そんな、ファイター様が使って頂いた物を『返して』と言うなんて、滅相もございません」
まるで、蓮花を押し返すような笑みを見せた店員。
「ですので、そのバケットはそのまま、お客様がお使いになってくれて大丈夫ですよ?」
そう言葉を続けると、蓮花の返事も聞かずに「ありがとうございましたー」と、お辞儀をして、店員は中へと入ってしまった。
何も言い返す事の出来なかった蓮花は、口を紡いでパン屋を出た。
――要するに、私が触った物を返されても、迷惑……って訳、か。
無言で俯いた蓮花だったが、すぐに考えるのを止めて歩き出す。
――あの店員さんは、私をきちんと客として接してくれただけ、まだ良い人だ……。
そう言い聞かせた蓮花。
目的地へ向かっている間も、すれ違う街の人達は何の悪びれる様子もなく、蓮花を指差して好き勝手なことを言う。
「あー、あの子でしょ? 廃人にならずにウェキナ―としてファイターになった子!」
何処の世界でも、やはり人々は噂が好きなようで、蓮花を遠巻きに見ては周りの人と話し合う。
――全部、聞こえているんだけどなー……。
なんて思いながら、気にしないように足早で進む蓮花。
すると、目の前の脇道から小さな女の子が飛び出してきた。
スピードを速めていた為に、立ち止まる事が出来なかった蓮花。
そのまま女の子とぶつかってしまい、女の子は転んでしまう。
「あっ! ごっ、ごめんね? 大丈夫?」
弾き飛ばしてしまった女の子に、慌てて声を掛けて駆け寄った蓮花。
手を伸ばしてその子を起き上がらせようとしたが、その手を止めた。
――あっ……。
気が付かれないように、そうっと周りの様子を伺う蓮花。
見るとやはり、蓮花を見てひそひそと話している人がいる。
――こんな所で、この子を触れない……っ!
子どもを倒してしまったのも自分だが、この手で目の前にいる女の子へ触る事が出来ず、蓮花は出した手を空中で止めてしまった。
その手を不思議そうに見る女の子。
蓮花の顔と手を、交互に見つめている女の子を前にして我に返った蓮花。
「あっ、ごめんね? 大丈夫だった?」
そう言って手を引っ込めると、蓮花は女の子と同じ目線の高さへなるようにしゃがみ込む。
「怪我はしていない?」
心配そうに聞いた蓮花を見た女の子。
蓮花をじっくりと見ると、にっこりと笑って返事をした。
「うん! 大丈夫だよ! お姉ちゃんこそ、急いでいたのに私がぶつかっちゃって、ごめんなさい」
そう言って勢いよく立ち上がった女の子。
そのまま服に付いた砂を払っている姿を見て、蓮花は安心する。
――良かった、怪我はしていないみたい。
女の子の横でほっとしている蓮花。
すると、砂を落とし終えた女の子が、蓮花に話し掛けてきた。
「ねえねえ! お姉さんって、最近有名の、新しいファイターさんでしょ?」
そう言って、目をキラキラさせながら蓮花を見る女の子。
女の子からの予想していなかった問い掛けに、言葉を詰まらせてしまった蓮花。
――っ……、どう、しよう……。
出来ればこんな小さな女の子に、ファイターのような存在は知らせたくない蓮花。
ましてや自分がファイターだと言う事は、つまり女の子に、蓮花は人殺しだと伝えているようなもの。
目の前にいる女の子が、ファイターと言うものをどこまで理解しているのかは分からないが、蓮花は正直に答える事を躊躇う。
しかし、そんな蓮花を余所に女の子は依然、蓮花の返事を待っている。
覚悟を決めた蓮花。
「……そう、だよ」
お姉さんは、ファイターなんだ……。
そう、丁寧に答えた蓮花。
蓮花の返事を聞いた女の子は、嬉しそうにみるみると笑顔になっていく。
「やっぱりー! 皆が言っている、ファイターさんだ!」
こーんな可愛いお姉さんだったなんて!
なんて、嬉しそうに話す女の子。
「しかもお姉さん、リヴァナーなんでしょー? すごいな~!」
本当に、ただ純粋な眼差しを見せる女の子。
「……違うよ? お姉さんは、ウェキナ―……なんだ」
リヴァナーでは、ないんだよ。
複雑な気持ちになりながら、蓮花は女の子に訂正する。
「あっそうなの? でも、どっちにしてもお姉さんは、魔術を使えるんだよね?」
区別の意味をまだ良く理解していないのか、女の子はあっけらかんとしてこう言った。
「ねえねえ! お姉さん、握手してください!」
そう言って、手を出す女の子。
無垢な笑顔を向けられた蓮花は、思わず聞き返してしまう。
「……私と、握手しても……いいの?」
戸惑っている蓮花を気にも留めていない女の子は「うん!」と言って、更に手を突き出した。
恐る恐る、その手を触る蓮花。
すると女の子が、優しく触れた蓮花の手をギュッと握って、勢いよくその手を振った。
「やったー! ありがとうお姉さん!」
そう言って、握っていた手を離した女の子は掛けて行く。
「これからも頑張ってねー!」
笑顔で手を振りながら、走っていく女の子。
蓮花はその女の子を見送りながら、握られた手を見つめていた。
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