~試練・2~
「深い……です、ね」
しゃがんで谷底を覗いていた宵歌の何気ない呟きに、誰かが唾を飲み込んだ。
蓮花たちの目の前には、底が見えない大きな谷。
――きっと、これが二番目の試練なんだ。
蓮花はその、今にも吸い込まれそうな深い谷の底を覗き込むのを止めて、前を見据える。
視線の先には向こう側……人が十分に通れるぐらいの洞窟が見えていた。
ただでさえ砂埃で先がよく見えないが、時折風が下から吹き上げてくれる為、蓮花はその洞窟の先に新しい扉が待っている事を確認する。
――ここを渡ってあっちに行って、それであの扉の中へ行けって事だよね。私は平気なんだけど……。
視線を戻した蓮花は、後ろで思いっきり腰が引けている夏木と敦を見る。
誰がどう見ても、高い所が苦手なのであろうと見て取れる二人。
「こんなところを渡るのは無理だろう!」
完全に足が地べたから離れない敦が、後ろから叫んでいる。
一応蓮花たちがいる側から、向こう側へと行ける手段は分かっている。
いや、むしろそれ以外に方法がないと言っても過言ではない。
こちら側と向こう側、二つの岸を繋ぐ為の橋は一応架かっていた。
しかし、その橋には手すりが付いていなかった。
一人で歩くのがやっとな程の、細く長い木の板。
それがただ両端を繋いでいるだけの、お世辞にも橋とは言えない板が、ただただ誰かが渡るのを待っている。
蓮花たちはその木の板の前で、どうしようかと先程から立ち止まっていた。
「一応、乗っても大丈夫ではあるけど」
水野大樹がそう言って、板に乗って強度を確かめ安心させてはくれている。
それにそこまで距離がある訳でもないので、落ち着いて一人ずつゆっくりいけば確実に渡れる筈だ。
しかしそこでこの問題。
敦と夏木をどうやって誘導し、この橋を渡らせる気にするか、だ。
蓮花は割と、高いところが平気である。
宵歌も躊躇なく谷底を覗きこんでいたところを見ると、余裕があるのだろう。
水野大樹も進一も、きっとそこまでは怖くない筈だ。
しかし、先程から腰が引けている二人にとって、この底が見えない程の高さというのはかなりの恐怖なのであろう。
時折不定期に舞い上がる風が、一層この谷への怖さを倍増させていた為、蓮花たちもむやみに「行こう。」と切り出せないでいた。
「どう、しましょうか」
聞いたところで、どうしなければいけないのか答えは分かっていたのだが、それでも蓮花はそう質問する。
やはり決心がつかないでいるのか、敦と夏木からは答えが返ってこなかった。
――二人が行くと言ってくれたら、すぐにでも行動に移せるんだけど……。
流石に蓮花も、明らかに苦手なのであろう人間に無理やり行動しろと脅す程、般若面の精神は持ち合わせていない。
他の皆も同じようで、誰も二人に強く出る人がいない為、着々と時間だけが過ぎていく。
すると先程から黙っていた進一が、ぽつりと呟いた。
「さっきから気になっていたんですけど……あれって、何なんですかね?」
そう言って、向こう側の洞窟の先を指差す進一。
指されている方向をよく見ると、扉付近で何かが一定のテンポを保って、赤く点滅しているのを発見した蓮花。
もしかしたら気が付かなかっただけなのかもしれないが、今まで通ってきた扉にそんな物は付いていなかった。
不思議に思っているとまた下から風が吹き上げる。
すると、目が良いのであろう宵歌がその点滅の正体を捕えた。
「あれって……爆弾?」
宵歌の呟きに、皆は声にならない疑問を宵歌にぶつける。
「あっ、私もよく分からないですけど……。点滅している赤い光は、あの扉の横に付いている機械から出ているんです。それでその光っている横に、時間のような数字がチカチカとしているから、爆弾かなって」
再び砂煙でよく見えなくなってしまった扉を見据えて、宵歌は答える。
「つまり、時限式的な爆弾ではないか、と」
敦が顔を引きつらせながら、宵歌の反応を伺う。
「確証はないですけど……」
宵歌が自信無さげに言葉を失うと、それを黙って聞いていた夏木は、視線を蓮花たちへと合わせた。
「もしそうだったとしたら、あなたたちは早く渡った方が良いと思うわよ」
しっかりとした口調で、そう告げる夏木。
「もし宵歌の見えた物が、本当にその時限式爆弾とやらだったら、爆発した瞬間にあそこの扉は壊れてしまうんじゃない?」
あまりに夏木が他人事のように「そうなったら皆身動きが取れなくなってしまうわよ。下手したら爆発に巻き込まれて、死ぬわよ。」なんて言うから、蓮花はうっかりしたくはない想像をしてしまい、身震いをする。
「でも、だって! そもそも二人が渡るのを嫌がってたからじゃないですか!」
進一が不満を、元々の渡れなかった理由の一人でもある夏木に向かって、当て付けるようにして強く言う。
「うん、そうね。悪かったわ」
意外とあっさり受け入れ、謝る夏木。
その、拍子抜けしてしまう程の切り返しをされるとは思わなかったのか、進一は豆鉄砲を食らったかような顔をする。
「だから、私たちの事はいいから、気にせず渡って?」
夏木の話を他人事のように聞いていた敦が、慌てて「何勝手な事を言っているんだ!」と止めに入ったが、夏木は気にせず蓮花たちを行かせようとする。
――でも……いくらなんでも、置いて行く事なんて出来ないよ。
夏木の中では決定しているかのように言う為、戸惑ってしまう蓮花たち。
するとそれを見抜いたのか、夏木は少しだけ声の抑揚を下げて語った。
「自分のせいで、誰かを巻き込んじゃうのは嫌なのよ」
誰かを見るでもなく、視線を流した夏木。
「別に見捨ててなんて言っている訳ではない、私たちも決心がついたら、ちゃんと渡って合流するから」
だから先に行ってと続ける夏木の話を聞いて、言葉が出てこなくなってしまう蓮花。
あまりに夏木の口調が、なんでもない事でしょ? とでも言っているような気がして、返す言葉が見つからなかった。
すると、これまで蓮花たちのやり取りを静かに聞いていた水野大樹が、決断したかのように夏木に確認する。
「本当にちゃんと、来るんだな?」
ゆっくりと、しかしはっきりと夏木を見る水野大樹。
「ええ、嘘なんか付かないわよ」
夏木の毒気がない返事に納得したのか、水野大樹は小さく頷き「よし。」と短く言葉を発すると、蓮花たちに声を掛ける。
「行こうか」
水野大樹の決断に慌てる敦を余所に、そう言うと蓮花の腕を取り引っ張っていく水野大樹。
突然の事と、何より蓮花自身もまだその決断が出来ていなかった為、引っ張っていく水野大樹に慌てて声を掛ける。
「ちょっ、水野さん! 待って!」
夏木たちを置いて行くなんてやはりできない蓮花に、やや強引気味な水野大樹が吐き捨てるように言う。
「後から来るって言っているだろう。大丈夫だよ」
そんな根拠はもちろん何処にもない。
しかし、続けて水野大樹が「それに、君だけは死なせたくない。」とはっきり言ったので、蓮花は思わず戸惑い、抵抗する事を忘れてしまった。




