第二話:現実(リアル)
「お嬢さん、課金アイテムを上げましょう……」
「えっと……。かきんアイテム……ですか?」
ごく自然に、まるでそれが当然の行いかの如く経験値ブーストチケットを差し出す俺。
目の前の彼女は不思議そうに、黄金に輝く銭の匂いが溢れるチケットに視線を這わせている。
まるでチケットを初めて見たとでも言わんばかりのその表情。
思わず俺はハッとし、慌ててチケットをポケットに仕舞う。
「あっと、いえ。なんでもありません。最初から物に頼ってはいけませんからね」
そう、そうなのだ。
相手はロールプレイを楽しもうとしている幼気な少女――の皮をかぶったおっさんだ。
せっかく世界を楽しもうとする彼女の楽しみを全て奪い去ってしまうかの様な暴挙に俺は自らを罰したい気分になる。
この様な裏の手を使う等、愚の骨頂。
特に初心者の一番楽しい時期に経験値ブーストなどをしては、面白みも何もあったものじゃない。
改めて意識を切り替える。
ゲームプレイヤーとしてのフェイルではなく、賢者としてのフェイルへ……。
「それより、先ほどの『才能が無い』とはどういう事でしょうか? 良ければ俺に聞かせて下さい」
「はい……実は」
はたして優しげな声色だったろうか?
俺が思う通りの賢者を演じられただろうか?
彼女が望んでいるであろう質問、その身を心配する気高き賢人としての問いを投げかけ、彼女の言葉を待つ。
さて、どの様な悩みが出てくるのか……。
広場の端にあるいくつかの切り株へと自然に座った俺達は、少しばかり奇妙なロールプレイを始める。
「もしかしたら先ほどの練習もご覧になったかもしれませんが、私は立派な魔法使いを目指しているのです。その為に毎日練習しているのですが、その……魔法が一切使えなくて」
彼女は語る。その悩みは己が魔法を使えない事による苦渋であり、悲しみであった。
その気持ちは分かる。俺だって魔法が使えるなら使いたかった。
他のプレイヤーが強力な魔法を使っている様を見ながら、悔しさのあまり相手を問答無用で攻撃した事だってある。
だが、世の中は全部を望んで得られる程優しくはない。
だからこそ、俺は"筋力"のみを追い求めた……。
「お父様も家庭教師の人を何人か付けてくださったのですが、どの方も私が魔法を使えるようにすることは出来ませんでした。ですから何とかならないかと、この様に魔法の修行を一人で行っていたのです」
「そうなのですか……」
通常、『ウルスラグナ』で魔法を使うには一定の資格がいる。
初期に魔法職を取得する事がその一つだ。
だが、先程見た彼女のステータスは『見習い魔法使い』だった。
これは初期選択で魔法職を選んでいる事の証しでもある。
何が彼女の魔法行使を阻んでいるのか……。
「あの、失礼を承知でお尋ねしますが……フェイル様はもしかしてご高名な魔法使い様ではないでしょうか?」
思考の海を揺蕩う俺を引き戻したのは不安げな彼女の言葉だった。
窺うように、少し緊張した面持ちで俺の正体について問うてくる。
「ん? えっと……まぁ、有名ですね。一応賢者ですし。それ以外でも多くの人々が私の名前を知っているでしょう」
ここは正直に答えるのが良いだろう。
『ウルスラグナ』において賢者職は貴重だ。単純に取得制限とクラスアップに必要な特殊クエストの難易度が非常に高いからだ。
その為、普通のプレイヤーよりも賢者は良く名前を知られている。
もっとも、俺はそれよりも『ウルスラグナ』掲示板で問題行動が多い要注意人物として名を馳せていたのだが……。
「そ、そうなんですか! それは失礼をしました……」
彼女の謝罪になんでもないという風に手を振り答える。
もちろん、初心者である彼女が俺の事を知っているはずもない。
別に失礼でもなんでもないのだが、心から謝ってくれるその誠意がなんだか嬉しかった。
今までは誰も謝ってくれなかったし、怒られた事しかないからなぁ……。
ぼんやりと過去に起こした事件を思い出すように空を眺めていると、伏し目がちに何やら気落ちしていた彼女が、ポツリと小さな声で尋ねてくる。
「賢者様……。魔法、使われるんですよね? あの、私は、どうして魔法を使えないのでしょうか?」
それはか細い声だった。
注意してようやく聞こえる程の声。
その事が、彼女の落ち込んだ心を表しているようだった。
「ふむ……いろいろと原因は考えられますが」
顎に手をやり少しばかり考えてみる。
魔法とはマナ――所謂MPと呼ばれる物を消費して使用する奇跡の総称だ。
ゲームの設定上では誰でも使えるというが、実はこれには少しだけ罠が存在する。
VRMMOのデバイスは音声や手入力等、様々な入力方法が存在するが、その中に"思考入力"と言う物が存在する。
頭の中で思い描いて操作すると言うものなのだが、実はこれが厄介だ。
慣れない人はその操作方法ができず、入力に失敗してしまう事が非常に多い。
恐らく彼女もその口だろう。
『ウルスラグナ』の魔法は思考入力と音声入力の両方が必要となる。
コツを掴むまで一切魔法が使えないその状況を上手くロールプレイと絡めたと言うわけだ。
なるほど、理にかなっている。
もっとも、俺がここで行うのは思考入力のコツを教えるなんて野暮ったいことではない。
感覚が重要な思考入力ではそんな事不可能だし、そもそもそれは彼女が自ら努力して得るべきものだ。
ならば俺がすることは。
――そう、彼女に道を指し示す事だった。
「私が思うに、魔法を使えない人なんていないと思うんですよ」
「でも……」
すっと立ち上がる。
広場の中央へと歩みゆく俺に彼女――ピュセラは不安げな視線を向けてくる。
「実はね、私も魔法は大の苦手なんです」
「えっ!?」
「おかしいと思いますよね? 賢者なのに。けどね、魔法は苦手だけど、私はその代わり誰よりも負けないと断言できる物を持っていたのです」
「そ、それは?」
不安も吹き飛んだのか、驚きの眼差しを向けてくるピュセラ。
俺は彼女の迫真の演技に軽く笑いながら、自らの出自、そして己に秘めた思いを語る。
「頑張る心ですね。自分で言うのもの恥ずかしいのですが、あの頃の俺は世界で一番頑張り屋さんだったと思います。そうするとね、神様も見ていてくれてるのかな? いろいろと凄い事が出来るようになるんです」
飽きる程の鍛錬の果てに、フェイル=プロテインというキャラクターは最強になった。
それまでは散々だった。行く場所行く場所で笑われ、バカにされ、追い出された。
それでも諦めなかった。
諦めたくなかった。
そして、成し遂げた。
気がつけば、あれほど俺を見下した奴らは、遠く後ろに居た。
ちなみに、俺をバカにしたキャラクターには全員きっちり復讐済みである。
俺は恨みつらみは絶対に忘れないようにしているのだ。
「あきらめないで下さい。諦めなければ、きっとマッスルの神も貴方に微笑みを――おや?」
最後の言葉、締めの言葉を告げてかっこ良くまとめようとした俺。
だが、何やら違和感を覚えて辺りを見回す。
この感覚はなんだろうか? 今までにない、なんとも気味の悪い感触に顔を顰める。
「こ、これは! いけませんフェイル様! フォレストウルフの群れです!」
「フォレストウルフ?」
「集団で狩りをする獰猛な狼型の魔物です、こんな森の浅いところまで出てくるとは……」
彼女の言葉を補強するかのように、低く唸る声が森の奥、そこらじゅうから聞こえてくる。
ピュセラは慌てて俺の側へ駆け寄ると、手に持つ杖を構えて辺りを警戒している。
ガサリと草木が揺れる。
現れたのは大型犬程の大きさもある狼だ。
血のように赤い口腔からは不揃いな牙が生えており、滴り落ちる涎がその凶暴さをより強調している。
――確認できただけで5匹。
ジリジリと距離を縮め、今にも飛びかかりそうだ。
「そうですか、ああ、ピュセラさん。先ほどの続きです」
「えっ!?」
だが、それすら俺にとってはなんら脅威たりえなかった。
「貴方の夢は魔法使いになることですよね?」
「は、はい!」
右手を懐に差し込む。
『ウルスラグナ』においてアイテムを取り出す特有の仕草。
フォレストウルフが警戒を露わにし、体が揺さぶられそうな程の勢いで吠え上げて来る。
「なれますよ。どれだけ魔法が苦手でも、諦めなければ――」
スッと、右手を懐から出す。
その手に握られるは血よりも紅い小さな宝玉。
瞬間、堰を切ったかの様に一斉にフォレストウルフが俺達に跳びかかり……。
「――こんな風にね」
同時に、爆炎によって包まれた。
「す、凄い!」
き、決まった……。
ピュセラが驚きの声を上げる。
まさしく俺がやりたかった演出だ。
今使用したのは"爆炎龍の瞳"と呼ばれるアイテムだ。
"フレア"の魔法が込められているそれは使用するだけで誰でも魔法を使う事ができる。
基本的に魔法が込められたアイテムは攻撃力が弱くて使えないのだが、この程度の魔物であれば十分すぎる程の威力がある。
面倒だから後で他のアイテムと纏めて売却しようと偶然持っていた一個だったが、存外役に立ってくれた。
俺の心を久方ぶりの満足感が襲う。
これはレベル100になった時以来ではないだろうか?
それほどまでに今の状況は満たされていた。
ロールプレイはあまりやった事が無かったが、もしかしたら俺は才能があるのかもしれない。
今のは完全に賢者っぽかった。
迷える初心者を魔法使いへと導く賢者っぽかった。
軽く笑い、愚かなワンちゃんへと憐憫の視線を送る。
ふっ、ありがとうワンちゃん。
君達は俺の賢者としての演出に十分役立ってくれた。
後は何時もの様に光の粒子となって消え去るだけだ。
今の俺には、それすらも賛歌となりうるのだから……。
だが、見慣れた光の代わりに現れるのは見たことも無い黒焦げの物体。
否――物体ではない。それは俺が倒したはずのフォレストウルフの死体だった。
……なにこれ? 超グロい。
鼻孔を嫌な匂いがつく。
腐った肉を焼いたような匂いは胃液が込み上げてきそうな程の不快感があり、黒焦げの死体はいつまでたってもそこにある。
俺はここに来て――。
なんかとんでも無い現象に巻き込まれている事に初めて気がついた。
「あ、あの? ピュセラさん……?」
ぷるぷると震えながら、助けを求めるように背後の少女へと声をかける。
気付かれぬ様に開いたメニューウィンドウ。
先ほどの俺の違和感は間違いでは無かったらしく、確かにあったはずの『ログアウト』の文字は綺麗さっぱり消失していた。
どこかで聞いた展開が不意に脳裏によぎる。
「これ、もしかして現実です??」
「現実? よくわかりませんがおみそれしました! 私の師匠になってください!」
どうやら、俺はとんでも無い事態に巻き込まれたようだ。
まるで宝石のように輝く瞳を向けてくるピュセラを唖然と眺めながら、俺は漠然とそう思った。
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フェイル=プロテイン
【職業】 賢者
【称号】 異世界転移者 *new!
HP 58000/58000
MP 34000/34000
筋力 ウ現rファ丸フジコ(1080)
強靭力 10
魔力 10
知能 10
素早さ 10
技量 10
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