第十八話:戦いに必要なこと
戦いに合図はいらない。
本物の戦士はヨーイドンでお互い剣を抜くなんて芸当はしないのだ。
常在戦場。
つまり戦いは奴と俺が出会ったその時から始まっていると言っても過言ではない。
いわんや、お誂え向きの状況が整ってしまったこの場ならば?
「――チッ!」
「……ふっ」
「お、お師様!」
思わず漏れでた舌打ちにポニーテルが笑みをこぼす。
親指で頬を拭うと、赤い汚れが指先に付着していた。
「…………速いな」
……目にも留まらぬ速さでの高速抜剣術。
なるほど、魔術師殺しと吠えるだけはある。
このスピードなら生半可な魔法使いは詠唱を開始することもなく討ち取られてしまうだろう。俺は再度気を引き締める。
「驚いたかい? 先の手、その先を取り相手の行動を封じ込めるのが僕のスタイルさ。さぁ、魔法を詠唱する時間なんて与えないよ。君はただただ僕に翻弄されるだけなんだ!」
先ほどを超える鋭い連撃が俺を討ち取らんと襲い掛かってくる。
奴は自分の勝利と力量を疑っていない。
追撃を行うこと無く自信に満ち溢れた笑みを浮かべている。ってかまたターンしている。
だがこの程度で怖じ気づく俺じゃない。
そもそも魔法使えないから詠唱阻害されても全然関係ないしな。
あっ! もしかしたらそこら辺でピュセラにも誤魔化せるかも!
相手の速度に合わせる為にあえて魔法を使わなかった! 的な!
なんだか全てが上手く行きそうだぞ。俄然テンション上がってきた。
それに……ガチのバトルなんて久しぶりだしな。
「ちょっと興奮してきたわ。こういう熱い戦いこそがファンタジーだよな。今のVRMMOは美少女キャラに薄い装備を着せてあらゆる角度からスクリーンショットを撮る奴ばっかりだから始末に負えない」
俺も全財産貢いだネカマの猫姫ちゃんのスクリーンショット撮りまくっていたけどな。
……猫姫ちゃん、元気かなぁ。
「何のことかは分からないけど、余裕を見せている暇はあるのかい? いまだ君は魔法を一つも使っていない。この場に立っているのは僕の温情でしかないんだよ?」
っとと、気が散っていた。
思わずあの楽しかった頃に思いを馳せてしまっていた。
戦いの最中に何たる失態。おのれ猫姫ちゃんめ。
けどまぁこれだけ準備してくれたんだ。
「本気を出しても……いいよな?」
少しだけ本気で遊んでやるよ。
「それが甘いと言うんだよ!!」
奴の地面が爆発したかのように爆ぜ、同時に音さえも置き去りにしてポニーテルが向かってくる。
対する俺は完全な集中により本来の防御力を肉体に再現する。
それだけではない。本気を出すと決めたんだ。
俺は全身に力を巡らせ、めったに行わない、構えをした。
交差は刹那。
――結果は。
「ぐあああああ!!!」
俺は構えを解かずに不動の姿勢だ。
対してポニーテルは俺の手前で蹲り何やら利き手を抑えている。
つまり先ほどの攻防は俺に軍配が上がった。
…………え?
「ばっ、バカな! 僕の動きが見切られただと!?」
「いや、俺なにもしていないんだけど……」
俺は何もしていなかった。
確かに先ほどの攻撃、自らの手の甲で防いだ感触はあった。
本気をだした俺はなんかもう防御力もすごい事になってるので基本的に攻撃は効かない。
相手の刺突を防いだ後にカウンターを放とうとしたのだが、結果はご覧の通りだ。
意味が分からない。一体何が起こったんだ?
「まさか……あの土壇場でじゃと!?」
「お気づきになったのですかモリモリ村長!」
あっ、生きてたんだ。
ぐわっ! っと目を見開き充血させながらモリモリ村長がつばを吐き散らす。
なんかピュセラと一緒に完全に解説ポジションになっているが、俺の疑問を解消してくれるのだったらこのさい誰でもいい。一体何が起こったんだ?
「モリモリ村長! お師様は何をしたのでしょうか!?」
「……魔法じゃ」
わなわなと震える声で、村長はそれだけを告げる。
その声は小さいにも関わらずやけに響き、この場にいる全ての人々を驚愕させた。
もちろん俺も驚愕している。
「げに恐ろしきはフェイル=プロテイン! あの瞬間に魔法を使いおったのじゃああ!!!」
一切使ってねぇよ。そういう風評被害やめてよ。
「なんだって!? そんな! 僕が知覚できないなんて! この蒼き赤薔薇のポニーテルに!!」
使ってませんからね。知覚できませんよね。
MPも全快だ。HPも全快なんだけどね。
それどころか何もしてないし、やっぱりあの爺さんは役に立たないことだけが分かった。
ほんともう、何処かに行ってくれないかなあの村長。
「まぁいいさ。こ、この程度で勝負が決したと思われては困るね。まだまだこのポニーテルには奥の手が隠されている!」
虚勢を張るポニーテル。
だが声が震えていることから相当なダメージを負っていることが分かる。
一体何が起こったのだろうか?
ってか彼は大丈夫だろうか?
俺は何にもしていないのに、なんだかどんどん不安になってくる。
必死の形相の彼にどうやんわりと言葉を伝えようかとしていた時だった。
展開は急速に変わっていくらしい。
ちょうど観客席であれやこれやと騒いでいたピュセラと爺さんのもとにクシネがやって来た。
「やっほー、どんな感じ?」
「ああっ!! クシネさん! どうやらお師匠様の魔法が炸裂して相手はダメージを負っているんです!」
「そうなのですじゃクシネ殿。しかしわしを持ってして、フェイル殿がどの様な魔法を使ったのか理解できませぬのじゃ!」
「と言うか誰よ貴方」
心底嫌そうな顔で爺さんを眺めるクシネ。
いいぞもっとやれと思っていると、今度は俺たちの方を眺めてまるで暇つぶしはなにかないかとテレビのチャンネルを変えるおばちゃんを思わせる表情でこちらを眺め始めた。
「まぁいいや。お菓子も沢山食べたし、暇なのよね……あれ?」
「どうしかしたのですか?」
「うーん? あの人、突き指してるんじゃない?」
それは何気ない一言だった。
「「「――ッ!?」」」
「くそっ! まさか見破られているとは!」
木が、大地が、空が、そして人々がざわめいた。
あの一瞬の攻防。
神ですら視認を逃すほどの短い間。自らの獲物で俺を突き倒そうとしたポニーテルは逆に俺の鋼鉄の肉体に弾かれて突き指をしていたのだ。
その事実に世界が驚愕する。
なんということを、なんということが起きてしまったのだ!
そう言わんばかりの表情を皆々が浮かべている。
驚愕、敬意、畏怖、感動。
全ての感情がそこに集まっていた。つまり……俺に。
俺は至って冷静にその様子を眺め、「こいつら馬鹿じゃないの?」とだけ感想を抱いた。
「そうか……そうなのか、だからフェイル殿はあえて手を出さずに! すでに勝負は決しておったということか!! なんという、なんという高みにおるのじゃフェイル=プロテイン!!」
村長は絶好調だ。
何が高みだ。しかも勝負は決してねぇだろうが。なんで突き指したら終わりみたいな空気なんだよ。まだ山場すら来てねぇよ。
「どういうことですか? モリモリ村長!」
「わからぬか? 突き指をするとどうなる? 痛いじゃろう? 突き指は痛い……ここまで説明したらあとは明白じゃろ?」
やれやれと言った様子で爺さんはピュセラに説明する。
そんな爺さんを心底気持ち悪そうに見つめながら、そっと背後からピュセラの両肩に手を置き距離を取らせるクシネ。
ピュセラは気にすることなくぶつぶつと先ほどの攻防を分析している。
「はい、突き指をすると痛いです……。でもそれだけでは……あっ!!」
「ふっふっふ、お嬢さんにももう分かったようじゃな!」
「突き指をすると痛くて戦いがしたくなくなります!」
「よくぞ見極めた! その通り! あの男は今まさに突き指で悶え苦しんで、戦いたくないなぁって思っておるんじゃ!」
「まぁ確かに突き指してまで戦いたくはないわよね。できればお家に帰りたいものよ、誰だって」
いや戦えよ……。
ほんとう、マジで戦ってくださいよ。
もうそういうノリはマジでお腹いっぱいなんですよ。せっかくシリアスパート入っていのに……。
思わず突っ込みすら敬語になる中、俺は叫びたくなる気持ちを必死に抑えながら平静を保つ。
そうしなければ今にも誰構わず当たり散らそうになるからだ。
俺のがっかり感はそれほど大きい。
目の前のポニーテルも相変わらずダメそうだし……。
……お家帰りたいなぁ。
俺はお家に帰りたいと思った。
「馬鹿にしないでもらおうか!」
絶叫が空気を一変させる。
目の前で自らの人差し指を痛そうに押さえるポニーテルだ。
額には脂汗が浮かび、その表情は苦痛と憤怒に染まっている。
「僕が突き指程度で! 突き指程度でどうかなるとでも思っているのか!!」
「じゃあまずその苦悶の表情をやめろよ、不安になるから」
なんでそんなに痛そうなんだよ。もっと頑張れよ。
小学生でももうちょっと頑張れるぞ?
めっちゃ痛そうにしている対戦相手に思わず突っ込みをいれてしまう。
ちなみに俺の気持ちはすでに家にある。プロテインが俺を待っているんだ。
早く帰らなければいけない。
「馬鹿にしやがって! 魔法使い風情が! 魔法使い風情がぁぁぁ!!」
「だからどこにそこまで怒る要素があるんだよ! 言うほど痛くないだろ!!」
「これだけは使いたくなかったが! 仕方ない! 命までは取るまいと思ったがここまでコケにされて引き下がれるか!!」
何やら一人盛り上がっているポニーテルの雰囲気が一変する。
セリフ的になんか必殺技とか奥の手を使う感じだ。
もはや完全に構えをといて全身の筋肉を弛緩させてリラックスモードの俺だが、万が一を考えて気を引き締めようかと考える。
「ぐっ! ぐぁぁぁ……! がぁぁぁっ!!!」
でもめっちゃ痛そうだったので別にその必要はなさそうだった。
痛むだろう指を必死に動かしながら再度獲物である細剣を強く握りしめるポニーテル。
そんな健気な彼に俺もハラハラだ。
もちろん突き指であんな風になるもやしっこには何も期待していないので、もはや純粋に彼の身を案じる優しさの気持ちしか無い。
「いや、無理しなくていいよ? ホント自分を大事にしてお願いだから!」
「その甘さが命取りになるぞフェイル=プロテイン! 死ねぇ!!」
「――しまっ!」
瞬間。
世界が止まる。
何もかもがスローモーションの様に流れ、完全に気を抜いていた俺の命を刈り取るべく刃が迫ってくる。
やがてそれは俺の首先に届き……。
「お師様!」
「フェイル!」
「フェイル殿!」
「ぎゃああああああっ!!!!!」
叫びをあげたのはポニーテルだった。
何故か地面に倒れ伏し、絶叫を上げて蹲っている。
「な、何が……何が起こったと言うのですか!!」
驚愕するピュセラの声だけがやけに煩く耳に響いた。
そんなこと俺だって知りたい。
先ほどの攻撃、あの程度で死なないことは確かだがダメージを負うのは確実だったはずだ。
だが蓋を開ければこの有様。
俺ではなくポニーテルが再度地面と濃厚なキスをしている。
なんだか既視感がする光景だが、今度は何が起こったんだ?
もしかして俺がなんか不思議パワーに目覚めたとか?
「恐ろしい、まこと恐ろしい男じゃフェイル=プロテイン! そこまでしおったか!」
「どういうことですか村長!? お師様は! お師様は何をなされたのですか!?」
爺さんは理解しているのだろうか?
もしかしたら当事者では確認できぬ、外から観戦していたものだけが理解できる出来事があったのかもしれない。
俺は目の前でいまだ蹲るポニーテルから目を離すこと無く、爺さんの説明に全霊の注意を向ける。
何が起こったんだ? いったい、あの瞬間にどの様な出来事が演じられていたというのだろうか?
その答えは……。
「肉離れじゃ……」
「「「――なっ!?」」」
「ポニーテルのやつ! 肉離れを起こしおった!!」
…………うん!!
そうだね。そんな感じだよね。
「あの一瞬の攻防でそんなことに!?」
「準備運動をしておらなんだからな! あれでは痛くて戦いなんぞもうできん。この勝負、終始フェイル殿の圧倒じゃったな!」
「凄い! 凄いですお師様! 流石私のお師様です! ピュセラは、ピュセラは感動いたしました!!」
瞳にこれでもかと涙を浮かべながらピュセラが駆け寄ってくる。
頬を軽く染めて薄く笑うピュセラ。
「もう、一時はどうなることかとハラハラしちゃいましたよお師様! ……でも、信じていました」
なんて言ってるがあのやり取りのどこにハラハラする要素があったのか聞きたくてたまらない。まぁどうせ面倒な話になるだろうことは明らかなので口を噤むが。
……こうして勝敗は決した。
何も生み出さない戦いだった。
ってか俺が出なくても良かったんじゃないのこれ?
想像以上にもやしっこのポニーテルを見つめながら、俺はこの世界が相変わらずふざけている事を痛感する。
「負けたよ……この僕がまさか準備運動不足で負けるとは。ふふふ、蒼き赤薔薇じゃなくて、これじゃあ赤き青薔薇だね」
「ごめん、ちょっと分からない」
こうして俺が賢者としての力を一切発揮する事無くこの戦いは唐突な閉幕を迎えた。
何も得られない不毛な戦いだったが、一つだけ分かったことがある。
……準備運動は大事。
そう……この一戦は、そのことを全ての人々の心に強く刻みこんだのであった。
蒼き赤薔薇のポニーテル。診断結果
突き指 全治5日
肉離れ 全治2週間